パズルピースの帰宅/7
いつも冷静な水色の瞳が、陽だまりのように緩んだ。いや、氷が溶けたダムのように、幸せが大放出した。
「百叡の様子が心配だったので見に行ったのです」
講演会に現れた光命の目的は夫ふたりではなく、小さな王子さまだった。夫全員があきれたため息をついた。
「今日もまた親バカ……」
友人に冷やかされるほど、大人の世界を満喫していた光命。それなのに、子供を持った途端、毎日、学校に様子を見にいってしまうほど、子煩悩に変わってしまっていた。幸せがもたらした素敵な成長の一ページなのかもしれない。
自分の名前が大好きなパパから出てきた百叡は、ピューッと走り寄ってきた。
「パパ、きたの?」
「えぇ、後ろから見ていましたよ」
息子を抱き上げて、光命は自分の膝に乗せる。そして、いつも通りスリスリとピンクがかった銀の髪に頬を寄せた。
束の間の休息だったが、颯茄は噴水の水を少しだけ手ですくって、素知らぬふりでこんなことを夫全員に聞いた。
「今日は誰が誰のとこに行って、キスしてきたんですか?」
秘密のはずのキスリレーが妻にダダもれだった。夫たちは全員息をつまらせ、視線だけでお互い見合わせた。
「っ!」
独健は本当に不思議そうな顔をした。
「何で知ってるんだ?」
夫たち全員が、心の中でため息交じりに頭を抱える。
(そう言ったら、認めてるのと一緒だ……)
颯茄は水につけていた手を勢いよく降って、ぴしゃんと水面を鳴らした。まるで、お黙りと言うように。
「何を寝ぼけたことを! 学校の渡り廊下でしてたら、子供たちにも丸見えです」
子供たちが口々に言った。
「僕見たよ」
「私も見た」
「仲良しさんだった」
しかし、妻の追及はこれだけではすまなかった。
「しかも、アクロバティックなキスしてたらしいじゃないですか。焉貴さんと月さんは」
そして、これ以上ないくらい怖い月命の含み笑いが聞こえきた。
「うふふふっ。わざとあちらの場所にしたんです〜。夫婦間では秘密は持たないということで、颯茄にも伝えるためです」
せっかく、夫夫の秘密で盛り上がっていたのに。月命という頭はいいのに、自虐的な策士。彼に夫たちの抗議の眼差しが殺到した。
「お前また、失敗すること選んで……ドM」
どこまでも夫婦の会話が続いていきそうだったが、夕霧命と同じ深緑の髪をした男の子がパッと走ってきた。
「蓮パパのディーバ ラスティン サンディルガーのコンサートに早く行きたい〜!」
「もう少しで準備できるから、待ってて」
颯茄は言って、子供たちがバッグに押し込んでいるお菓子を見つけた。
「ファミリー席は飲食オッケー?」
もう勝手に瞬間移動で、コンサート会場へ行ったのかと思うほど、さっきまで話さなかった蓮の奥行きがあり低めの声が、最低限のことだけ返してきた。
「ん、構わない」
光命の膝の上で嬉しそうに足をパタパタさせている息子。その小さな手を握って、颯茄は優しく微笑む。
「百叡は今日はどこで見るの?」
「光パパのお膝の上〜!」
「そう、よかったね」
「うんっ!」
颯茄はポケットに入れっぱなしだった携帯電話を、ふと思い出して取り出した。子供の様子を見つつ、明智家の今日の大ニュースを口にする。
「試合、聞きましたよ」
「そうか」
「まだ最初ですから、これからです。今回は試合会場に慣れるためだった、でいいんじゃないないですか?」
「確かにそうだ」
妻の言葉はやはり胸に染む。よい思い出として、経験として、明日に向かって進む後押しだった。
*
さっきから多目的大ホールでは、R&Bの神がかりなリズムと、ディーバの魅力的な低めの声が、一億人近くの人々を魅了し続けていた。一緒に踊ったり、一緒に歌ったり、トークがあったり、笑いがあったりの一時間。
そして、蓮がリハーサル時のステージで、スタッフと打ち合わせていた曲の最終小節へ入り込んだ。ジャンプするようなリズムが一、二、三……と近づくと、ディーバの右手はさっと上がった。
(四拍目で、魔法だ)
その途端、多目的大ホールの天井から、色とりどりの花びらが客席にもステージ上にも降り注ぎ出した。狂喜乱舞、手舞足踏、どんな言葉を使っても言い表せない、光る五線譜の水流が巻き上がるような歓声が一斉に湧き上がった。
「うわぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
ファミリー席で見ていた家族もびっくりの出来事。チビっ子は思わず、絨毯の敷いてある床にぴょんと降り立ち、小さな指で天井を指差した。子供たちの瞳というレンズに、花びらが舞い降りてくる。
「すご〜い!」
「お花だ〜〜!」
様々な色のライトが宙をくるくると回る中で、花びらは七色の光を放ちながら、次々に落ちてくる。人々の歓喜が止むことはなく、コンサート会場は大盛り上がりを見せていた。
颯茄はボックス席から身を乗り出して、首を傾げる。
「どうやってるんだろう?」
百叡の体重を膝で幸せに変換し続けていた、光命が聞き返した。
「どのような意味ですか?」
「いえ、蓮に何度聞いても、どこから花を持ってきてるか知らないって言うんです」
「そちらは私も聞き出せませんでした」
独健と同じように感覚の颯茄は、チャチャッと結論づけて、人差し指を立てて、頭の上でクルクル回した。
「じゃあ、やっぱり、異空間からくるのかも。だから、魔法なんだ」
「そうかもしれませんね。私たちの魔法使いです」
十人夫婦がいても、魔法使いは蓮だけ。そうそう使える人はいない。貴重な人物。だからこそ、ディーバのライブは楽しいのだ。こんなサプライズが起こるのだから。多目的大ホールの人々は、降り注ぐ花びらのシャワーをしばらく浴び続けていた。




