Escape from evil/5
数字に強い、優雅な策略家は聖女の仰せのままに、電光石火のごとく即答した。
「十一時十八分前後だと思いますよ」
「そうかの?」若草色の瞳はドアのサイドポケットへ落とされ、小さな唇からボソボソと、「それだと、早すぎるの……。あっちは十五分と申しておったかの。どうすればよいのじゃ?」
嘘のつけない聖女は、思いっきり言葉がもれ出ていた。いや、情報漏洩を引き起こしていた。
昨日から怪しすぎる態度を見せている、漆黒の髪に隠されてしまった聖女の小さな背中を、冷静な水色の瞳に映しながら、木漏れ日がマダラ模様を描く車窓に、崇剛は身を預けた。
どなたかと会う約束をしているみたいです。
時刻は、十二時十五分であるという可能性が87.69%――
そうですね……?
今は結界が張ってありません。
ですから、指示語だらけの思考回路へ切り替えます。
組んでいた細い足をエレガントに組み替え、腰元のシートでダガーの柄がググッとくぐもった声を上げた。あの金の長い髪を持ち、邪悪という代名詞が似合うサファイアブルーの瞳をしている天使が脳裏に浮かぶ。
ラジュ天使の人間関係と策略……。
そららから判断すると――
想像の世界で、戯言天使が蜃気楼にゆらゆらと揺れると、無感情、無動というカーキ色の瞳と、深緑の短髪をした天使へと姿を変えていた。
あちらの方がいらっしゃるという可能性が98.76%――
そうなると、先ほどの非常に大きな何かが動いているという可能性が54.78%から、さらに上がり、68.99%――
なぜこんなにも、天使が関係しているのか。疑問の泉に情報という石が次々に投げ入れられて、波紋がいくつも広がってゆく。
レベルの違う策略をしている神父と聖女の真正面から、瞬の澄んだ声が、子供らしい言葉で、瑠璃に手を差し伸べるように言った。
「パパ、あるいてのぼりたいね」
「そうだな」
向かい合わせになっているシートの上に座っていた、涼介が車窓から景色を楽しみながら、気ままにうなずくと、聖女の白いブーツの足が勢いよく立ち上がった。
扇子のような袖をともなって、向かい側にいる瞬へ、少女の指が突きつけられた。
「それじゃ! 途中から歩いて参らぬかの?」
仕事で三沢岳へきているのであって、遊びできているわけではない。崇剛にとってこれ以上ない、非合理極まりない登山方法だった。
瑠璃は時間稼ぎをしようと、しているように見える。
瑠璃は私の守護霊です。
従って、私の心は筒抜けです。
それでは、こうしましょう。
情報は欲しいが、相手は自身の守護霊。心に思い浮かべれば、即座に手の内が読まれてしまう。最新の注意を払いながら、策略家は基本の疑問形を放った。
「仕事できています。頂上付近まで自動車で登り、転落現場を霊視するが一番合理的な方法です。なぜ、歩いて登るのですか?」
指を瞬に向けたまま、瑠璃は油差しの効かない人形のように、首をギギーッと崇剛へやって、表情が引きつった。
「……そ、それはの……。す、崇剛の……運動不足を解消しようと思っての」
「そうですか」
どうとでも取れる相づち。そうしてとうとう、言葉がもつれまくりの聖女に、策略家の鋭い一手が迫った。
「ラジュ天使から何を言われたのですか?」
蟻地獄ことはまさにこのこと。答えたが最後、もがきながらも砂に埋れてゆくようなものだった。
それを知らずに、瑠璃はうっかり罠にはまってしまった。
「ラジュは戻ってきてはおらぬ。お主、珍しくはずしておるぞ」
「わざと間違った人の名を出したのです。はずれていて当然です」
崇剛もラジュには会っていなかった。聖女は二重の罠の前に屈したのだ。
「うぐ……!」
誰かに何かを言われたことはすでに認めたこととなっていて、崇剛の次の質問は自身が予測した通りのものとなった。
「それでは、どなたから言われたのですか?」
冷静な水色の瞳は今はどこまでも冷たい。車窓の外とは違って、氷河期を迎えたような車内。
ただならぬ空気を感じて、乙葉親子は向かいのシートで、一人話している崇剛と、実は一緒に乗っている瑠璃をうかがっていた。
守護霊であろうと、ルールはルールからはずれれば、崇剛は血も涙もなく質問攻めにするほど、厳しい性格だった。




