春雷の嵐/3
ラジュはあれ以来戻ってきていない。カミエもどこかで用があるとかで、すぐにはこれないと言い残していった。
何か起きれば、守護霊ひとりで守るのは困難極まる。警戒心がいやでも高くなる。その時だった、瑠璃の耳だけに、パチンと何かをぶつかり合わせたような音が微かでありながらはっきりと響いたのは。
すると、霊界で降っていた土砂降りの雨が嘘のように一斉に止んだ――。急に鮮明になった視界の先で見たものは、真っ赤な目ふたつと、彫刻像のように彫りの深い男の顔だった。瑠璃は目を見張る。
「あやつ……」
ナルシスト的に微笑むと、男は白い服をなびかせて、背中を向けた。大鎌を肩に引っ掛け、ひとり荒野に佇んでいる。
「ラジュを神殿に呼び出しておったやつじゃ……」
あの金髪天使も怪しいものだが、霊界の遠くのほうで立派な両翼を広げている天使も、相当怪しい。
守護をしている人間がいないと言うのに、地上へ降りてきているのだから。神に叱れるのはさけられないはずなのに、平然と地上へやってくる。
瑠璃は思う。あれは神専属の天使なのかと。しかし、そんな役割など聞いたこともなかった。
「……さん?」
遊線が螺旋を描く優雅な声が遠くから聞こえたが、瑠璃はぶつぶつと独り言を言う。
「じゃが、ラジュはだまされたとは申して――」
「瑠璃さん?」
「誰じゃ?」
瑠璃は肩をトントンと叩かれて、振り返った。そこには、冷静な水色の瞳が氷の刃のように鋭く注がれていた。
「……崇剛」
「どうかしたのですか?」
瑠璃は赤目の男をチラッとうかがったが、遠くで大きくバッテンを腕で作っていた。言うな――の意思表示である。
「……何でもあらぬ」
崇剛は瑠璃の視線の先を追って、千里眼を使ってみたが、荒野が広がるだけで、男の姿を見ることはできなかった。彼はただ、聖女の様子がおかしいように見えるとだけ記録して、
「そうですか」
ただの相づちを打った。瑠璃が霊界での異変を感じている間に、崇剛は霊視しようとしたが、
「私には何も見えないのですが、いかがですか?」
瑠璃の瞳の端では、悪霊の大群が男に押し寄せようとしている様が映っていた。じわり冷や汗をかきそうになると、遠くにいるはずなのに、体の内側から男の声が聞こえてくる。
「俺のことはいいから、お前、自分にできることやっちゃって」
口調はずいぶん砕けているのに、有無を言わせないような威圧感で、守護霊の少女は慌てて視線をそらした。そんな彼女の仕草は、崇剛の冷静な頭脳にきちんと整理される。
瑠璃の様子がおかしいように見えたことが二度あった――と。
「そ、そうじゃの? …………」聖女は話し出したが、沈黙を作ってしまった。
妙な間が流れる。
崇剛は心配した。聖女はまたもや誰かに言うなと言われ、辛い立場に立たされているのではないかと。
予想外のことが起きている雰囲気が色濃く漂っているのを前にして、八歳で死んだ幼い少女は臨機応変にとはうまくいかなかった。
マダラ模様の男の声で指示が飛んできて、少し遅れて瑠璃が崇剛に聞こえるように、自分の言い回しに訳した。
「……お主が見えぬとはちと、何か意味がありそうじゃの」
今現在ではなく、前のデータを欲しがっている聖霊師。聖女は両腕を組んで、そっと目を閉じた。神経を集中させる。戦うことにではなく、霊視をするために。
リムジンが止まっている場所からすぐそばで、瞬よりも小さな人影がゆらゆらと、聖女の脳裏の中で立った。
「今はおらぬが、幼子じゃ。男の子じゃの」
崇剛も懸命に時刻を、事故が起きてしまったところへ戻すが、どうにもブレてしまって、子供の姿は見えない。
数字が迫ってくる感覚はするが、風が通り過ぎるように読み取れない。それでも、今までの天文学的なデータを脳裏に流し、事実と可能性、そして、霊感が交差するものを探し出して、何とか数字を手繰り寄せた。
「……三。三ヶ月。三歳。どちらでしょう? あちらの可能性がある。従って……」
三十二年の経験と、数々の事件を参考にして、非常に低いながらも、可能性から答えを、崇剛は選び取った。
「歳は……三つでしょうか?」
立ち込めるモヤのせいで、未だ霊視できない聖霊師の隣で、彼よりも断然霊力の強い聖女は短くうなずいた。
「あっておる」




