生き方についての小さな目標
そこにあって当然、ではない。
スポーツの競技大会を支える存在として、学連という組織がある。各大学から一定数の学生選手・マネージャーが送り出され、様々な大会の準備、運営、片付けに携わる。例えば水泳では「折り返し」「通告」「PT」「出発」「計時」「記録」「会場」「受付」「招集」「進行」の各パートに分かれ、大会中はそれぞれの役割を複数人で分担しながら果たしている。
彼らの働きがなければ、競技は成立しない。もし学連が存在しなければ、スタートの合図をする人がおらず、失格か否かの確認をする人もいず、きちんとレースに来ているかどうか確認する人だっていない。秒単位で時間を管理する進行係がいなければ、そもそもタイムスケジュールなんて有名無実化してしまう。彼らは重要な役割を担う必要不可欠な存在なのだ。
学連の学生だってもちろん、選手なら自分のレースがあり、マネージャーは選手のサポートとタイムの管理がある。与えられた役割をこなしつつ、自分の本来の目的(=自己ベストを更新することや、選手をケアすること)をも充分に達成するのは簡単なことではない。
しかし、その働きは決して目立たない。選手もマネージャーも、彼らの努力に気付くことはほとんどなく、ただ試合が予定通りにきっちり進められることを当然のように受け入れている。関わったことがないからその大変さが分からないし、意識しないから認識できない。それを非難しようとは思わない。世の中そういうものなのだ。
私は学連を経験して、「縁の下の力持ち」という言葉をありありと実感した。決して楽なお仕事ではないけれど、一言「ありがとう」と言ってもらえるだけで、いつも嬉しい気持ちになる。頑張った甲斐があったと思える。
そして、これはおそらくスポーツに限った話ではない。普段の生活においても、今見ている範囲を時間的・空間的に押し広げてみて、縁の下を支える存在を探してみよう。そして、常に感謝を忘れないで生きていきたい。また、その感謝を素直に伝えられる人でありたいと思う。