右が死なら、左は生。婚約破棄は城のバルコニーで。
※王道ハッピーエンドではないです。当人にとってはハッピーエンド、というやつです。苦手な方はご注意ください。
月の綺麗な夜に、私は彼と王城のバルコニーで2人きりのときを過ごしていた。
テーブルの上には、異国から取り寄せたという琥珀色のお酒。色違いのグラスが二つ。薔薇の紋様が刻まれたそのグラスは、これまた異国から献上されたらしいとても高価な代物だ。私は特に考えることなく、伸ばした手に近いほうを取った。
「君へのせめてもの誠意をと、この場を用意した」
「殿下……」
「聖女としての務め、ご苦労だった」
「ありがとうございます」
この二年間、聖女として選ばれた私は、神殿に籠ってずっと祈りを捧げた。
すべてはこの国が元の豊かな土地を取り戻すために。日照りが続き、不作にあえぐ国民たちを救うために。
伯爵家の次女として生まれた私は、「神殿に神託がおりたのです」の一言で住みなれた屋敷から連れ去られ、神殿の奥深くへと閉じ込められた。
軟禁されたといっていい。
聖女さま聖女さまと周りは持ち上げてきたけれど、私に自由はなかった。
贅沢を好むのは聖女ではない、と綺麗だけど最低限の家具しかない部屋を自室として与えられた。その部屋と祈りの間を往復するだけの日々。
身の回りの世話をしてくれる使用人は、私が話しかけてもそっけない返事しかしない。私が、聖女だから。
そして陰で私を世間話のついでのように馬鹿にする。
雨は降らない。あいつの祈りが届かないせい。出来損ないの聖女のせい。
時には、本気で罵倒する。
私の故郷の知り合いが飢えで死んだ。あの聖女、偽者よ。詐欺師じゃないの――。
私は自分が聖女だなんて、一度も思ったことはない。神託がおりたと言われて神殿に連れ去られてきただけ。
気が狂いそうな二年間だった。
どうにか自分を保てたのは、向かいに座っている彼がいたから。
彼――この国の第三王子が、聖女の婚約者として神殿に通い、私を励ましてくれたから。
雨が降ったら、私は聖女の役目を解かれて神殿から出ることができる。
そうしたら私たちは結婚する。
それだけを希望に、この二年をあの狭い世界で過ごした。
――なのに。
「水不足の一番深刻だった地方も、もう心配はいらないということだ」
「それはよかったです」
「君のおかげだな」
三ヶ月前、ようやく雨が降った。その雨は一時的なものには終わらず、この国はようやく昔と同じ豊かさを取り戻そうとしている。
「今日は月が綺麗だ」
違うでしょう。あなたが言うべきは、もっと違う言葉なはず。
まあ、いいです。少し、会話を楽しむということですね。
彼は、ここで私に婚約破棄を告げる。
そして隣国の姫の元に婿入りする。
この国に雨をもたらした、神に愛されし子として。
***
彼女が聖女に選ばれたのは、「ちょうどよかった」からだ。
日照りが続き、食べるものに困り、不満をためていた国民たちの矛先を変えるための生贄だった。
神託というのは嘘だ。
王やその側近が神殿と結託し、伯爵家に話を通し、当事者の彼女だけが何も知らないまま、その身をこの国のためにささげた。
彼女の両親は、伯爵家のために彼女が役に立ったと喜んでいた。
雨が降らなければ、聖女に非があるとそれとなく噂を流す。神官におりた神託は絶対のはずだから、問題は彼女個人にあると世間が思うように。
国民の不満が聖女に向いているうちに、不作に対する策を考えよう。それに雨が降らないといっても永遠にではないはずだから、国民が聖女の存在に気を取られている間に、きっと日照りは終わるだろうと考えられていた。
そして、三か月前、やっと待ち望んでいた雨が降った。
僕が彼女の婚約者にされたのは、多少は聖女さまのご機嫌をとったほうがいいと考えられたからだ。神殿に監禁状態の彼女には、何かしらのご褒美が必要だ。
世間知らずの箱入りお嬢様に、王子との結婚という夢を見させ、毎日毎日、無駄な祈りを捧げさせた。
グラスを持つ彼女の手の指には、僕が贈った指輪が光っている。三か月ほど前に彼女に渡したものだ。たいした価値のない、安っぽい指輪。
僕と彼女の婚約は、公にされていない。
神殿に足しげく通っていた僕は、聖女と同様に神に愛され、雨を呼んだ存在として知れ渡った。
元々、隣国にはこちらの王子を誰か婿入りさせるという話が進んでいた。
あちらからの強い要望もあり、僕に決まった。
我が国にたいへん利のある結婚だ。
***
とある親切な人たちが、私と第三王子との婚約はなかったことにされ、彼が隣国に婿入りすると教えてくれた。
彼らは、今のこの国の政治をよく思っていない貴族たちだった。
彼らは、聖女である私の存在をないがしろにしたと国民たちに知らしめ、今の政治の中心にいる貴族たちを引きずり下ろす力としたいらしい。
二年間、国のためにすべてを捧げた私を可哀そうだと言ってくれた。
よくある派閥争いといえばそれまで。
だけど、私が生き延びたいのなら彼らの力が必要のようだった。
なんと、王や側近たちは私を毒殺する予定だという。
第三王子との婚約話をあれこれ言われては、面倒だからだろう。
結婚の約束だと、彼が私の左手をとって指輪をはめてくれて喜んだのが、もう遠く昔のことのように思える。
私の死は、神がその身を欲し連れていってしまったからと発表するのだと聞いた。
この場所で、私は婚約破棄を告げられ、毒を盛られる。
暗殺者を差し向けず、王子自らが手を下すのは、彼自身による強い要望によるものだ。
彼が提示した、隣国に素直に婿入りする唯一の条件だった。
***
僕の母はあまり身分が高くなかった。
もともと侍女として仕えていたのを、王――つまり僕の父が見初め、つまみ食い程度に手を出したら男児を生んでしまった、という経緯だ。
僕が生まれたあとは王の関心は薄れ、強い後ろ盾のない母は後宮でとてもつらい日々を送った。
他の妃たちからのストレスのはけ口としていじめられ、使用人たちからも蔑まれた。
当然、僕もそうだった。
第一王子、第二王子から使用人のような扱いをされていても、誰も止められる者はいない。王はまったく持って僕に無関心。王子は他にもいたからだ。
だから、ちょうどいいと聖女の婚約相手にされた。
彼女のいる神殿に足しげく通ったのは、城に僕の居場所がなかったからだ。
そう、最初はそれだけの理由だった。
でも彼女と話しているうちに、彼女の隣こそが僕の居場所だと思えるようになった。
職人に頼み、自分で作った指輪を彼女に贈った。安っぽい指輪だと周りはバカにした目で見てきたけれど、彼女が喜んでくれればそれでよかった。
雨が降ったら、僕は彼女と結婚するはずだった。田舎の小さな領地でももらって、王位継承権なんて知りませんと、そこで彼女と二人で隠遁生活を送るつもりだったのに。
王や側近たちは、僕の新しい活用方法を見つけてしまった。
神に愛されし子として隣国に婿入りさせる。これは決定事項として僕に告げられ、拒否することは許されていなかった。
彼女との仲を引き裂くことは、この国を滅ぼすことだと何度も訴えたが無視された。
だからせめて、毒を盛るのは僕の手からでなければ、婿入りした先でなにをしでかすかわかりませんよと脅した。
城のバルコニーで、月の綺麗な晩にすべてを終わらす。
まあまあロマンチックだろうか?
***
私は彼を愛した。そして彼もまた、私を愛してくれた。
私たちは二年間の交流をへて、愛を育んだ。そしてある日、本当に神の言葉を聞いたのだ。
私が聖女として選ばれたのは、運命。
そして王家の血を引く彼との本物の愛が、神に祈りの言葉を届ける力になったのだと。
それが、この国の日照りが終わり、雨が降った本当の理由だ。
でも、私たちがそれを説明しても誰にも信じてもらえなかった。
彼とは離れ離れにされ、私は邪魔者として毒殺されようとしている。
私に毒殺のことを教えてくれた人たちは、復讐しましょうといった。そして、婚約破棄を告げられるこの場で、彼に毒を盛りなさいと薬を渡してきた。
私を毒殺しようとして誤って王子が毒を飲んだように、処理してみせるから、と。
彼らは、隣国との結婚話を潰したいらしい。全力で協力するからと言われた。
彼らは私のことを思ってくれているような態度をとる。でも、そうではないと知っている。彼らも王や側近と同じ、私を好きに使える道具くらいに見ている。
だって、提案を拒めば死ぬだけですよと鼻で笑われてしまったもの。頼んでいるようにみせかけて、私に選択肢はない。
私たちは愛し合っているのに、それぞれ相手を毒殺せよと命じられている。
***
この国に雨が戻ってきたのは、僕たちの愛が神の心を動かしたからだ。
もし僕たちが引き裂かれ、絶望することがあれば、この国を日照りなんかとは到底比べようもない苦難が襲うだろう。
特に、僕たちを苦しめた人たちほど、その何倍もの苦しみが返ってくる。
神はそう告げた。
周りには何度も説明したのに、みな、僕と彼女が恋に落ちてわがままを言い出したのだと無視した。
王や側近も、彼女に密かに接近した貴族連中も、毒殺が成功したところで全員破滅するだけだと理解してくれなかった。
僕たちの言葉は彼らには届かない。だって、元から僕たちの言葉なんて聞いてこなかった人たちだから、いまさら変わりようがないのだ。
ならば、もういい。
こんな世界に、僕たちは未練なんてない。
ただ、彼らに抱いた怒りだけは、最後にぶつけさせてもらってもいいよね。
今日、僕たちのどちらかが死ぬ。
***
今日、私たちのどちらかが死ぬ。
そして生き残ったほうは、私たちを苦しめた人たちが不幸になっていくさまを見届けてやるのだ。
「君との婚約を破棄する」
ようやく、彼がこの夜の逢瀬のメインである言葉を口にした。
「かしこまりました」
二人でふふっと笑う。
茶番だけれど、一応、言っておかないとね。
私と彼をこけにして、心を踏みにじった人々は、自分達のせいで大きな不幸がやってくることに気付いていない。でも、きっとすぐに知ることになるだろう。
本当はここで二人で命を絶ち、愛を貫くことも、とても素敵な考えだとは思った。
でも、やめた。
「結果を見届けたら、すぐに後を追おう」
「はい」
二つのグラス。どちらかに毒が入っている。
どちらが生きてどちらが死ぬか、私たちには決めきれなかった。
だからこういうやり方にした。
片方がグラスの一つにこっそりと毒をいれ、もう片方がどちらを飲むかを決める。
彼は、何かを惜しむように私をじっと見つめる。私は自分ができる限りで綺麗に微笑んでみせる。
「では、そろそろ」
「ええ」
「愛している」
「私も、愛しております」
――私たちは、中身を飲み干した。
勢いで書いたんですが、とにかく暗い話になりました……。