武術と三百億年/2
虹が降り注ぐように次々に落ちてくる色とりどりのリボンたち。
「緑のくまさんじゃがの、今回で三回目の出場じゃ。熊族の中でも、力の強いアラスカグリズリーでの、力任せの技も使うが、心理戦にも長けておる。三千二十二年生きておるからの。人生の経験値はまずまずじゃ」
夕霧命は人だが、相手は熊だった。野生の匂いが思いっきりする、鋭い眼光で見つめられる、無感情、無動のはしばみ色の瞳。そのレンズには、茶色の毛皮で覆われた、自分よりひと回り大きい、対戦相手が映っていた。
人と人の戦いでなくても気にすることなく、アナウンサーは素朴な疑問を投げかける。
「くまさんは体の色が緑ではありませんが、名前の由来はどこからきてるんですか?」
「あのくまの奥さんの名前じゃそうじゃ」
妻帯者の熊。アナウンサーは試合会場を見つめたまま、切り替えが早く、的確な言葉を選び取る。
「そうですか。ラブラブということでしょうか。対戦者の人族の方はいかがですか?」
達人はお腹の上で両手を組んだリラックスした姿勢で、真っ白で豊かな眉の奥に隠された目を鋭く光らせる。
「夕霧命は今回初めての出場じゃ。だがの、やつの素晴らしさは、あの若さで合気と無住心剣流の両方を使えるところじゃ」
武術の大会だけあって、一般化していない固有名詞がさらっと出てきた。アナウンサーがひとつずつ問いかけてゆく。
「合気とはなんですか?」
「相手の動きと思考を封じる武術じゃ」
「無住心剣流とは?」
「昔、下で編み出された剣術だったんじゃが、途切れてしまったんじゃ。じゃがの、その時の三代目がの、こっちで道場を開いたんじゃ。しかしの、極めるのはなかなか難しいんじゃ。たったふたつの動きから、全てを学び取るという教えじゃからの」
解説席の下を、大きな雲が横切ってゆく。青の絵の具に白のそれを混じり合わせたように。
「たった、ふたつの動きとは?」
「重力に逆らわず武器を上げる。武器の重さだけで下ろす。これだけじゃ」
気合を入れて持ち上げなくても、物は持ち上がる。その物の重さだけで下ろせば、普通にものは落ちる、最低限の力で最大限の力を発揮するがこの流派の教え。アナウンサーは仕事を終えたというように、軽くうなずく。
「そうですか。夕霧命の活躍が期待されますね」
じいさんは少しため息をつく。
「しかしの、夕霧命はかなり若すぎるからの、苦戦するかもしれん。追求心があって、修業バカなんじゃがの」
「修業バカの男性は世の中に、五万といますからね」
「そうなんじゃ、世の中、男はだいたい、修業バカかぼうっとしてるかのどっちかじゃ。それ以外は珍しいからの」
様々なペンキをちりばめた波のような観戦客が、ザワザワと強風に煽られた木々のようにざわめき続ける。
その中でアナウンサーと解説者のじいさんの話はまだまだ繰り広げられそうだった。
「夕霧命はその中から秀でるものを見つけ――!」
だが、試合会場で、緑のくまさんと夕霧命が試合前の礼儀としてお辞儀が行われた。
「おっと、試合が始まるようです」
優しい春風が吹き抜けてゆく、夕霧命の極力短く切られた深緑の髪と、緑のくまさんの茶色の毛並みを。審判の声が2人に注意を呼びかける。
「それでは、ルールの確認です。参ったと言うか、試合会場の外に体のどの部分でも触れたら負けです。相手だけに瞬間移動をかけて、場外などに動かす行為は反則です。三分経過しても勝負が決まらない時には、大会の運営上の都合で、武器の所持が許可されます。そちらを手にする方法ですが、瞬間移動制御装置を使って、受付時に預かった武器が手元へそれぞれ同時に移動してきます。よろしいですか?」
「はい」
二人の選手はしっかりとうなずいた。勝利の女神が微笑むような桜の花びらが、試合会場に舞い踊ると同時に、審判の声が響き渡った。
「それでは、試合開始!」
「さあ、いよいよ始まりました! 一回戦、Eグループ。熊族と人族の試合です」
場内にアナウンサーの声が流れると、待ちに待っていた人々の歓声が一層濃くなった。
「わぁぁぁぁぁぁ〜〜!!!!」
様々な形の瞳が集中する中、緑のくまさんと夕霧命は対峙する。草履の足はそろえて立ったまま、はしばみ色の瞳はどこか別のところを見ているように変わった。合気の達人。彼の心の内に専門用語が並ぶ。
(正中線強化)
その時だった、試合会場の雰囲気がガラッと変わったのは。穏かな春風が鋭い刃物が飛ぶようになり、歓声が急に静かになった時に起きる耳鳴りのようにキーンとつんざくように静寂が広がった。
両者は隙なく相手の視線をうかがったままだったが、緑のくまさんに動きがあった。アナウンサは席から立ち上がり、異変に驚いた声を上げた。
「おっと、どうした? 何もしていないのに、緑のくまさん、後ろにジリジリと後ずさりだ!」
まるで熊の茶色の毛皮に覆われた額から冷や汗が滴り落ちているようだった。試合会場を一歩また一歩、後ろ向きで所在なさげに、落ちたら敗北になる端へ追いつめられてゆく。




