パズルピースの帰宅/2
そこで、ふと人影が隣に立った。振り向かなくてもわかる。この雰囲気で、この匂いで、誰だか。以心伝心、我が愛する人。昔からそうだった。こんな時の自分を助けにくるのだ。
その人の腕が自分を包み込むように伸びてくる。遊線が螺旋を描く声は、小鳥のさえずりのように小さく儚げに舞った。
「夕霧……」
水色の瞳とはしばみ色のそれは一直線に交わる、窓から入り込む紫の月影を間に挟んで。玄関ホールで子供たちがキャーキャー騒いでいる声は、引いてゆく波音のように息を潜めてゆく。
「光……」
紺の長い髪と深緑の短髪はそのまま、相手の顔にすうっと近づく。ふたりきりの世界で、唇はキスという出会いをした。悲しみも何もかも全て消し去ってくれる、愛する夫のキス。閉じたまぶたの裏で、飽きることのない唇の感触を、お互いの心のつながりを感じている大人ふたりを、男の子――いや小さな息子がひとりじっと見つめていた。
子供はやがて颯茄のところへピューっと走り寄りながら叫んだ。
「ママ〜! パパたちが玄関でキスしてる〜!」
颯茄はそばにきた子供の頭をなでなでする。
「ラブラブだから放っておこうね」
「は〜い!」
慣れてしまった他の子供たちは、気にした様子もなく、噴水の中に靴ごと入って、びしゃびしゃと遊んでいる。せっかく、お出かけのお着替えをしたのに。しかし、不思議なことに出てくると、服は元どおり乾いているのである。
玄関という限られた狭いスペース。そこで、いつまでも、光命と夕霧命のキスというダンスは甘く魅惑的に続いてゆく。
その時だった、彼らの向こうにある色ガラスの入った玄関ドアが、パッと勢いよく開いたのは。
「は〜い! 焉貴パパ、帰ってきたよ〜!」
片手を高く上にかかげているため、ひとつしかボタンを留めていない白いシャツから、すらっとした素肌が見えていた。
山吹色のボブ髪。どこかいってしまっているようでありながら、宝石みたいな異様な輝きを持つ黄緑色の瞳。焉貴、めでたく学校からご帰宅である
超ハイテンション焉貴でも、目の前の夫同士のキスに、帰宅そうそう出くわして、珍しくため息をついた。ボブ髪を両手でくしゃくしゃにする。
「また〜?」
右側にすっと立って、恋に落ちてしまったお姫さまのように目を潤ませた、光命の声真似をし、
「夕霧〜」
今度は反対側に立って、夕霧命の、自分にはちょっと再現不可能な地鳴りのような低い響きで、
「光〜、チューッ!」
目を閉じで顔を突き出してみた。焉貴はピンクの細身のズボンの膝に、両手を乗せて、またため息をついた。
「俺、毎日、何回も見るんだけど……。っていうか、今朝、三回見たから。で、今でしょ? 合計四回だよ? どうなっちゃってんの? ふたりして、ラブラブすぎ――」
そうこうしているうちに、凛とした澄んだ丸みがあり儚げな女性的だが男性の声が、一旦閉まったドアが開くと同時に響き渡った。
「ただいま帰りました」
銀のティアラを乗せたマゼンダ色の髪。パステルブルーのドレスにガラスのハイヒール。いつもニコニコと隠れている瞳は、自分が中に入れないことにほんの少しだけ怒りを抱いて、それは開かれたが、邪悪なヴァイオレットであることには変わりなかった。
「おや? 玄関前をキスで通せんぼですか〜?」
今度はドアが閉められないうちに、漆黒の長い髪を持ち、瑠璃紺色の聡明な瞳。天女のような白い着物をまとって、すうっと瞬間移動でドアの向こうに男が立った。
「《《私》》もただいま帰りましたよ」
焉貴はさっと立ち上がって、月命の前をすっと通り抜け、孔明に甘さだらだらで、もたれ絡まるように両腕を背中に回して、ただをこねた。
「え〜? 孔明、何で《《私》》なの〜? 俺の夫でしょ〜? 《《ボク》》って言ってよ〜」
孔明のシルバーのブレスレットが猥褻先生の頬を妖しくなでる。
「ボクの方がいいの〜? 焉貴は」
「叶えてくれちゃった、孔明にはキスを差し上げちゃいます!」
二十九センチの背丈の違いを持って、焉貴と孔明の唇はパッと近づいた。玄関に入ってすぐと、玄関のドアの外で夫四人がキスをしている。今や明智家の玄関はラッシュアワーならぬ、キスアワーと化していた。
間にひとり取り残された月命は動くことも叶わず、女装夫は人差し指をこめかみに当てて、考えるふりをする。
「僕だけ、のけ者ですか〜? 仕方がありませんね。それでは、僕がプロポーズした夫を待ちましょうか〜?」
抜群のタイミングで、明引呼のウェスタンスタイルで決めている百九十八センチの体格のいいボディーが玄関前に登場した。
「おう、帰ったぜ」
ニコニコというまぶたに隠されたヴィオレットの瞳は、日焼けをした夫の横顔に向けられた。
「さすが、僕の愛している人です〜」




