ダーツの軌跡/15
「……ん」
健やかなスースーという寝息が聞こえてきて、涼介の警戒心は一気に氷解した。
「……寝てる。飲み過ぎ?」
テーブルの上に乗っているカラのデキャンタ三個を見つけて、あきれた顔をする。
「お前、さっきから様子がおかしいと思ってたけど……。やっぱり酔っ払ってたのか!」
膝枕をしている主人を見下ろして、執事の文句は続いてゆく。
「神父は過剰な飲酒はしないんじゃなかったのか? 珍しいな、お前が信条を破るなんて……。昼間、俺が言ったことを気にしてるのか?」
動揺している主人など今まで見たことがなかった。どんな時でも完璧と言わんばかりに、物事をこなしてゆく崇剛だった。
自分と同じようにやはり人間なのだ。そんな彼を傷つけたのかもしれないと思うと、
「仕方がない、運ぶか」
メシアの影響でよく倒れる主人を、執事は慣れた感じでお姫様抱っこし、崇剛の寝室へ運び出した。
*
目的の部屋へ、涼介が崇剛を抱えてやってくると、勘が働く執事は違和感を強く持った。
「ん? ドアが開いてる? 変だな? 崇剛はドアをきちんと閉めるだろう?」
冷静な水色の瞳がまぶたから姿を現すことはなく、今も固く閉じられている中性的な主人の顔をじっと見つめる。
「どうなってるんだ? さっきからおかしいことが多い……。まぁ、このほうが中に入りやすい」
両手がふさがっている涼介は、右足でドアを部屋の中へ蹴り入れて、ベッドまで運び、崇剛をそっとシーツの上に下ろした。
腕を抜き取りあとは帰るだけとなると、優雅だが小さな声が男ふたりきりの部屋でさざ波を立てた。
「……さん、……ます。……さん、愛しています――」
主人の寝言を聞いて、涼介はベッドの隅に静かに腰を下ろした。意識のない崇剛の神経質な寝顔を、月明かりの中だけで真剣な眼差しで見つめる。
「お前また、そんなこと言って……」
両手を膝の上で組み、やるせなさそうにきつく握りしめた。
「だから、お前の気持ちに気づいたんだ」
涼介はベッドからそっと立ち上がり、崇剛に毛布を優しくかける。
「お前、神父になんかならなくてよかったんじゃないのか?」
青白い月明かりでも、主人の頬が滑らかなのがよくわかった。
「それとも自生するためなのか? なったのって……」
レースのカーテンを少しだけ開けると、一筋の光が部屋へ差し込んだ。それはとても寂しげで、涼介の視界は涙でにじむ。
「どうして、そんな切ない人の想い方をするんだ?」
涙がこぼれないように執事は顔を上げて、星空をしばらく仰ぎ見ていたが、顔を再び落とし、策略的な主人に向かって、
「この、ロリコン神父!」
一言文句を言って、涼介は部屋から出てゆく。アーミーブーツは静かに廊下へ出て、崇剛の寝室のドアを閉めると、廊下を照らすガス灯の下で壁に手をついて、誰もいないことを確認すると、今の暴言を真偽にかけた。
「ロリコン……違うな。相手は百年も生きてる。百八歳、年上……マザコン?」
千里眼のメシアを持つ聖霊師の性癖を言い表す言葉がなく、涼介は頭を悩ませる。
「それも違う。同じ歳だった時もあったんだろう?」
生きている世界の法則が違うふたり。子持ちの執事は想像してみる。
「崇剛だって、子供の頃があっただろう? 三十二年間ずっと一緒……? そうだな? 話もできて姿も見える。でも、触れられない」
ボソリボソリと言葉を並べてみる。
「幽霊……スピリチュアル コンプレックス……略して、スピコン? それが合ってるな。崇剛の性癖はスピコンだ。ってことは、さっきのは……」
執事は主人の寝室の前で、ささやき声ながら思いっきり暴言を吐いた。
「この、スピコン神父!」
気分がスッキリした涼介は、両腕をグーっと大きく上へ伸ばして力を抜いた。
「俺も寝るか。瞬、一人で寂しい……」
そこで、父は息子のことで、今度は別の違和感を抱いた。
「いや、瑠璃さまがいつもそばにいるからな、寂しくないだろう。でも、どうして、瑠璃さまは瞬のそばにいつもいるんだ? 崇剛の守護霊だろう?」
おかしなことは数あれど、無事に一日が終了したことに、涼介は穏やかで平和な気持ちに満たされ、少しだけ微笑み、廊下を歩き出した。




