従兄弟と男/5
今隣に座る男は、自分にないものを全て持っている。相手を補える関係。夕霧命と光命は心の奥底で、本能で気づいていた、お互いがひとつになったら、完璧な人になれると。
絶対不動と瞬発力。
落ち着きと冷静さ。
無感情と激情。
真っ直ぐと遊線が螺旋。
真逆の性質を持つふたり。
近くにいて惹かれない方がどうかしている。ごくごく自然なことだった。
「俺もそうだった。だが……」
夕霧命は言葉を途中で止めた。激情の獣が鋭い牙で、光命の心を食いちぎろうとする。冷静な水色の瞳は平静さを失い、視界が涙でにじみ始めた。
「こちらの世界では、男女が結ばれるのが当たり前でした。同性愛というものは存在しませんでした」
不誠実。背徳感。劣等感。不道徳……挙げればきりがないほどの、罪の意識。
だからこそ、絶対に間違いだと思うことした。だが、できなかった。それならばと、こう思うことにした。自分の胸の内に留めておこうと。しかし、それもできなかった。
大人になってゆく体は勝手に反応して、相手にも嫌でも伝わってしまう。刻印を打たれるように自身に思い知らされる。性的に愛しているのだと。それでも、お互いに見て見ぬ振り、嘘偽りばかりの日々。
そして、悲恋の嵐は、時が通常の十五倍の速さで進む中で、事務的に終了した。ふたりの恋心を置き去りにして。
「子供の頃から、やり直したのがいかんかったのかもしれん」
「全ては悲劇という名で狂ってしまった……」
春だというのに、夕霧命と光命のまわりだけ、哀愁漂う冷たい風に変わった気がした。
生きる時間が、順番が、逆になってしまったばかりに、触れたくても触れられない。そばにいたくてもいられない。見つめたくてもできない。全てが……ない。否定形。
無限に永遠が続く世界。その中で生きてゆくしかない運命。死のない場所。それは、何かがあっても、そこから逃げる、自殺して、強制終了することができない、を意味していた。
冷静な頭脳という名の盾はとうとう、激情の獣に粉々に砕かれてしまった。光命の神経質な頬を一筋の涙がつうっと落ちてゆく。
「泣くな」
結婚指輪をした細く神経質な手に、節々のはっきりしたそれが乗せられた。光命の顔は紺の長い髪に両脇を覆われ、誰からも見ることはできなかった。
だが、サファイアブルーの宝石のついた手を、そこへさらに乗せて、誰にも聞こえないように、しかし、目の前にいる男にだけは嘘をつかないように、いや聞いて欲しくて、しゃくり上げそうな呼吸を抑え抑え、言葉をゆっくり紡いだ。
「私は夕霧を……愛している。ですが、私は他の人も……愛してしまった……」
三つの手が重なっている光命の膝の上。夕霧命の結婚指輪をした手が乗せられて、四層になった。
下から順番に……。
激情の渦。
絶対不動の安心感。
激情の渦。
絶対不動の安心感。
深緑の短髪を持つ男は決して泣かない。それどころか、過去は過去。今は今。未来は未来。と、無感情に切り捨てられる。だがしかし、夕霧命が光命を愛しているのには変わらなかった。そして、安心させるように、地鳴りのような低い声で出てきた言葉はこれだった。
「もう終わったことだ」
「えぇ……」
何とかうなずくことはできたが、光命の頬を次々と新しい涙が伝い、石畳の上にギザギザの波紋をいくつも作っていった。急にできた湿りに、陽気に転がってきた花びらが立ち止まる。何も言わなくなったふたりのそばで。
(同性を愛する。重複する愛。神に赦されない……)
他の人と違う。その生き方を選ぶには勇気がいる。たとえ選んだとしても、立ちはだかる障害は大きく厚い。激情という名の獣が住み着く心を持っている光命には、悲痛の叫びの日々になる。真逆のふたり。夕霧命はただ、自分と向き合い。愛する男の心の内を静かに感じてきた。
(お前が悩んでいると知っていた)
重ねられた手は強く握りしめられる、自分たちの前を楽しそうに歩いてゆく誰にも気づかれないように。
(私は罪を犯しているのだと自身を否定し続けてきた。そのように思って、言動を偽り……。あなたにも彼にも打ちあけず……。心の片隅に愛を置き去りにして生きてきました)
愛する男が異例という名の狭間でもがき苦しんでいる。それでも、救いの手は差し伸べられない。本人が隠したいと願っているのだから。ただただ前を見つめているはしばみ色の瞳には、スキップして通り過ぎてゆく子供が映っていた。
(お前が自分に嘘をついていると気づいていた)
チョーカーの十字が寂しげに、春風に揺れて、鈍いシルバーの光を放つ。
(解消できない気持ち。決断できない愛。ですから、私は十四年間、どなたとも結婚しませんでした)
誰か一人を選ばなくてはいけないのに、みんな大切なのだ。誰も傷つけたくない。他人を守るために、自信を犠牲にして生きてきたのだ。
(お前が結婚しなかった理由はわかっていた)
ひとりきりの夜にどれだけ枕を濡らそうと、愛する人たちの前では素知らぬふりを続けてきた、光命は。それが、夕霧命が愛した男なのだ。




