Disturbed information/8
気だるそうにウェスタンブーツの足を床にどかっと下ろし、死んだような目で終業時間を待ちわびている同僚に、国立は一言断った。
「はずす」
あの骨董店で、真っ直ぐ自分の目を恐れずに見返してきた女。彼女と元がどんな輪廻転生を送ってきたのかは知らないが、人として最低限の礼儀はわきまえるべきだと、国立は思った。
(教えてやらねぇとな)
椅子から立ち上がった兄貴の脇で、
「じゃあ、俺は戻るっす!」
若い男は足早に聖霊寮から出て行こうとした。国立はジーパンのポケットから小銭入れを取り出し、一枚つかむと、その後ろ姿へ向かって、コイントスするように親指の爪で弾いた。
「それ、受け取りやがれ」
濁った部屋の空気中をコインはくるくると回転していきながら、
「礼だ。飲みモンでも買えや」
若い男が振り向くと、ちょうど胸の前に、コインが飛んできているところだった。両手でしっかりとキャッチする。
「サンキュッす!」
後輩はペコリと頭を下げて、聖霊寮から勢いよく出ていった。
*
聖霊師の度重なる事情聴取の合間。束の間の休息にしたかったが、元は床に視線を落とし、部屋の片隅で両膝を抱えて縮こまっていた。
「な、何なんだ? さっきのおかしな人たちは……。見えないものなんか、存在しないだろう。どうして? 俺がここに……早く家に帰って、知恵の――」
その時だった。聞き覚えのある、かちゃかちゃという金属音が鳴り響き、近づいてきたのは。元が顔を上げると、国立が鉄格子の向こう側で仁王立ちしていた。
「恩田」
「は、はい!」
ドスの効いた声に、元は十センチほど震え上がったようだった。そこへ容赦なく、国立から衝撃の言葉が浴びせられた。
「カミさん、さっき入院したぜ」
悪霊が関係するのか。それとも別の理由でなのか。判断がつかないまま、犠牲者が増えてゆく予感が漂っていた。
妻の元へ無事に帰れると思っていた夫の表情は驚愕に染まった。
「え、え……!?」
心霊刑事は部屋の片隅で、小さく丸まるように座っている元と視線を合わせるため、鉄格子に手をかけたまま、ズズーっと金属同士が擦れる音をにじませて、かがみ込んだ。
「白血病だ」
「う、嘘ですよね?」
元は懇願するように聞き返した。医者がほとんどいない花冠国。その病名は死を意味していた。国立は真剣な眼差しを向ける。
「虚言は言ってねぇぜ」
気が動転してしまって、元はぼうっと宙を見つめたまま、ぽかんと口を開けて固まった。
「あの女、このままいったら殺されちまうかも知れねえぜ」
牢屋の中にいる男のまわりで、人が死んでゆくのだ。一人無事なのはこの男だけだ。犠牲者が増えないうちに、事件に片をつけてしまいたいのだ。
石臼を挽いたようにジャリジャリとウェスタンブーツの底で鳴った。立ち止まっている暇はない。国立のしゃがれた声が牢屋に軋む。
「現世は遊びじゃねぇんだよ。死んじまったら終了だ。滅んじまった肉体は、神様でさえ蘇らせられねえぜ」
「そ、そんな……」
元はやっとそれだけ言うと、床の上に力なく平伏した。頭を抱えて、物言わぬ貝となる。
(御幣[脚注]を持った気違いみたいな人。透明な丸いものを見つめてる人。それから……。もう二日も、変な人ばかりに会って……。気が狂いそうだ!)
嘆き悲しんでも何も変わることはない。それよりも現実逃避をする弱さ丸出しの男を前にして、国立はあきれた顔をした。
(体に触れる、接触霊視。霊を自分に憑依させる、霊媒。道具を使った、水晶霊視。からよ――)
焦点の合わないぼんやりとした心霊刑事の耳に、元のおどおどした声が割り込んできた。
「――あ、あのぅ……?」
「何だ?」
国立の鋭いブルーグレーの眼光が、元を刺し殺すように向けられた。
どうしてもここから出たい元。
と、
どうやっても原因を突き止めたい国立。
ふたりの間で一悶着起きるのだった。
[脚注]神祭用具の一つ。紙または布を切り、細長い木にはさんで垂らしたもの。




