Escape from evil/9
一悶着のあと、冷静な頭脳を正常に稼働させ、ポケットの中にある懐中時計に手で触れ、崇剛は迫ってきた文字を読み取る。
十二時十五分一秒――
何が起きるのしょう?
その時――
バーンッ!
世界が大きな力で打ちのめされたような爆音がとどろいた。崇剛と瑠璃の真正面――乙葉親子の後ろに、聳え立つ塔のような重厚でいて、不気味な錆色の扉が突如現れた。
霊界での空は一瞬にして、突然の夕立に襲われたような、黒く厚い雲が低く立ち込める。
稲妻がグーグーと威嚇しながら、頭上を青白くはい回り始めた。遠くの地平線は、生き血のように赤く燃え上がる。
つかもうとしていた卵とアボカドのサンドイッチから、崇剛は反射的に右手を離した。
左腰元で鋭いシルバー色を放っている聖なるダガーの柄へ、血のにじんだ包帯をした手を伸ばした。
邪神界とこの世をつなぐ扉――
穏やかな春の風景が一瞬にして破壊され、死という恐怖と危機がやってきてしまった。
聖霊師は人差し指と中指で、ダガーの柄を挟み持ちしよと、力を入れたが傷口に痛みが走った。
「っ!」
小さなうめき声が思わずもれる。激情の獣が上げる焦りの雄叫びを感じながら、ラジュの長い言葉が一字一句間違えずに蘇った。
『聖なるダガーで己自身を傷つける……。メシア保有のあなたには、そちらのような行いは赦されません。大きな力を持つということは、多くの人を救える可能性があなたにはあります。怪我をしている間に、ダガーの使用が必要となった時、どのように対処するつもりだったのかは知りませんが……』
守護天使の言う通りに、ピンチがやってきてしまった。ダガーが使えない今、別の方法を模索する。膨大なデータを冷静な頭脳の中で流し始めると同時に、
ギギーッ!
爪でガラスを掻きむしるような、聞くに耐えない音が不気味に鳴り響き、重厚な扉は開いてしまった。向こう――邪神界側から大鎌を持った悪霊がにわかに姿を現した。
フードを深く被り、相変わらず顔を見ることは叶わない。武器の扱いに慣れていないのか、鉄の重さに全身が翻弄されているようにふらつく。
四月二十一日、木曜日、二時十三分五十四秒過ぎ。
ベルダージュ荘へきた悪霊と同じかもしれない――
私一人では倒せない。
どのようにすれば――
ラジュの忠告通りに、肝心な時に誰も守れない。全てを記憶していても、感情という風に煽られ、焦りが膨らんで――
「プリン、おいしい?」
天使以上のレベルの悪霊を見ることができない、瞬はピクニック気分で瑠璃に話しかけていた。
「誠美味じゃ!」
足元がぐらついていた崇剛は我に返り、プリンのクズを口のまわりにつけて、大はしゃぎで食べている聖女の横顔を見つけた。
斜め向かいで、霊感がまったくない涼介が頬杖をついて、疑わしい視線を見当違いのところに向けている。
「瑠璃さままた、プリンだけ食べてるんじゃないだろうな?」
崇剛と大鎌を持った敵だけが異常で、あとは平和な日常だった。冷静な水色の瞳はついっと細められる。
おかしい――
崇剛の思考回路を残して、全ての時の流れがゆっくりになったような気がした。策略家は可能性の数値を追いかけ始める。
悪霊の姿は瑠璃に見えている可能性は99.99%――
しかしながら、彼女は驚いているように見えない。
瑠璃が時刻を気にしていたことは、こちらと関係している可能性が99.99%――
ダガーへ伸ばしていた手を静かに元へ戻した。そうして、崇剛は思案する事実の範囲を広げる。
従って、昨日のラジュ天使の言葉は――
本当であるという可能性は67.89%――
すなわち、嘘であるという可能性がある。
そのあと、彼は以下のように言いました。
『従って、冷静な判断を欠くような考え方は決して赦されません。ですが、これだけは伝えておきます。心で想うことは自由です。私があなたを敵から守ります。ですから、どなたかを想ってもよいのではありませんか?』
こちらも嘘である可能性がある――




