主人と執事の大人関係/8
数多の心霊現象に出会ってきた聖霊師は、紺の長い髪を横へゆっくり揺らした。
「そちらの言い方は正確には違います。前世とは、ひとつ前の人生のことだけを指し、過去世は今までの人生全てを指します。残念ながら、過去世であることはわかりますが、前世かどうかまではわかりません。輪廻転生を見るには、時間と霊力が少々かかります」
「そうか……」
涼介はビールを一口飲み、椅子の背もたれにどさっと背中を預けた。物思いにふける。いくつもの人生という鎖はどれほど長くて、他にどんな人がどう関わってきたのか考え始めると、森羅万象という宇宙の中に放り出された気がした。
ハの字に置かれたナイフとフォークを舐めるような、ガス灯の明かりが映り込む。サングリアのルビー色が中性的な唇から体の中へ落ちてゆく。
「それから、こちらは私の千里眼での感覚でしかありませんので、憶測でしかありあませんが、ひとつ目は本人が直接関わっていないという可能性があるかもしれません」
長年の勘――。何がどうとうまく説明はできないが、ふたつのパズルピースを合わせようとするが、噛み合わないのではなく、次元が違う場所ですれ違う。そんな感じだった。ただ宇宙は同じなのだ――関係があると匂わせる。
「三つ目は複数の悲鳴が聞こえてきています。従って、同じ目に遭った人が他にもいるという可能性が出てきます」
「邪神界に殺されたってことか? 悲鳴がして何人も落ちったってことか、そういうことだろう?」
崇剛が涼介に身を乗り出すと、シルクのブラウの中に隠してあるロザリオがまるで忠告するようにテーブルにぶつかり、ゴトンと濁った音を立てた。
「先ほど約束しましたよ、断定しないと。こちらは仮定を基にしての話です。事実がほとんど入っていません。ですから、決めつけるのは非常に危険です」
瞬が体感した三番目の場面――落下速度がリアルに崇剛の体を襲うが、聖霊師の懸念はそれだけに止まらなかった。
(今回の件に関しては、多数の思惑が交差しているという可能性がある――)
涼介ははっとして、ぬるくなってしまったビールを一気飲みした。
「そうだったな……」
崇剛の線の細い貴族服は背もたれにもたれかかり、ロングブーツの足は優雅に組まれて、両腕は椅子の肘掛にもたれかけさせられた。
それは何気ない仕草だったが、勘の鋭い執事は待ったをかけた。
「お前、今、話終わらせようとしただろう?」
冷静な水色の瞳と真剣なベビーブルーの瞳は絡み合ったまま、ふたりきりで意見をぶつけ合いをする。
「世の中には知らなくてよいこともあるのです」
「敵を知っておかなかったら守れないだろう」
「あなたが悲しむという可能性が高くなりますよ」
「それでもいいから……」
「仕方がありませんね」
千里眼の持ち主はどれだけ世界が歪んでいて、腐り切っているのかの説明を霊的な見地からし始めた。
「邪神界にも霊層というものは存在します。そちらは地位と名誉と力です。そちらを手に入れるためならば、どのようなことでもしてきます。邪神界では他人を不幸にすることで霊層が上がるのです」
涼介は理解しようと自分の中に招き入れようとしたが、水と油みたいに交わらず、異物でどうにもピンとこない話だった。
過去の事件ファイルから、崇剛は具体例を持ち出した。
「小さな子供が親族一同をなくし、悲しみに暮れて、他の人から同情されて熱い待遇を受ける」
ここまでなら、お涙頂戴のいい話だが、聖霊師が見ているものは人と違っていたのだった。
「ですが、本質はそちらの子供が邪神界の上のランクで強力な力があり、人々から注目されたいがために、親族一同を他の邪神界の者を使って殺したのです」
いつも穏やかな執事だったが、ふと怒りに駆られて、唇を強くかみしめた。
(人を殺してまで……自分のことが大切か! だから、だから……!!)
悔しくて悔しくて、涼介は熱くなった目頭に手のひらを当てた。
「――それでね、るりちゃん」
瞬の話し声がふと耳に入り、
(ダメだ、ここで……)
涼介は椅子をガタガタと後ろへ押し出し、すっと立ち上がり、途切れ途切れて言った。
「ビール……取ってくる」
(泣いてから戻ってくる)
崇剛は、「えぇ」と短くうなずき、涼介の大きな背中がキッチンへと消えてゆくのを見送る。
(やはり、あなたが悲しんでしまいましたね。今でも、涼介は彼女のことを愛しているのですね)
乙葉 涼介が執事ではまだなく、患者だった頃のことを、崇剛は鮮明に思い出すと、同じ立場に立てないながらも、心が悲しみで震えるのだった。




