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明智さんちの旦那さんたちR  作者: 明智 颯茄
リレーするキスのパズルピース
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同僚と恋人/4

 白いレースのカーテンに、ゆるいハの字を描く青紫の厚手のカーテンが、どこかの城と勘違いするようにタッセルに身を斜めに預けていた。


 鏡のように映り込むほどよく磨かれた黒のグランドピアノ。そこから少し離れた位置で、紫の膝上までの細身のロングブーツは、春先にえるような黄緑、萌黄もえぎ色の絨毯の上で立ち止まっていた。


「先生、ありがとうございました」


 白くフサフサの毛に全身を覆われた猫で、五歳児の男の子が頭を下げる。小さな三角の耳ふたつが可愛らしさをふりまいた。その母親が弓なりの目をこっちに向けて、にっこりと上品に微笑む。


「それでは、失礼いたします」

「えぇ、それでは、また来週いらしてください」


 遊線が螺旋を描く優雅な声が言うと、冷静な水色の瞳の前で、母親と手を仲良くつないで、猫の男の子は瞬間移動で、ピアノレッスンから帰っていった。


 今日の全ての仕事は消化した。光命は背後にあるピアノへ振り返ると、衝動で紺の長い髪が頬に乱れついた。


「他の種族の方は、人間とは全く違った感性を持っている。先ほどのような発想があるとは知りませんでした」


 女性的な曲線美を持つ屋根の下。豊かな長い髪のような弦の美しさ。それをそっと眠りにいざなうように、突上棒の支えを落とそうとした。だが、ふとズボンの後ろポケットに入っていた携帯電話が振動を起こした。瞬間移動で目の前につれてくる。


「ユガーリュの新曲……」


 お気に入り登録していたチャンネルからのメール。ピアノはそのままで椅子に近づき、優雅に腰掛ける。


 意識化でつながる携帯電話。画面など触れなくても、行きたいサイトへ勝手に飛ぶ。そして、ピアニストは同業者――いや自身の創造意欲をかき立ててくれるアーティストのひとり――その人の楽曲を再生する。


 叩きつける雨のような連打。微分音符という通常の音階ではない旋律。あまりの心地よさに、冷静な水色の瞳はまぶたの裏にすぐに隠された。


 細く神経質なピアニストの指先は、衝動を抑えられないというように、膝上の濃い紫のロングブーツの端を、引っ掛けるように何度も何度も、触れては離すをリフレイン。


 ダンパーペダルに乗せた足先は、踏み込むことはなくても、上下に動いてリズムを取る。時には白のカットソーが、まるで嵐の中を進む船のように激しく揺れに揺れて、首元の十字のチョーカーが窓から入り込む夕日をかき乱す。


 音が、音符が、記号が体に脳に染み込んでゆく。雷鳴のように不規則的に入り込む、主旋律。そして、滑り落ちるように、高い音から低い音へ曲全体は向かってゆき、スカーンと天へ抜けるように、フィナーレを迎えた。


 すっと開けられたまぶたと同時に、携帯電話はズボンのポケットという揺りかごに戻された。内手首につけられた甘くスパイシーな香水は夕刻を迎え、朝とは違った香りを放っていた。


 結婚指輪とサファイアブルーの宝石がついた指輪は、規則正しく並ぶ黒と白の上に乗せられる。自分の心の内を奏でてくれる楽器。細く神経質な指先は鍵盤の冷たさを雪の結晶の美しさを見るように味わう。


 右足はダンパーペダルに乗せられ、大きく息を吐き、息を吸い込む。そして、吐き出すと同時に、鍵盤が力強く押し込まれた。叩きつける雨のような連打。微分音符をきちんと再現できる楽器。三十二分音符の十二連符。猛スピードで高音から低音へ向かうパッセージが続く。


 ダンパーペダルは一拍ごとに踏まれ、メロディーに滑らかさを与えるのに、次拍の頭音を際立たせるためにすっと離される。右手は雷鳴のような不規則さを強烈に残す、前小節から入り込む三十二分音符のフォルティッシモ。


 光命の今弾いている曲は、さっき携帯電話で聞いた曲と全く同じだった。新曲。一回しか聞いていない。それなのに再現できる。


 全てを記憶する頭脳。自分の得意分野。一度聞けば、自身の脳裏という五線譜に音符は綴られてゆくのだ。あとは、それを弾きこなせる技量があれが、こういうことは簡単に起きる。


 滑り落ちるように、高音の鍵盤から光命の細く神経質な指先は、低音の左へと三十二分音符の十二連符で流れてゆく。そして、フィナーレを迎えた。スカーンと天へ抜けるようなフォルティッシモで鍵盤を叩きつけると、両手が飛び跳ねたようにすうっと上がった。


 くるくると部屋を回っていたピアノの余韻が姿を消し、紫のロングブーツはダンパーペダルから降ろされた。ピアノの上に飾ってある写真立てに、水色の瞳は冷たさではなく、暖かさを持って向けられる。


 優雅に微笑む自分。その紺の長い髪に寄り添うように、頭を近づけている銀の長い前髪を持つ男。いつも鋭利なスミレ色の瞳は、時々見せる無邪気な天使のような笑みを浮かべている。初めて一緒に行った遊園地での写真。


「私を赦されぬ愛という牢獄から解放してくれた彼に、会いにいきましょうか?」


 遊線が螺旋を描く芯のある声がピアノの弦に響き渡ると、トントンとドアがノックされた。それは、ずいぶん下の方から聞こえてきた。冷静な頭脳の持ち主――ピアニストはドアの向こうに立っている人を予測する。


(彼であるという可能性が97.98%)

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