夕闇を翔る死装束/3
執事の右足は逃げられないように力強く挟まれる。四肢の拘束という色欲漂うものに、涼介はびくびくしながら、
「な、何を言わせる気だ?」
主人から質問されたのに、し返した執事。崇剛は冷酷に注意をした。
「ひとつ前にした私の質問に答えてください」
執事の洗いざらしのシャツのボタンは、主人の細い指先でひとつずつはずされてゆく、生まれたままの姿にされるように。
ひまわり色の短髪に触れるほど、肘までシーツの海に崇剛はどさっと沈み込む。中性的な唇は、涼介のそれへと吸い付くように近づいた。
「そ、それは……!」
涼介の胸だけが無防備に露出され、崇剛はおどけたように笑う。
「答えないみたいですから、仕方がありませんね。こうしましょうか?」
すると、千里眼の持ち主で、高い霊力を持つ聖霊師は慣れた感じで人差し指と中指で、腰元の鞘にいる戦友――ダガーの柄を挟んだ。
物質界のもの――本物をすっと抜き取り、悪霊との戦闘開始時と同じように力を抜き、涼介の心臓へ向かって刃先を落とし始めた。
「く〜っ!」
このままでは死んでしまうという恐怖で、涼介は思わず目をつむった。しかし、主人は流れるような仕草で、ダガーの柄を逆手持ちする。
氷雨降るほど冷たい声で含み笑いをして、今までの話の流れとまったくつながらない、こんな言葉を中性的な唇から放った。
「それでは、こちらを使って、哀傷という快楽へ落ちていたさきましょうか?」
涼介が目を開けると、命と引き換えの懺悔が待ち受けていた。主人は執事ののど元へ、悪霊を対峙する時と同じように容赦なく、ダガーをえぐりつけようとする。
「うわぁぁぁっっ!!!!」
激しく飛び散る血飛沫が温かみを持って自分から流れ出る刹那――
*
落ちるとこまで落ちてしまった涼介はそこでやっと、悪夢としか言いようがない残忍なBL妄念から解放された。
「はっ!」
春の穏やかな日差しが、無縁と言うように素知らぬ顔で降り注いでいた。手元のシャベルは、薄茶色の丸い塊を掘り起こしてある。
悪戯が過ぎる神父のお陰で、いらぬ恐怖に陥れられ、涼介は心の中で思いっきり毒舌を吐いた。
(あの、策略神父!)
崇剛の部屋から、くしゃみが聞こえた気がした。五歳の子供の手前、本当のことも言えず、『イタズラ』されたのかと質問されたが、
「注意されただけだ」
と答えたのに、
「…………」
自分に背を向けている小さな瞬から、返事は返ってこなかった。父はそれだけで何が起きているのか直感する。
「お前、つまみ食いはダメだぞ」
「えへへ……」
瞬は苦笑いしながら、野菜たちの隙間から小さな顔をのぞかせた。息子の口元にはイチゴの汁が緋色のシミを作り、甘酸っぱい香りが表情をほころばせている。
瞬のひまわり色の柔らかい髪を、春風が優しくなでてゆく。子供らしいふくらみのある小さな手が、鮮やかなルビー色の実をカゴへと摘み取る。
「イチゴ……ジャム〜♪ ケーキ♪」
デタラメな歌を口ずさみながら、心弾むようにウッキウキで収穫している息子の声を、涼介は背中で感じつつ一息つく。
「よし、こっちは終了」
夕食に使うジャガイモを掘り終えた彼は今度、昼夜問わず鮮やかな緑色を際立たせた夜会のエメラルドとも呼ばれる宝石――ペリドットのようなものに手をかけた。
「キャベツも獲れ時だ!」
キッチンから借り出された包丁は、根元へグッと押し込まれ切り取ると、涼介は片手で空へと野菜をかかげた。
「いいできだ!」
父は大きなカゴにキャベツを入れて、遊びながらマイペースでイチゴを摘んでいる、息子へ向かって振り返った。
「サラダにするハーブを取ってくるから、お前は先に行ってろ」
「うん、わかったー!」
瞬はぴょんと立ち上がって、右手を大きく元気よく上げた。
今は空室である診療所の入り口へ向かって、涼介のアーミーブーツは慣れた感じで芝生の上を歩いてゆく。
イチゴでいっぱいになったカゴを、瞬からは買い物にお出かけみたいに、小さな肘へ取っ手をかけて、嬉しそうにスキップし始めた。
「イチゴ〜♪ おいしい〜♪」
デタラメな歌をまた口ずさみ出した、想像力たっぷりの子供の幼い声。それを聞きながら、涼介は少しだけ後ろへ振り返り、誰にも聞こえないようにつぶやく。
「お前がいなかったら、俺は一人だったかもしれない」
水色の半ズボンに長袖のボーダーシャツを着た息子の小さな背中を、ベビーブルーの瞳の端に映して幸せそうに微笑むと、ステンドグラスをはめ込んだドアの前へやってきた。黒のアーミーブーツはふと立ち止まり、
「お前のお陰で、生きる気力を取り戻せたんだ。ありがとうな」
少しくすんだ金色のドアノブに、細いシルバーの結婚指輪がカツンと当たった。涼介はオレンジ色に藍がにじみ始めた空を見上げ、軽く目を閉じる。
返事が返ってこないことは百も承知で、それでも天国にいる亡き妻に話しかけた。
「崇剛のお陰で、俺は今でもここにいる。お前は元気でいるか――?」
一粒の涙が日に焼けたこめかみを落ちていき、瞳をそっと開けると、ステンドグラスの色たちはぼやけていた。
「もうすぐ二年か……」
畑仕事で汚れてしまった両手では、悲涙を拭い去ることはできなかった。上を向いて雫がこれ以上落ちないように何度か深呼吸をして、ドアノブを回し屋敷の裏手にあるハーブ畑を目指した。




