神父は聖女に悪戯する/2
しかし、崇剛のデジタルな頭脳はさらに稼働するが、今導き出した数値が全てひっくり返されるような内容が、月を雲が隠すように真っ暗にしてゆく。
その時だった、聖女の憤慨した声が聞こえてきたのは。
「他にも、除霊の札を二百作れと申しておったわ!」
お陰で夕食に間に合わず、遅刻をして、屋敷の人間に心配をかけるという事件が起きてしまった。しかも、目を覚ましたら、ちゃっかりいなくなっていたのである、あの腹黒天使は。
「我を気絶へと陥れおって、ラジュめ!」
「そうですか」
強風がにわかに吹き荒れ、崇剛の長い髪が怪しくなびき、貴族服の上着も翻され、聖なるダガーが何かと対峙するように顔をのぞかせた。
去年の八月十五日、土曜日――。
そちらの日付が、今までで一番お札の数が多い時でした。
ですが、四十枚です。
二百……は数が多すぎます。
そうなると、先ほどのことを含め、四つの事実から以下の可能性が99.99%で出てきます。
非常に大きなことが起きている――。
残りの0.01%は別の何かが起きているです。
幼いのに百年の重みを感じさせる瑠璃の声が、考え中の神父の耳に割って入った。
「お主、気を抜かんほうがよいぞ」
「えぇ、そうですね」
メシアという特殊能力を持っている以上、狙われるのは必須だった。くりっとした若草色の瞳と冷静な水色の瞳が、夜という艶かしさを感じさせるものを通して真摯に交わる。
ハーフムーンの青白い明かりと、草木をさらさらと揺らす風音がまるで嵐の前のような静けさを物語っていた。
神父と聖女は数々の心霊事件を記憶で駆け抜けてゆき、しばらく同じ薄闇を共有しいたが、崇剛は街明かりを望む形で目をそっと閉じる。
(私もいけませんね。あなたを困らせることが好きだなんて……)
さっと開けられた瞳には、悪戯という光が宿っていた。いつもの癖で、ポケットから懐中時計を取り出した。
明かりがなく、針がどの位置にあるのか肉眼では見づらかったが、千里眼の持ち主には関係なかった。
しかし、針の場所を見るのではなく、彼の脳裏に浮かび上がってくる。
八、四、五、七……。
四桁の数字が前から、風で吹かれたシーツでも顔にかぶるように迫ってきた。今までの経験値を生かして変換する。
二十時四分五十七秒――もしくは、二十時四十五分七秒――
そうですね……?
過ぎゆく時間。懐中時計を千里眼という特殊な視力でもう一度感じると、別の数字が羅列していた。
八、五、ゼロ、二……過ぎた時間の感覚。
こちらから判断すると、二十時五分二秒ですね。
何かをあとでするために時刻を確認したところで、崇剛は懐中時計をポケットにしまった。冷静な水色の瞳の端で、巫女服ドレスを着た少女を捉える。
ラジュ天使があなたにあちらのことをおっしゃったという可能性75.56%――
こちらで、確かめてみましょうか?
策略家の異名を持つ神父は何気ないふりで、聖女に罠を放った。
「瑠璃さん、今日はラジュ天使にあちらのことは言われませんでしたか?」
瑠璃の表情はみるみる怒りで歪んでゆき、
「言われたわ! お主の言葉で今思い出したわ!」
聖女は石畳の上で地団駄踏んだ。自分の思惑通り怒り出した少女を前にして、三十二歳の崇剛はくすくす笑う。
「何とおっしゃったのですか?」
「『壁ドン』とか申しておったわ!」
「…………」
あんなに流暢に話していた崇剛から返事は返ってこなかった。瑠璃は隣に立っている男を見上げ、不思議そうな顔をする。
「壁ドンとは何じゃ?」
百八年前に生まれ、屋敷にずっといる聖女には今時の言葉は通じなかった。崇剛は瞬発力バッチリですと言わんばかりに、神経質な手の甲を中性的な唇に当てて、くすくす笑い出した。
「…………」
肩を小刻みに上下させながら、とうとう何も言えなくなって、彼なりの大爆笑を始めた。月影を浴びて石畳に映し出された崇剛の影は悶え苦しむ。
彼の笑いのツボはここだった――。
ラジュ天使の身長は二百十センチです。
瑠璃は百二十一センチです。
身長差が七十九センチあります。
どのようにして、壁ドンするおつもりだったのでしょう?
届かない、効果がないという可能性96.45%――
ラジュ天使がかがみ込まれるのでしょうか?
天使の腰までも背丈がない聖女。その状態での壁ドン。あまりにもおかしな光景だった。ひとしきり笑ったところで、崇剛はあごに手を当て優雅に微笑む。
(そうですね……?)
冷静な頭脳に膨大なデータが土砂降りの雨のようにザーッと流れ、必要なものをピックアップしてゆく。そうして、屋敷へスマートに振り返り、水色の瞳はついっと細めた。
(こちらの方法は、涼介の懺悔に使えるという可能性があります。スズランの件がありますからね。いつ、どのように罠を発動させましょうか? そうですね……?)
生霊の訪問時間で考え損ねていたことを、デジタルに今からスムーズに再開した。
(ダーツの約束をしていましたからね。そちらに組み込みましょうか?)
危険な夜。大人のゲームが始まる予感が漂い出ていた。ベルダージュ荘の廊下の窓からもれるオレンジ色のガス灯の下で――




