夜に閉じ込められた聖女/6
ラジュは思う。上に立つ者――天使というのは時に孤独な職業だと。人間とは見ている範囲が違って、誰か一人だけ幸せになるように働きかけるわけにはいかない。惑星全体で協力していかないと、守護という仕事はできないものだ。
瑠璃は床の上で身を清めるように、白いショートブーツのかかとをつけて姿勢を正し、後ろで聖なる光を放っている天使へ聞く。
「お主も少し手伝ったらどうじゃ? みな、我がやるのか?」
「おや? 天使の力では強力すぎて、こちらの世界の建物が壊れ、死人が大量に出ることはまぬがれませんが……。私個人的には構いませんが、そちらでも良いのでしたら、私もやりますよ〜? うふふふっ」
世界崩壊を本気で望んでいる天使を前にして、瑠璃は悪あがきをすることをやめた。
「相わかった」
話し声が止むと、部屋の空気が神聖なるものに変わってピンと張り詰めた。聖女はそっと目を閉じ息を吐き切って大きく吸い、両手を重ね前へかざす。
「出でよ!」
まぶたをさっと開けると、一枚のお札がかざした手の向こうで、緑色の光を帯びた狐火――焔のように四角い形で浮かび上がった。
両腕を左右へぱっと広げると、巫女服ドレスの袖が扇子を開いたようになった。
「数二百」
お札は幾重にも円を描くように、瑠璃の透き通った幼げな顔と同じ高さのまわりに綺麗に整列した。
緑がかった光が体の縁から風が下から吹き上げるように、ゆらゆらと登ってゆく。聖女として言霊の力を操る。
「願主、瑠璃!」
穢れを払うように、パンと両手を顔の前で鳴らし合わせ、祝詞を低い声で唱え始めた。
「道切を修し奉る。家に身に禍は寄らじな、ちはやぶる久那土乃神の坐さむ限りは……」
再び両手を体の前でかざし、神経を集中させる。聖女としての霊力を使い体を少しずつ回転させながら、自分から出ている光でろうそくの炎を点すように、除霊のお札に一枚ずつ念を込めてゆく。いい感じで作業が進んでいるところで、
「――あと数枚は用意しておいたほうがいいかもしれませんよ。足りないかもしれませんからね〜」
集中力が削がれた瑠璃は、射殺すように天使をにらみつけた。
「お主、気が散るであろう!」
「うふふふっ……」
不気味に笑っているラジュが何をしてきたのかわかって、お札作りで身を拘束されている瑠璃は、今の最大限で憤慨した。
「お主、わざとやっておるであろう! 先に説明すればよいであろう!」
「おや? バレてしまいましたか〜」
また同じループに入りそうだったのを前にして、瑠璃はひとまずお札に神経を集中して、ラジュのサファイアブルーの瞳とは視線を合わせないことにした。
天使は窓際へすうっと瞬間移動し、瑠璃の真正面を見る位置でふわふわと浮遊し始めた。アンニュイな感じで、聖なる光を放つ白いローブは窓辺にもたれかかる。
(もう既に手は打ってあります。極秘ですが……。敵の目を引きつける……。私も久々に忙しくなりますね〜)
昼間迎えにきた同僚に言われて神殿へ行くと、人払いされた謁見の間だった。こんなことはここ最近なかったことだ。
金の髪を綺麗な手で背中へ払いのける仕草は、女性かと見間違えるような美しさだった。だが、彼の表情は真剣そのもの。
(今のところ、成功する可能性は78.76%。そうですね……? このまま何もせずに待っていると、失敗する可能性が78.79%です〜。このままにしておきましょうか?)
瑠璃がお札の炎を増やしていく前で、ラジュは肩をすくめ、くすりと笑う。
(うふふふっ……というのは冗談です。神にまた叱られてしまいますからね。あの者ももう少しで私の守護下となりますしね)
ラジュの珍しく真剣な顔は月明かりが差し込む窓の外へ向けられ、人では決して見ることのできないはるか遠くへ、天使の瞳をやった。
(自身をごまかす嘘は大罪です。神に仕える身としては、そちらは許せませんからね)
瑠璃の発する緑色の光と銀の月明かりの両方を浴び、神秘と神聖という光のシャワーの中で、ラジュは怖いくらい微笑む。
(どのようなお仕置きをしましょうか? 今から楽しみですね〜、うふふふっ)
策略という罠へ意表をつく形で、悪者を背後から突き落として、これ以上ないほどの残忍な体罰を与える。
それをあれこれ考えると、ラジュの心は至福を迎え、月明かりに輝く窓の中にいつにも増して生き生きと映り込んでいた。




