Escape from evil/2
――不意に吹いてきた新緑の香りがついた春風が、崇剛の汗だくの額から雫を拭い去ってゆく。
――妙な間が、ベルダージュ荘の食堂に漂っていた。崇剛と瞬は何も言わずに、瑠璃をじっと見つめた。その様子から、涼介も何かが起きていることを感じ取った。
聖女が座っているだろう、姿の見えない住人の食事をのぞき込んだ。
小さな両手をテーブルクロスの上に乗せて、身を乗り出している聖女の横顔を、崇剛は冷静な水色の瞳で眺める。
先ほどから三度も、瑠璃は言葉に詰まっている。
話の内容もおかしいです。
霊視をしに行くとひとつ前に、私は言っています。
仕事で行くのです。
そちらへ、涼介と瞬を一緒に連れてゆくというのはおかしいです。
瑠璃は嘘をつくことが苦手であるという傾向がある。
これらから判断すると――
何かの理由があり、瑠璃は涼介と瞬を誘ったという可能性が98.78%――
守護する人の心の内ははっきりと聞こえている守護霊――瑠璃は崇剛のほうはできるだけ見ずに、収集がつかなくなりそうな会話を何とか進めようと模索していた。
――崇剛は目の前に迫ってきた、小枝と新緑の葉っぱを日焼けのしていない腕で、目に入らないように押しのけ、坂道を登ってゆく。
――純真なベビーブルーの瞳は、パチパチと不思議そうに何度か瞬きされていたが、瞬はコップを握ったまま、瑠璃に話しかけた。
「ぼくも?」
何とか順調に進み出しそうな会話を聞き、崇剛は残りのサングリアを口に含み、グラスをテーブルへ置くと、給仕係がすぐさまルビー色を注いだ。
「瑠璃様、何て言ってる?」
フォークを立てて持って、涼介は斜め前の席に座っている息子へ問いかけた。
「いっしょにいこうって」
「どういうことだ?」
そんな話など今まで一度もなかったのに。涼介は手元を見つめて、首を傾げた。聖女の提案には、全員疑問を持っていた。
――茶色のロングブーツはさっきからずっと坂道を登り続けていた。
その前を自分とは違う法則――浮遊という動きで進んでゆく、白と朱を基調にした巫女服ドレス。
鏡のように反射する漆黒の髪を持つ聖女が物珍しげに、林を眺めていた。
「瞬、あれは何じゃ?」
「ちょうちょだよ」
純粋で幼い声が楽しげに応えた。半袖シャツに半ズボン。そこへまとわりつくように、肩から斜めがけした水筒と、日差しから守るための子供用の帽子。
それらを少し遠くから見上げる形で、冷静な水色の瞳には映っていた。
――昨夜の回想。ベルダージュ荘の食堂では、瑠璃に視線が集中していた。崇剛はあごに手を当て、聖女の横顔をそっとうかがった。
情報を得られるかもしれない――。
そう思い、策略家は瑠璃に問いかけた。
「なぜ、涼介と瞬も一緒でなくてはいけないのですか?」
聖女は油差しの効いていない人形のように、ギギーッと崇剛にぎこちなく顔を向けた。指先を胸の前で、落ち着きなさげにトントンとする。
「そ、それはの……」手詰まりになりそうだったが、「あぁ、そうじゃ!」と少し大声を上げて、「みな一緒のほうがピ……ピ……? 横文字は弱くての」
とってつけたみたいな話をしている聖女に、崇剛は助け舟を出した。
「ピクニックですか?」
「そう、それじゃ!」瑠璃は勢いよく指差し、「そ、それみたいで、楽しかろうと思っての」さっきから言葉に詰まってばかりだった。
誰が見ても、聖女の様子がおかしいのは手に取るようにわかった。当たり前のように、食堂に沈黙が降りる。
「…………」
屋敷の人々はしばらく、ぽかんとした顔をしていた。




