先生と逢い引き/6
陽だまりみたいな柔らかで好青年な声で、甘々で語尾を上げ続けている孔明。なぜ頭がいいのかが、月命の凜として澄んだ女性的な響きで、学びの場所で暴かれた。
「いつ、どこで、誰が、何をして、どうなったか。話した会話の順番、言葉の一字一句、日時、読んだ書物のページ数から行数、文字数まで……それらを全て記憶して、忘れることのない頭脳」
頭のつくりが最初から違っているのだ。しかし、覚えるだけでは、パソコンのメモリと一緒で、何の意味もなさない。もう一手間加えないと、神の申し子天才軍師とは言われない。
「事実から小数点以下二桁まで計算して、可能性を導き出す思考回路。決して物事を決めつけない。ですから、どのようなことが起きても、即座に対応できる。すなわち、勝てる方法を選び取れる」
瑠璃紺色の聡明な瞳の奥では、数えられないほどの可能性の数字が常に流れ続けている。そのため、幾つも同時に罠を張りめぐらせることができ、すべての勝利を自分の手につかめるのだ。
マゼンダの髪を結わくリボンが、まるでちょうちょのように風に揺れる。
「策を成功させるためならば、人を思惑通り動かすためならば、嘘を平気でつく人……。今より五つ前の会話から、君は僕に情報漏洩していません、何ひとつ」
孔明の綺麗な唇から子供が楽しくて仕方がない笑い声がもれる。自分の横に立つ男がどれだけ切れるのかを、改めて突きつけられて。
「ふふっ。キミは本当に面白い男だよね? そうだよね? そうやって、長く話して、自分の情報をわざと漏洩させてるんだから……。だけど、それって、ボクとキミの思考回路が一緒ってこと、だよね? そうじゃないと、ボクの頭の中は理解できない」
孔明は思う。話せば少なからずとも、自分の情報は相手に渡るのだ。だからこそ、言葉は最小限に。語尾や雰囲気でごまかすことも必要になる。デジタルに言葉の使い分けもするのだ。
マゼンダ色の髪の中でも同じことが起きていた。全てを覚えていて、何ひとつ忘れない、いや思い出せないことがない。そんな月命だったが、ニッコニコの笑顔でこんなことを言う。
「そうかもしれませんね~」
全身を包む春風は暖かいというのに、クールな頭脳は氷河期も真っ青なほどで稼働率は二百パーセント越えのようだった。
「不確定じゃなくて、確定でしょ? 『月命』!」
呼び方が策略的に代わっていた。だが、呼ばれた本人は慣れたものだった。
「おや? 命をつけて呼ぶとは、何を企んでるんですか~?」
「あれ~? そこは、こう言うんでしょ? 『命をつけて呼ぶとは、お仕置きされたいんですか~?』って」
「そちらを望んでるんですか~?」
「どうかなあ~?」
好青年で陽だまりみたいなもの。
と、
凜とした澄んだ丸みがあり儚げなもの。
ふたつの声色はずっと疑問形を続けていた。遠くの渡り廊下で、女性生徒に囲まれた男性教諭がいなくなってからも。
頭の上にさっきからずっと乗っている銀色のものを触りながら、月命は孔明の思惑を突きつける。ニコニコという仮面の下に隠された、地獄の針山のような逃げ場のない鋭利な怒りで。
「僕の本名を全て言ったふりをして、『お仕置き』という言葉を僕から引き出す――という策略ではないんですか~?」
「どうして、そう思うのかなあ~?」
語尾がゆるりと伸びている二人。狐の化かし合いのように、次々に手を打って、白と黒をひっくり返すオセロがぴったりくる、二人の会話は。月命は孔明の罠の一部を暴露してやった。
「あなたの四つ前からの言葉は全て疑問形。すなわち、情報収集の基本中の基本です」
月命に通じるわけがない、基礎など。わざとやっていた孔明は、宝物でももらったかのように無邪気に笑った。
「ふふっ。ばれちゃった!」
だが、ここは戦場ではない。相手は敵の軍師でもない。ここで、やっと姿を現した月命のヴァイオレットの瞳。しかし、見なかった方がよかったもしれないと後悔するような目だった。それは、邪悪。そして、こんな言葉は存在しないが、誘迷。これらが一番しっくりくる瞳だった。誘った上に迷わせる。怖すぎた。
「どのようなお仕置きがいいんですか?」
孔明から激甘でいけないおねだりがきた。
「ボクとキミの妻が見てないところ――職場で、学校で、明としたキスした温もりを月がボクから奪う、間接キスっていうのはどうかなあ〜?」
三人でキスするみたいな話が振られた、健全な小学校の渡り廊下で、青空の下で、桜の花びらが混じる春風が吹く下で。
リレーするキス――
月命の瞳は邪悪一色になってしまった。地をえぐるような低い声で言った。
「おや、横入りとは聞き捨てなりませんね」
「そうかなあ〜?」
兄貴をめぐって、バトルが勃発――。




