65小節目 逃げ道はなくなった
「えっと……お知らせがありますっ!」
パート練習が始まるや否や、高野玲奈は大きな声で宣言した。入部から二か月――今まで、引っ込み思案であった玲奈がこうやってアクションを起こすことはほとんどなかった。
ちなみに今日の玲奈は、僕にひっついていない。
「珍しいじゃん。玲奈ちゃんから何かあるなんて」
「何々? 粕谷、気になります!」
ざわつく先輩方2人。しかし、好意的な反応。2年生の粕谷未瑠先輩に至ってはぐいっと玲奈に顔を近づけている。
「せ、先輩近いですっ……」
「ああ、ごめんごめん」
改めて、玲奈は宣言する。
「ボクは、昨日から……見澤悠斗くんと、お付き合いさせていただくことになりましたっ!」
「……え?」
思わず僕から声が漏れてしまう。
……それ、宣言しちゃうのか。わざわざ。
「え……ええーっ!?」
めちゃくちゃテンションを上げて驚いたのは粕谷先輩だった。いや、あなたもさんざん見てきたでしょうに。僕に玲奈がひっついてるの。
「……まだ付き合ってなかったのー!?」
……ああ、そっちなら納得です。
「ねー! 毎日ずーっとひっついてるから、つい付き合ってるものだと思ってたよ」
「そ、そのことは忘れてくださいっ! 恥ずかしいですっ……!」
3年生で部長でもある山かおる先輩も同意すると、玲奈は一瞬で顔を真っ赤にして、自らの前で右手をブンブンと振った。どうやら四六時中僕にひっついて回ってたことは黒歴史らしい。
ひょっとしたらそこまで黒歴史だとは思ってない、という線もあったのだが……自分を制御しきれずに僕に迷惑を掛けたと考えるのであれば、そりゃあそうではある。そこまで迷惑には思わなかったけれど。
「でも……良かったね、玲奈ちゃん。ちゃんと両想いになれて」
山先輩の手のひらが玲奈の小さな頭に置かれ、優しく撫でる。玲奈は心地よさそうにそれを受け入れた。
「ふぁい……だからボクは、ゆーとくんの隣にいるのが恥ずかしくないボクになれるように頑張りますっ……!」
玲奈は、しっかり聞こえるように山先輩に伝えた。
そっか。玲奈がこうして宣言するのは、一種の決意表明だったわけだ。自分はこういう人と付き合いました、だからこの人の隣に相応しい自分になれるように頑張ります……という、決意表明。
そして、それをするということは、自ら逃げ場をなくすということでもあり……。
「見澤くん。こんな健気で可愛い彼女、絶対に大事にすること。破ったら、粕谷が恨みつらみエグみを全部込めて殺しに行くから」
「絶対破りません……」
……同時に、僕の退路もがっつりと断たれるということでもあった。
-♪-
玲奈にとって、ずっと僕にひっついて回っていた時代は黒歴史らしい。実際その通りらしく、付き合うと決めた時以来、僕に玲奈が四六時中ひっつくことはなくなった。何なら、平均的な物理的距離で言えば付き合う前の方が近かった気さえする。
「ゆーとくんが好きだって言ってくれたから、ボクは安心できます。……それに、ゆーとくんに、ボクの大好きを、あげた……から……」
とは、玲奈の談。最後の方は消え入るような声だったけれども逃さず聞いた。今すぐ抱きしめたくなったが普通に人目につく場所だったので自重。
あの時お互いの想いをしっかり伝え合った上で付き合ったという事実が、玲奈を安心させているようだった。僕が他の子に行くことはないと、安心させることだった。だから……いつもいつもひっついて僕の所有権を主張する必要がない、ということなのだろう。
そして、玲奈は色々な面で自分の殻を破ろうとしていた。(人前で僕にひっついておいてアレだが)引っ込み思案で、テスト期間での休みの後にトランペットで吹き方を忘れてくるような、少々抜けた性格の玲奈。だけれども、本質は努力を欠かさないストイックな性格であるのも知っているし、独自に理論立てて明確に意図をもって一音一音吹くという独特なスタイルを楽器を持って2か月足らずで確立してしまうという、頭の回転の良さも僕は知っている。
そう考えると、元々ポテンシャルは十分以上にあった玲奈なんだ。そんな玲奈が――その小さな身体に不釣り合いな大きすぎる恋愛感情を持っていた玲奈が、『僕の彼女として恥ずかしくないような人になる』と努力をしたら伸びない訳がなかった。
楽器の腕前が伸びるのは、もはや当然として。
「おはようございます、先輩っ」
「あ、あの、手伝いますっ……!」
「ここ、先輩はどうやって吹いてますか……?」
引っ込み思案だったところが、少しずつ積極的になっていき。人間としても、大きな成長を遂げていた。
「かおる先輩。好きな人が出来ると、あんなに変わるんですね……」
「うん。恋愛の力って偉大なんだねー……」
「あーあ。粕谷も恋したいなー……チラッチラッ」
「……あたし?」
「今から付き合いませんか? 粕谷めちゃくちゃ覚醒しますよ」
「どうせ未瑠は『そういう』方面でしか覚醒しないと思うから丁重に断るね」
「ひどいけどあってる……!」
「あってるんかい」
そうなると、プレッシャーがのしかかるのは僕の方であったりする。『僕の隣に相応しい人になる』と頑張る玲奈ではあるけれど、こうも変わられたら僕の方が玲奈に相応しくない人間になりかねない。
けれども、玲奈のようには上手くいかない日々が続く。特にトランペットなんかは、音量こそいいんだけど、音色がどうしても雑になってしまう。『音色の改善にはロングトーンの練習がいい』と、以前山先輩が言っていたのを思い出して、それをするんだけど……ひたすら一つの音を伸ばし、その音を見つめて、少しずつ改善していくという地味な作業。いかんせん、やってる途中で何が正解で何が不正解なのかが分からなくなるのだ。
「ゆーとくん、ロングトーンの練習ですかっ?」
教室の隅でロングトーンの練習をする僕に、トランペットと譜面台を持ってきた玲奈が話しかけてくる。
「うん……俺って、音があまりよくないからさ」
「確かに。ゆーとくんの爆音はバンドの音を破壊しかねませんからね」
「……辛辣では?」
付き合ったからといって、分かり切った悪の要素に対して謎に当たりが強いことは変わらないらしい。
「良かったら、ボクが付き合いましょうか? その……ゆーとくんの、彼女ですしっ……」
……そのセリフはずるい。今すぐ抱き着きたい衝動を抑えて、頭に手を軽く置いて撫でるにとどめる。
「ありがとう、それじゃあお願い」
「はいっ……!」
しかし。音色が悪いことが分かったとして、それをどうやって解決するかの方法が楽器を持って2か月ちょいの玲奈に分かるはずもなく。
「見落としてました……音がよくないことは分かるんですけど、ボクにはその解決策が思い当たらないですっ……ごめんなさいっ……」
「そりゃそうだよな……」
何となく分かってた結末ではある。
「まあ、玲奈も楽器初心者だし」
「音楽は初心者じゃないですけどっ!」
「知ってる。だから、そういうアドバイス的なのはいいんだ。ただ、玲奈がいてくれるだけで、何となく心が落ち着くというか……あー、もう恥ずかしいな……」
こうやって、なんだか恥ずかしいことも言えてしまうのは玲奈が相手だからなのだろうか。
「……それじゃ、ボクも隣で練習しますねっ。音が悪いとは言いましたし、実際そうですし、今すぐにでも改善してほしい所ではあるんですけど」
「辛辣すぎませんかね」
「……でも、ゆーとくんの隣。ボクは、好きです」
照れたように笑った玲奈の笑顔が、僕の口角を押し上げてくれた。
「もちろん俺も好きだ。……練習、再開するか」
「はいっ」
その後出てきてくれた僕のトランペットの音は、余計な雑味が消えて、気持ち軽かったような気がする。
……浮かれてる音が出た、ともいうかもしれないけど。まあ、それはご愛敬ということで。




