同僚と恋人/3
今の内容は、すぐにうなずけるようなものではなかった。真紅の絨毯を見つめたまま、蓮の脳裏には、あの紺の髪と冷静な水色の瞳を持つ男の面影が浮かんでいた。あの男の神経質な頬に、また苦悩の涙が落ちるのかと思うと、恐れ多くも、陛下に申し上げないわけにはいかなかった。
「誠に僭越ながら――」
だがしかし、言葉は途中でさえぎられた。多忙な皇帝陛下の貴重な時間を、これ以上割くことは許されずに。
「色好い返事を待っている。以上だ」
相手は皇帝陛下。自分は一般市民。たとえ、過去にどんなつながりがあろうとも、もう関係ないのだ。お互いの立場を言い表す、言葉が存在しない。あえて言うならば、従兄弟。だがやはり、それも違う。
平伏したまま、蓮は少し戸惑い気味に、意見できないまま、慎重にただただ従った。
「……承知いたしました」
長居することは許されていない。蓮は早々に瞬間移動で、謁見の間から姿を消した。
*
無事に戻ってきたステージの上で、残りのリハーサルは全て終了した。あとは本番を待つだけの、ひとりきりの楽屋。裸電球に囲まれた鏡に映る自分の、鋭利なスミレ色の瞳をさっきからずっと捉えて離さなかった。
(俺が広告塔……)
メイク道具の群れ。その隣に、黄緑色のカラのお弁当箱が置いてあった。まるで運命共同体というように。潔癖症をパフォーマンスさせられている結び目。それは、中身が入っていた時は、女が長い髪をキュッと結い上げたような色気を放っていた。
(断る……。だが、陛下、自らおっしゃってきた。それを断るのは……)
手紙や誰かを通してなら、ことの重大さも多少は減る。だが、城へ呼び出されて、直々に申し渡されたとなると、迷うことなどほとんどない蓮でも、さすがに躊躇した。
左薬指の結婚指輪を右指ではさみなぞる。銀盤のように光り輝いている長い前髪を凝視しながら。
(受け入れる……)
イラついたため息をついて、
「あぁ〜」
だらっと手を落とし、今度は華麗に足を組んだ。鏡をぶち壊しそうなほど、鋭利な瞳で顔を近づけてゆく。寄りすぎて、焦点が合わない視界の中で、蓮はふと気づいた。
「……これは俺ひとりでは決められない」
傍らにあった携帯電話を取り、すっと椅子から立ち上がると、エメラルドグリーンのピアスが縦の線をゆらゆらと描いた。
まるで魔法を使うように、右人差し指を立てて持ち上げる。すると、不思議なことに着ている服が一瞬にして変わった。
薄茶の春物のトレンチコート。その襟から出ているヒョウ柄のストール。少しだけ見せてアクセントにするように端を中へ入れる。
髪の乱れを指先で、一本のずれも許さないと言ったように直す。その指先が鏡の中で重なった、まるで二枚のセロファンに描かれた絵のように。細く神経質なそれで、紺の長い髪を耳にかける仕草をする男と。
「ひとまず、光から相談だ」
黒い細身のズボンと同じ色のショートブーツはなぜか、瞬間移動するのではなく、控え室のドアから普通に出ていった。
*
モデル歩きで歩いてゆく、人影の少ない廊下を。唇に人差し指を当て、考えながら進んでゆく。陛下からお言葉を頂戴したために、今自分がコンサートの本番待ちで、どこにいるのかも忘れそうな勢いで。
衣装でもなく、リハーサル時の服でもなく、私服。それで、廊下を歩いている主役。当然、近くを通った龍のスタッフが声をかけてきた。
「あれ? ディーバさん、どこ行くんですか?」
行き先を聞かれた。決まっていなかった。蓮のモデル歩きは止まり、考える。いや、探す、自分が会いたがっている男がどこにいるのか。
「……………………」
(あれは、どこにいる? そこ……いない。どこに……?)
自分に鋭利なスミレ色の瞳を向けたまま、全く動かなくなり、終始無言のアーティストの肩を叩いた。こんなことはよくあることなので、まわりのスタッフもよくわかっていた。
「ディーバさん? 話途中です。返事返して――」
「……事務所だ」
光命の瞬間移動の到着地点がそこ。ピアニストとして、同じところに所属している相手。別にそこにいることは珍しくもなかった。
スタッフは曲でも思いつき、事務所内にあるスタジオにでも行くのかと思い、一言だけ忠告して、去ってゆく。龍の口から火をボウッと吹きながら。
「あぁ、そうですか。じゃあ、十七時五十分には遅くても戻ってきてくださいね。十八時から本番なんで……」
「ん」
最低限の意思表示をして、銀の髪を持つ、すらっとした男の姿は、多目的大ホールの廊下らからすうっと消え去った。




