Escape from evil/11
そこへ、日本刀の鞘に添えられていた天使の左手が、流れるような仕草で悪霊へと伸ばされる。
「動きが居ついていない! 止まり、構えたら負けだ。そこで隙ができてしまう。さすが、正中線を持っているだけある。歩きはじめの子供のように、最低限の筋肉だけ使い、常にフラフラとしている状態。それはどんな動きにも、即座に対応できるということだ」
何の武器も持っていない天使の左手が、悪霊のそれに触れると、手品でもしたいみたいに、不思議なことに大鎌が天使の手中に収まっていた。
「きた! 合気の応用。今のはテコの原理を利用した。さらに、大鎌と相手の重心を自分へと奪い、意識と動きを意図的に止めた。その隙に、相手の武器を奪ったものだ。右手に日本刀、左に大鎌。カミエ天使、次はどうする? このまま武器だけで倒してしまっては、修業バカの異名を持つ、カミエ天使の名が廃る。次はどんな技を見せてくれるのか!」
深緑髪の短髪を持つ天使は細いポールの上に、絶妙なバランスを取りながら立っているような姿勢で悪霊と対峙する。
どこまでも広がる青空の下、まだまだ涼介と瞬のピクニックは気分は和やかに続いていた。しかし、霊界での暗雲から、
ザザーン!
と、雷光が悪霊と天使の背後で、世界を引き裂くように落ち、大地を震わせた。
それに驚くことなく、邪神界の者と正神界の者との間で、さらに不思議なことが起こった。
聖なる光を放っている白い袴はまったく動いていないのに、悪霊はいきなり宙で前転し、
「うわっ!」
背中から地面へ激しく叩きつけられたのだ。独り相撲みたいな戦況を前にして、崇剛は叫ぶ。
「出た、大技! 合気! 相手と自身の呼吸を合わせ、相手の重心――柱を自分へと奪う。これをされると、相手は意識と動きが封じられてしまう。その隙に奪った重心を、カミエ天使の肩と胸の間で、円を縦に描いて回す。人レベルでは、手などが触れていないとかからないが、天使だ。ここは違う。地面を介して、合気をかけた! その時は正中線上で円を描く」
霊界の荒野では悪霊が倒れたまま、苦しそうに肩で息をしているだけだった。
「まだ技は続いている。悪霊の重心は、カミエ天使に奪われたままだ。悪霊は今何も考えられず、何が起きているのかすらわからない状態。だが、合気は護身術。何か別の打撃系の技を使わないと、トドメはさせない。どうする? カミエ天使」
上げたままだった日本刀を重力に逆らわず、悪霊へと天使は艶やかに下ろし、何の躊躇もなく無感情で、悪に魂を振り飛ばした者の胸へ突き刺した。
「グワァっ!」
奪った大鎌をそのまま手から落とし、崇剛の首をはねた悪霊の武器が、空からギロチンをする要領でバッサリと斬られ、
「ぎゃああああっっっ!!!!」
断末魔を上げるとともに薄墨となり、やがて不浄な者はこの場から消え失せた。無感情極まりなく、容赦など微塵もなかった、聖なる天使の攻撃は。
「カミエ天使の圧勝っ!」
カンカンカン! と、試合終了のゴングが響き渡った気がした。雷雲も鉄の扉もなくなり、さっきから隣で黙って見ていた瑠璃はぼそりとつぶやいた。
「崇剛、お主もよくやるよの。雰囲気が崩れておるぞ」
冷静な水色の瞳へ戻り、霊界でのマイクも消え、優雅な策略家神父はくすくす笑う。
「非常にやりなれませんでしたよ。ですが、著者からの指示では従うしかありませんからね」
天使の左手にあった大鎌は綺麗に浄化され、無効化されるように消えた。右手に持っていた日本刀を、艶やかな動きで鞘へしまう。
崇剛の冷静な水色の瞳と、カミエの無感情、無動のカーキ色の瞳がぶつかり合ったかと思うと、地鳴りのような低い声が向かってきた。
「久しぶりだ」
「お久しぶりです」




