主人と執事の大人関係/6
完食したスプーンをカランと小さな器へ置き、瑠璃はナプキンで口元をぬぐいながら、
「涼介、瞬の申したものを我に作るがよい」
聞こえていないはずなのに、絶妙なタイミングでコックは答えた。
「ホイップクリームは作ってやる。ビーフストロガノフを作った時のやつが残ってるからな」
「我はこのあと、ちと用があるのでな。少々あとにしてくれんかの?」
「食べ終わったあと、皿まで洗ってからだからな。少し遅くなるが……」
「構わぬ」
ふたりの会話がきちんと成り立っているのを聞いていた、崇剛はくすくす笑い出した。
(おかしな人たちですね、あなたたちは。なぜ、意味が通じているのでしょう?)
小さな通訳が、瑠璃と涼介の会話を綺麗にしめくくった。
「パパ、それでいいって」
しばらく、食器の音と、瞬が話す声が食卓に響き、崇剛が相づちを打ったりが続いていた。
霊感がない涼介はちぎったパンをスープへ浸すと、途切れた会話にさりげなく入った。息子には聞こえないよう小さな声で崇剛に聞く。
「今日は何を見たんだ?」
食の細い主人の皿はあまり手がつけられておらず、デキャンタのワインだけが量を減らしていた。
「今のところは何とも言えませんね」
「千里眼を持ってるお前でも見えなかったのか?」
「いいえ、見えましたよ」
「じゃあ、どうして言わない――」
崇剛はゆっくりを首を横へ振り、涼介の言葉をさえぎった。
「事実でない以上、話すことはできません。嘘になる可能性があります。あなたが悲しむかもしれません。ですから、あなたに伝えることは――」
「瞬が関わってるのなら、親である俺が知っておく必要はあると思うが、違うか?」
対する執事も真剣な眼差しで、瑠璃と楽しそうに話している息子とちらっと見た。
「そうなんだ。るりちゃんもいっしょだね」
無邪気に微笑む子供の前で、父と聖霊師は一直線に視線を交わらせた。真摯なベビーブルーの瞳と冷静な水色のそれ。
息子への愛。それは、デジタルな頭脳を持つ聖霊師にとっては感情。だからこそ、紺の後れ毛を横へ揺らして、鮮やかなまでに切り捨てた。
「私一人だけの判断であって、審神者をまだしていません。ですから、教えられません」
「サニワ?」
聞き慣れない言葉が出てきて、涼介は不思議そうに聞き返した。千里眼を持つ聖霊師として、学んできた崇剛は、「えぇ」と短くうなずいて、
「大きく分けて、二通りの効果があります。ひとつは霊界は心の世界です。時間軸が簡単にずれてしまいます。そうですね……?」
崇剛はワイングラスをくるくる回すと、サングリアが赤い波を描いた。
「例えば、朝食のことを今思い浮かべたとしましょう」
「あぁ」
「こちらの時点で心はすでに朝食の時間――過去へと戻っています。そのようなことが簡単に起きるのです。ですから、見えているものが現時点のものであるのか、過去のものであるのか判断する、審神者という作業が必要となります。こちらをしないと、すでに除霊されている悪霊などがいるように見えてしまい、間違いを引き起こす可能性が高くなってしまいます」
涼介はフォークで刺していたロールキャベツを口へ運んだ。
「もうひとつは?」
闇色が広がる庭へ、冷静な水色の瞳は真っ直ぐ向けられた。
「邪神界の者が邪魔をし、事実を歪めたり、偽の情報――幻を現世のものに見せたり、感じさせたりします」
「例えばどんなふうにだ?」
「同じ方が何度も現れ、違うことを毎回言われるということがありました。他人になりすますことも、邪神界は簡単にしてきます。そちらのことが原因で、私も何度か危険な目に遭っています」
「見分ける方法は?」
「ですから、真意を見極めるためにも、霊層の高い霊である瑠璃さんの審神者が必要なのです」
「そうなんだな」
霊感のある息子が見ている世界は決して安全――いやとても危険なところだった。瑠璃と楽しそうに話しているのを視界の端で捉えながら、涼介は考える。
(俺が思ってる以上に危険なんだな。それでも、俺はこいつを守ってやりたい。もう失いたくない。だから――)
胸が張り裂けそうな痛みに思わず目をつむったが、父性のもとに涼介は口を開いた。
「それでも、教えてくれ」




