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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
心霊探偵はエレガントに〜karma〜
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天使が訪れる時/2

 汚れたズボンの膝に、とうとう涙がボロボロと落ち、大人気ないシミができ上がり始めた。


 ショックで俺は酒に溺れ、気づいた時には……。

 現代医学では治せない精神病を患ってた。

 ストレスがかると、息苦しくなって、立っていられなくなった。

 借金のカタに、家は差し押さえられて、住む場所ももうない。

 仕事も見つからない……。


 両手で顔を覆い、もう何も見たくない聞きたくないというように、男は頭を抱えた。のどがしめつけられるように痛い。


「これ以上、生きていても……死んだほうがマシだ」


 閉じてしまったまぶた――闇にこのまま溶け込んで、何もかもが取り消しになって、無になって消えてなくなってしまえばいい。男はあきらめの境地でひとりうずくまる。


「――ないてるの?」


 幼い子供の声が響いた。


 秋風がさっきとは違って優しく頬を通り過ぎる。ふと目を開けると、ひまわり色のウェーブ髪をした男の子が立っていた。


 白い長袖シャツに小さなズボン。手には何かの紙袋を大切そうに握っていた。


「せんせいがいってた」


 久しく人がそばにきたことがないのに、男の子は男を純粋に見上げて、にっこり微笑んで勝手に話し出した。


「?」

「だれかがしあわせになることをすると、じぶんもしあわせになるって」

「……幸せになる」


 そんな言葉しばらく聞きも、思いもしなかった。


「あくができても、こころは……んー?」


 途中で話が露頭に迷いそうになった。小首を可愛くかしげると、地面へ向かってウェーブ髪は落ちた。


 すぐに元に戻って、男の子はちょっと難しそうな顔をする。


「さいしょから? そういうふうにできてるから、かわらないって」

「……悪が入っても、人の幸せが自分の幸せになる……」


 丸みのある小さな手は、持っていた袋から丸い茶色のものを取り出した。


「これ、パパがつくったの」

「ん?」


 バニラの甘い香りがする丸いものを見つめていると、男の子はもう一枚取り出した。


「クッキー、おいしいよ!」


 一緒に食べよう、それが幸せな気持ちを連れてくると、子供に教えられ、男は菓子を受け取った。


「……あぁ」


 お礼も言わずにいたが、他の人の幸せが自分の願いである子供は気にせず、自分のクッキーをもぐもぐと食べる。


「だから、なかないで」


 とびきりの笑顔を、子供が見せると同時に、


「――まどか! どこに行ったんだ?」


 はつらつとした少し鼻にかかる男の声が響き、男の子はぱっと振り返って、

「あっ、パパ!」さっと走り出した。


 男からあっという間に子供は離れていった。手に持つクッキーが感動の涙で歪む。子供と父親の声が風に乗って運ばれてきた。


「どこに行ってたんだ? 迷子になったら、大変だろう」

「クッキー、あげてた」

「そうか」


 いつから食べていないのか思い出せないほど。涙をこぼしながら、白髪の男はむさぶるようにクッキを口の中に入れた。


「甘い……」


 心も体も飢餓という鎖から解放されてゆく。悲しみも苦しみも溶け出してゆく。


「おいしい……」


 涙と混じって、甘じょっぱくなった口を無心で動かす。生きようという気力が、自分の意思とは関係なく、身体が求めていた。


 子供と父親の会話がまだ耳に入り込んでくる。


「おわったの?」

「終わった。早く帰るぞ。崇剛に叱られるからな」

「いたずらだよ」

「それは、大人の罠だな……」

「ん?」


 少し離れたところで、純潔のホワイトジーンズのすぐそばで、子供の小さな頭が不思議そうに傾げられた。


 その時、威勢のいい別の男の声が突如人混みに浮きだった。


「号外だよ〜! 号外っ!!」


 どよめきが上がり、人混みが一気に動き出して、一枚の新聞紙が次々に取られてゆく。


 誰かが取り損ねた記事が、男の怪我をした足元へすっと舞い込んできた。涙でにじむ目で見出しを見ると、


 十月十九日、水曜日。シュトライツ王国、ついに崩壊――


 男は唇を強くかみしめた。


 天から一筋の光がすうっと差しきて、男を優しく包み込む。街並みも行き交う人も何もかもがさっきから変わらずだったが、男から街の喧騒が消え去った。

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