血塗られた夜の宴/8
様々な数字が崇剛の脳裏で変化を遂げる途中で、青白い幽霊が次々に顔から現れ始めた。
あっという間に囲まれてしまった。数々の戦闘をくぐり抜けてきた崇剛には、予測ずみで勝算はまだまだあった。千里眼の持ち主の精神を狂わせるように、悪霊たちは口々に言う。
「返して……」
「返して……」
恨めしげな瞳で、おかしな方向へ首を曲げたまま、ゆっくり動いていたかと思うと、いきなり素早く手を伸ばすを繰り返す。
大量の悪霊たちの言葉を、崇剛は冷静な頭脳に焼き付けた。
何を返して欲しいのでしょう?
そうですね……あちらであるという可能性が非常に高い――
鞘からダガーを人差し指と中指で挟み抜き、自分へ向かってくる青白いたくさんの手を的確にさけ続けてゆく。
――千里眼の持ち主でも見えないどころか、気づきもしない、真っ白な服を着た男が屋根の上に立っていた。月明かりに大鎌の刃元が鋭く光る。
「そう」
風に揺れるボブ髪の奥から赤い目がふたつ、無機質にただ見ている。神に身も心も捧げた神父が追い詰められてゆく様子を。
崇剛が履いているロングブーツのかかとは、芝生の上を少しずつ後退してゆく。それでも、冷静な頭脳は正常に稼働中だった。
未だ上空に浮かんだままの死装束に身を包む女を、氷の刃という名がふさわしい水色の瞳でうかがう。
死装束の女が言った『助けて』
悪霊が言った『返して』
死装束の女は手を下していません。
物事がいくつか重なっているという可能性が出てきた――
そうなると、死装束の女は邪神界であるという可能性は下がり、50.00%――
すなわち、振り出しに戻ってしまった。
――崇剛の背後にある屋根に立つ男。天使の証である光る輪っかも立派な両翼もなく、彫りの深い淡麗な顔立ちは、死神みたいな風貌で裸足のままで、血も涙もないという言葉がぴったりだった。
「いらないやつは殺さないとね」
神羅万象なのに、あらゆる矛盾を含んだような声が一人きりの世界に響き渡る。それを聞き取るものは今はどこにもいなかった。
他の霊が発する念が邪魔をしているのか、死装束の女の青白い唇が動いても声は聞こえず、崇剛はチャンネルを変えたが、同じだった。
(そうなると……)
命を、メシアを奪おうと、引っかくように伸びてくる手をダガーで防ぎ続ける。
(邪神界に邪魔をされている……。もしくは罠……。それとも別の何かがある。どちらなのでしょう?)
慣れた感じで握った柄に左手をかけ、ずらす仕草をしてダガーを分身させる。悪霊の弱点を狙い刺し、右へ左へと体をねじりながら、結界のある館の壁へ次々にダガーごと悪霊を投げ、磔にしてゆく。
時おり庭にある樫の木へ向かって投げつけ、邪神界の証である黒い影を、次々に浮かび上がらせる。
しかし、ラジュと引き離されている今、悪霊は浄化できないままだった。
聖霊師の内側に流れる聖なる声は、月夜の元で終焉と再生という、相反するものを歌い続ける。
Sors immanis/畏敬の運命。
Et inanis/虚ろで。
Rota tu volubilis/輪廻転生に踊らされ。
Status malus/行いは邪悪。
Vana salus/空虚な救い。
Semper dissolubilis/その糸は儚く脆い。
磔にしても別の悪霊がダガーを引き抜き、解放してしまう。倒しても倒しても数が減らない、悪循環へと崇剛は陥れられてしまった。
――屋根の上で今も見ている男の指先に、突如マスカットが現れた。しゃくっと歯でかじると、甘くさわやかな香りが漂った。シルバー色の線を描き続けるダガーの軌跡を、赤い目で見物する。
「ね? レプリカだからいいけどさ、オリジナルだったら相手も使えちゃうから、あいつもう殺されちゃってるね。そうね? 劣勢。いいね」
男にとってことは順調に進んでいるようだった。




