同僚と恋人/13
「なぜ、そんなことを聞く?」
水色の瞳はついっと細められて、細く神経質な人差し指は軽く曲げられ、あごに当てられた。それは思考時のポーズ。そして、遊線が螺旋を描く声が自分の頭の中にある物事を、そのまま現実という空気になじませた。
「答えないということは、全員に伝えていないという可能性が99.99%」
蓮の鋭利なスミレ色の瞳から、紺の長い髪を持つ夫は消え失せ、店員のイルカが後片づけをしている背中に移動した。
「…………」
愛している男の言動など、全て冷静な頭脳の中にデータ化済み。
「返事を返してこないということは、100%、事実として確定です。どなたに伝えていないのですか?」
光命の質問は冷酷無情に続いてゆく。じわりじわりと、袋小路に追いつめていくように。
言葉を自由に操り流暢に話す、光命。
彼とは逆に、最低限の言葉、しかも相手に通じてなかろうが、何だろうが、ゴーイングマイウェイで返す、蓮。
観念して、蓮は話し始めたが、
「あれに……」
途中でイライラという火山が噴火して、天にスカーンと抜けるような怒鳴り声を上げた。
「伝えることはお前には関係ないだろう!」
激情の獣を飼っていようと、そんなもの、今はデジタルに抑え込める。恐れもせず、いやそれどころか瞬間凍結させるような面持ちになり、水色の瞳は氷の刃に取って代わった。
「あるではありませんか? あなたと私はもう同僚でも恋人でもありません」
蓮は気まずそうに視線を外し、ナプキンを一度持ち上げ、ポイッとテーブルの上に投げ置いた。暴言に近い言葉を言ってしまった唇に手を当て、鋭利なスミレ色は少しだけ陰りを見せた。
「…………」
「反省しているのでしたら、独健に伝えてきてください」
ループで、あのひまわり色の短髪と、はつらつとした若草色の瞳を持つ男に話が戻っていった。唇に当てていた手をといて、蓮は不思議そうに光命の顔を見つめる。
「なぜ、あいつだとわかった?」
光命は紅茶を一口飲んで、デジタル頭脳で長々と的確に説明を始めた。
「あなたの今から四つ前の言葉で、『あれに』と言いました。単数形です。従って、ひとりに伝えていないという可能性が99.99%。そうなると、最後に加わった、独健であるという可能性が78.98%。ですが、これらの可能性は、今あなたが疑問形で認めたので、100%、確定です」
蓮は光命とは反対側の店のカウンターキッチンを眺めた。
「…………」
それが何を意味しているか、光命は知っている、夫なのだから。
「図星でしたら、今すぐ行って、彼に愛していると伝えてきてください」
本番前の貴重な時。今は目の前にいる光命との時間を楽しんでいる。そこに別の男の話。蓮の綺麗な顔は怒りで歪んだ。
「なぜ、今、俺をあいつのところへ行かせようとする?」
この鋭利なスミレ色の瞳で、人混みをモーセが海を割いたがごとく、他の人々を両脇に寄せさせて、平気で歩いてゆく蓮。だったが、光命も負けず劣らず、猛吹雪を感じさせるほど冷たい瞳で見つめ返した。
「あなたは私に先ほど愛していると言われて、どのように想いましたか?」
光命にとうとう言いくるめられた蓮は唇を噛みしめながら、小さく吐息だけもらした。
「…………」
激情という名の感情を持つ人らしく、光命は誰に対しても優しかった。冷静な頭脳という盾がそれを隠しているだけで。
「あなたの中に生まれた幸せと愛を、彼にもすぐに差し上げてください」
「ん」
蓮は最低限この上なくうなずくと、残っていたショコラッテを飲んだ。その隣で、光命の手に鈴色をした円の中で、時を刻む懐中時計が現れた。
(十六時五十九分十一秒)
目の間にいるアーティストのコンサートは十八時スタート。
「開演一時間前を切ります。ですから、必要でしたら魔法で時を止めてでも、彼のところへ行ってきてください」
「使う」
口元を潔癖症らしく拭いて、蓮は立ち上がろうとした。その横顔に、光命の遊線が螺旋を描く声が続きという引き止めをする。
「それから……」
「まだあるのか?」
「一旦、家へ戻ってきてください」
独健のところに行けと言っていたのに、戻ってこいと言う。蓮が首を傾げると、銀の長い前髪がさらっと落ちて、両目があらわになった。
「ん?」
あごに当てていた手をといて、光命は優雅に微笑んだ。
「いつものことがあるかもしれませんからね」
事件の匂いが思いっきりしていた。だが、愛している男の隠した表現。それは、そこに何らかの意図があってしている時。蓮は短く大人しくうなずいた。何を言っても、今の光命から真相は聞き出せないとわかっていて。
「ん」
「それでは、またあとで会いましょう」
光命が言うと、ふたりは席から立ち上がった。慣れた感じで、瞬間移動で店からいなくなる。代金を支払わず、白のカットソーと薄茶のトレンチコートは消え去った。ディーバ ラスティン サンディルガーのサイン入りCDを代価として、テーブルの上に残して。
後片づけにきたイルカの店員は、CDを見つけて目を輝かせた。ピューッと慌ててテーブルから離れていく。店長にそれを手渡すと、すぐに店のBGMはR&Bのグルーブ感に包まれた。
奥行きがあり少し低めの独特の音階を、アナログチックな声帯という楽器で奏でる曲に、店にいる客たちは思わず歓喜のため息をもらした。




