夜に閉じ込められた聖女/2
六歳の少女を次に襲ったのは、病気ではなく、愛のように見せかけられていた嘘――差別だった。
「私たちまで病気になってしまっては……!」
「だが、一人にするのは……!」
両親の会話が急に遠くなり、目の前が真っ暗になった。
(伝染病……自分はいらない。伝染病……一人になる。伝染病、死んでゆく……)
壁や廊下が歪み始めて意識がぐるぐると回り出し、荒れ狂う波間で揺すぶられるような激しい目眩を覚えた。
瑠璃はそのままショックのあまり、夜の冷たい廊下へ崩れるように倒れ、意識がプツリと途切れた。気絶と孤独の静寂という闇に、少女は飲み込まれた。
それからすぐに、六歳の少女は屋敷の二階にある一番東の部屋へ幽閉された。家の外へ出ることはもちろん許されず、窓には光をさえぎるための黒い幕が張られた。
暗闇と沈黙が嫌というほど広がる部屋で一人きり。召使も使用人もこない。大富豪のラハイアット家。瑠璃の心の隙間を埋めるために、綺麗な洋服をたくさん買い与えられ、ありとあらゆる玩具で部屋はいっぱいになった。
しかし、本当に欲しかったものは人の温もり。両親の愛情。それを欲しながら、瑠璃はくる日もくる日も唯一の光――月を見上げ、様々な感情と一人対峙した。
どれたけ泣いたのだろう?
どれたけ寂しかったのだろう?
どれだけ絶望したのだろう?
どれだけ人恋しかったのだろう?
どれだけ……。
あげればキリがないほどの悲傷の月日が、屋敷内を自由に行き来できた時よりも、気が遠くなるほど長く感じられたが、軟禁状態で確実に時はそれでも過ぎていった。
そうして、幽閉されたまま八歳の誕生日を迎えた翌日、瑠璃は短い一生を終えた――
*
――窓から入り込む月明かりの下。瑠璃 ラハイアット、八歳――実際は百八歳、幽霊はベッドの上でふと目を覚ました。
あれから百年近くも経ったのに、未だに見る夢――過去の記憶。不愉快で毛布を両手でギュッと握りしめた。
「我も念のひとつぐらい、飛ばせばよかったかもしれんの。そしたら、違った一生だったかもしれぬ」
ベッドから小さな影が起き上がって、闇よりも濃い黒い髪を手慣れた感じで、幼い手が払いのけた。
一人きりの部屋だったはずだが、天からおどけた声が降ってくる。
「おや? そのようなことをしてはいけませんよ〜、瑠璃さんは聖女なんですから」
次は声の出どころが変わっていて、部屋のすぐ近くからした。
「怨念を飛ばすことは大罪です。霊層が下がってしまいますよ。霊の一番上のランクなんですから。あとひとつ上がれば、『準』天使で〜す」
人と天使の間――天使予備軍といったところだ。幸せいっぱいといった様子で目の前に突然現れた、薄闇なのに全身が真っ白に光っている天使ラジュ。
ニコニコ微笑んでいるが、その実何を考えているのかわからない腹黒天使へ、瑠璃は胡散臭そうに若草色の瞳をちらっとやった。
「お主、何しに参ったのじゃ? 今日はどんな戯言を申す気じゃ?」
「今日は『壁ドン』で、瑠璃さんを手中に納めようかと思いましてね?」
天使が聖女を誘惑するという、遊びが過ぎるラジュに向かって、瑠璃は吐き捨てるように言った。
「お主など、我の眼中にないわっ!」
「おや? 世の中、何があるかわかりませんよ〜?」
聖女にフラれるわ、暴言を吐かれるわで散々なはずなのに、まさしく天使の笑みで全ての攻撃を無効化にしたラジュ。
彼を捨て置いて、瑠璃はベッドから起き上がり、ドレッサーの前に座った。サラサラのストレート髪にブラシをかけてゆく。
「お主、相手を気絶させるほど魅了しておるであろう?」
鏡にうっすらと映っている幽霊にも見えそうな天使を、少女は鋭い視線で捉え、このラジュがどんな男か暴いてやった。
「お主が通ったあと、女が次々と倒れるという噂を耳にしたぞ。相手は他にいくらでもおるであろう、お主なら」
おかしな現象がまわりで起きている男性天使――ラジュはこめかみに人差し指を突き立て、眉間にシワを寄せた。
「そちらに関しては、私も少々困っているんです。今日も数十名の女性が倒れたんですが、私は何もしていませんし、特別な想いなど思っていません。しかしなぜか、彼女たちが『勝手に』倒れるんです」
瑠璃は話が長くなると思って、また髪をブラシで解き始めた。




