天使が訪れる時/8
天使と反対側にいる聖女へ、崇剛は顔を向ける。
「瑠璃さんは知っていますか?」
百年の重みを感じさせる若草色の瞳は、背の高いゴスパンク天使をチラッと見やった。
「我も今初めて、合間見えたからの。こやつのことは知らぬ」
「そうですか」
崇剛はあごに手を当てたまま、優雅に足を組み換えただけだった。
妙な間が広がる――
秋風が三人の髪を何度かなでると、天使はさらに首を横へかしげた。
「……ん?」
右目にかかっていた髪が耳元へ落ち、綺麗な目があらわになったが、鋭利なのは変わりなかった。
「それでは、魂の浄化を――」
天使の名前を聞くという件はどこかへうっちゃって、合理的に仕事と進めようとした崇剛の言葉は、天使の咳払いによってさえぎられた。
「んんっ! お、俺の名前を聞くことを許す。俺からの慈愛だ、ありがたく思え」
冷静な水色の瞳は鋭利なスミレ色の瞳の前で、横へゆっくりと揺れる。
「許しは乞うていません」
絶妙に言い返されてしまった天使は、何とも言えぬ顔になったが、何とか体制を立て直して、もう一度咳払いをした。
「んんっ! お、教えてやってもいい」
「おっしゃっていただかなくても構いませんよ」
言葉の応酬――。
「貴様、そうやって意地を張っていられるのも今のうちだ」
鋭利なスミレ色の瞳は崇剛を今にも刺し殺しそうだった。天使の瞳を氷の刃で切るように見つめ返し、崇剛は首を横へゆっくり振った。
「意地など張っていませんよ」
天使は人間の男を真正面から見るために、すっと瞬間移動した。崇剛が座っている椅子の背もたれに、まるで壁ドンしているように、天使の神経質な手は聖霊師の顔を両側から拘束した。
「…………」
鋭利なスミレ色の瞳はぶつかるのではないかというくらい、冷静な水色の瞳に近づけられ、無遠慮に左右上下に見つめるを繰り返す。
「…………」
「…………」
瑠璃から見ると、キスをしそうな位置で、男ふたりがにらみ合っているシチュエーションだった。
それでも、崇剛の瞳は天使からはずされない。対する天使も品定めをするように、しばらく見ていたが、やがて、お互いの吐息がかかるほどの距離で、吐き捨てるように言った。
「貴様に俺の名を知る術などないだろう」
「そうかもしれませんね。実際、あなたがどなただか私には『わかりません』からね」
崇剛の声色は猛吹雪を感じさせるほど、どこまでも冷たかった。
天使はこれ以上ないくらいバカにしたように「はぁ〜っ!」と鼻で笑い、椅子から手を離して立ち上がった。
ロングブーツの足を交差させ、背筋をピンと伸ばす。腰のあたりで両腕を組み、挑発的なアーマーリングを完璧と言わんばかりに見せつけた。
「 貴様のその頭脳も所詮鉄くずだな。こんな簡単なことも当てられないとは、策士の名が聞いてあきれる」
そこまで聞いた崇剛の、冷静な水色の瞳は天使のスミレ色をした瞳を凝視したまま、微かに色づいた。
「情報提供――ありがとうございます」
聖霊師の神経質な顔に優雅な笑みが再び戻り、天使へ向かって礼儀正しく頭を下げると、紺の髪とターコイズブルーのリボンが肩からサラサラと前へ落ちた。
天使は首をかしげ、まぶたを落ち着きなくパチパチさせる。
「……な、んだと?」
策略家と呼ばれている心霊探偵は、落ちてきてしまった髪を神経質な手で背中へ払いのけ、今の会話が何だったのか長々と流暢に説明し始めた。
「先ほどから、私が心に何も思い浮かべなかったのは、天使のあなたから情報を引き出すためでした」
人間の心の声は天使には筒抜けだ。それをさけない限り、人間の崇剛には勝利はやってこない。
「言葉を返せば、情報は少なからず漏洩するのです。あなたには人に対して挑戦的な態度を取るという傾向があるみたいです。従って、知らないと言えば、情報を自ら提供してくるというわけです。ですから、今からふたつ前の言葉で『わかりませんからね』と、私はわざと言ったのです」




