罠とR指定/2
セクシーに開いたシャツの襟から、鎖骨が見える先生の肩を女子生徒はトンと、元気よく叩いた。
「さすが先生! 長く生きてるだけあって、いいこと言う」
「数学の先生じゃなくて、歴史でもよかったかもね?」
他の女子生徒に同意を求めると、それを受けた子が話し出し、永遠にペチャクチャとおしゃべりが続いていきそうだった。
「あとは、倫理とかさ。数々の名言出しちゃってる――」
そこで、先生から教育的指導が入った。愛妻弁当で浮かれまくっている女子生徒に話しかける焉貴の声色は、全ての人をひれ伏せさせるような威圧感のあるものに変わっていた。
「俺のことはこれくらいにして、お前たちは早く行きなよ。次、教室移動でしょ?」
女子生徒の一人がやっちゃったみたいな表情で、ぺろっと舌を出して、肩をすくめながら、ふざけたように返事を返す。
「は〜い!」
私服のヒョウの女の子が色っぽく微笑んで、カギ爪のついた手を悪戯っぽく顔の横で振った。
「じゃあね〜、先生」
「明日も見せつけてくださ〜い!」
冷やかし――という言葉が女子生徒の一人から浴びせられると、箸が転んでもおかしい年頃――まさしくそれが似合うといったように、キャピキャピの笑い声が一斉に上がった。
「きゃははははっ!」
ボブ髪を持つ先生は怒るでもなく照れるでもなく、まるでアンドロイドのような無機質な心で受け止めた。そんな先生の黄緑色の瞳から、後ろ向きで数歩離れていっては、大人と同じようにすうっとその場から瞬間移動で消え去ってゆく。
「高校生って、テンション高いよね〜」
ベンチに置かれたお弁当は、まるで夕日が映り込む湖の水面に落ちて波紋を広げたような、オレンジ色の布の上で、愛という新緑の風に吹かれているようだった。その横で、少しだけ丈が短めのピンクの細身のズボンが組み替えられると、紺のデッキシューズが軽薄的に動いた。
ため息もつかず、袖口のボタンを全て解放した両腕を、ベンチの背もたれに羽を広げたように乗せると、素肌という裸の胸や背中に、さわやかさの象徴のようのな春風が、舌先でツーッとなめるように色欲漂う夜を連れてくるという、矛盾が正常に起きた。
「毎日、毎日、『先生また結婚したの? ラブラブ〜?』とか騒いじゃって。好きだよね、あいつら、恋愛とか結婚とかさ、そういう話」
女子高生の代名詞といってもいい話題。
焉貴は再生を止めていた音楽メディアを顔の前に持ってきて、黄緑色のどこかいってしまっている感が思いっきりする瞳に、銀の長い前髪とスミレ色の鋭利な瞳を映しながらアプリを終了させた。
「まあ、配偶者が有名人だから、仕方がないのかも……」
テレビに出ている人と学校の先生が結婚する。生徒が興味津々でちょっかいを出してくるのは無理もなかった。さっき渡り廊下で、孔明と月命が見ている前で、女子高生からプレゼント攻撃にあっていた先生は焉貴だった。
黒革でできたペンダントヘッドを、慣れた感じで手のひらですくい上げる。それは銀の小さな円で、十二個の数字が丸い顔を見せる時計。
「十四時五十二分五十七秒。あと三秒で、チャイムが鳴る」
秒針の右回りの小刻みなステップを、自分の頭という死角で、教室で授業の準備をして、大人しく座っている生徒たちの誰にもわからない位置で、カウントダウンを始める。
「三、二、一……」
抜群のタイミングで、地球の11.5倍の広さがある学校の敷地内に、
キーンコーンカーンコーン……。
と、チャイムが鳴り始めた。瞬間移動で教室にやってくる先生が、各部屋の教壇の前にすうっと現れ、授業があちこちで始まった。
人の気配がするのに静寂。不思議な空気が漂う中庭。緑の芝生の上に、花壇の花々に、桜の花びらと手をつないで吹いてくる風が、頬や髪、白のフリーダムなシャツをなでてゆく。焉貴はそれを味わいながら、まだ手に持っていた時計をじっと見つめ、心の中で何かを推し量る。
十四時五十三分十八秒から十四時五十四分二十一秒の間にはきてた。
今日で百五回目。
今の時刻は、十四時五十三分二十六秒。
そろそろくる――。
何かを待っていた焉貴の座っているベンチよりも少し離れた、左側の椅子の前にすっと人影が立った。それは、パステルブルーのドレスを着て、ガラスのハイヒール。まるで城の立派な庭園で、午後のひと時をお過ごしですか? 的な服装をしたマゼンダ色の長い髪を持つ人だった。
焉貴の黄緑色の瞳は思わず目を奪われ、組んでいた膝に肘を当てて、感心した吐息をもらす。
「そう……綺麗な女」
あたりが学校の中庭ではなく、駅前の待ち合わせ場所にでもなった気がした。
「こうしちゃう!」
軽いノリのまだら模様の声が響くと同時に、指がパチンと鳴らされた。すると、焉貴のすらっとした体はベンチからすっと姿を消した。
マゼンダ色の髪は首の後ろで、もたつかせた感じでリボンに縛られていた。その人の膝の上には、女が長い髪を結い上げたように、キュッと色っぽく結び目ができた、水色の四角いものが置かれていた。
大きな木の陰になるベンチと女らしいマゼンダ色の髪の後ろに、すっと人が立った。サーッと風が吹き抜けると、腰掛けている人が全生徒から見えないように、白の胸のボタンひとつしか止めていないシャツが拐うように目隠しした。
「ねえ? そこの彼女、俺と一緒にランチしない?」




