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4小節目 私がいる理由

 僕は今、吹奏楽部に来ている……というか、2年生の先輩に強制連行された。詳細は省くけど。


 ……とにかく今日は、長谷川(はせがわ)先生の勧めで弦バス――つまりコントラバスという楽器を体験することになった。身長の高さよりも大きいバイオリン、というたとえがしっくりくるような楽器だ。吹奏楽は主に息を吹き込んで演奏する楽器、管楽器がほとんどであるが、弦バスは弦を弓でこすって音を出すため、弦楽器という種類に分けられる。吹奏楽で唯一の弦楽器だ。

 ちなみにこの辺の知識は全部長谷川先生から教えてもらったもの。


中井田(なかいだ)さん。この子の楽器体験の指導、お願いできる?」

「ええ、もちろんです」


 長谷川先生から中井田さんと呼ばれた落ち着いた雰囲気を醸し出しているロングヘアの先輩。その3年生の先輩は快く僕の指導を引き受けてくれた。トランペットで副部長の(やま)先輩みたくあんまり前に出て目立つタイプでは到底なさそうだが、どうやらこの人が吹奏楽部の部長だという。


 予め用意してあったもう一台の弦バスが横に立て掛けて置いてある学校椅子に、中井田先輩は僕を案内してくれた。見た目からして高額そうな弦バスではあるが、元強豪校だからなのだろうか楽器の数や質の心配はしなくても良さそうだった。無論僕の目の前にある弦バスも、あまり使われてなさそうではあったが状態は良好のようだ。


「さて、と。……見澤(みさわ)くん、だったわよね。私は中井田文香(ふみか)。こんなでも、一応部長よ。よろしく」


 山先輩とは大違いだ。ぱっと見の印象からしてそうだったが、大人びていて、何というか安心感や安定感というものがある。この部の音楽を支える低音楽器を担当しているというのもあるのだろうか?


「よろしくお願いします。そう言えば僕の名前、知ってるんですね」

「みんなから話題に上がっているから、名前はもう覚えてしまったわ」

「あはは、そうですか……」


 入部すらしていないというのに、僕はもう部活内で有名人と化しているらしい。まあ、女子だらけの吹奏楽部にたった一人で男子が来ているのだから当然も当然だろうなあ……苦笑いで、僕は僕自身の照れをごまかす。


「ええ。何だかんだで男の子の入部というのは、結構みんなの関心事よ?」

「まだ入部してないんですけどね……」

「そうなの? もう半ば入部しているようなものでしょ?」

「……確かに、そんな扱いを受けている気はします」


 今日の強制連行の件だってそうだよな、と僕は思う。とはいえ、あの強制連行がなければおそらく僕は今日の仮入部の時間を教室でずっとうだうだしていたかもしれないわけで。その点、心音には感謝しなければいけない……というわけじゃないよな。うん。僕はれっきとした被害者だし。


「まあ、入部を強制するわけじゃないのだけれど……実は私も、見澤くんの力はこの吹奏楽部にとって確実に必要だと思っているの」

「え……?」


 思いもよらない言葉をかけられて、僕はどう反応すればいいのか分からずにポカンとした。その様子を見て、中井田先輩はさらにこう付け加えた。


「変なことを言ってごめんなさい。でも、私は確かにそう感じているの。社交辞令でも何でもないわ、本当よ?」


 心の奥が、不意にざわめいてしまう。何かが呼び起こされるような、そんなパワーを中井田先輩の声から僕は感じ取った。その何かというのは、よく分からないんだけど。


「それじゃあ、早速やりましょうか。まずは持ち方から――」




--※--




 仮入部初日の合奏の時、この音に僕は全く気がつかなかった。


 中井田先輩、相当上手い。ただ弦を弓でこするだけなのに、何で僕と中井田先輩とでここまで響き方に差が出るのだろう。中井田先輩の音は正確かつ明確で、ずっしりと太く重々しい音色であるにも関わらず、音の形がとてもハッキリとしていて聴きやすい。

 そんなことを僕は、中井田先輩に教えて貰いながら思ってしまったわけだ。


「そろそろ少し休憩入れましょうか。多分、指がちょっと痛いと思うからね」

「はい。そう、ですね。何だか指の皮が破けてしまいそうです」

「初めてはそういうものなのよ。どんなことも慣れてしまえば楽になるわ」


 音程を取るために弦を必死に押さえつけていた左手の指が若干痛む。そこを見ると、やはりというべきか真っ赤になっていた。さすがに血は出ていないけれど。


 他の管楽器とは違い、音を出すだけなら弦バスはとても簡単だ。でも、音程を取ったり、ちゃんと音楽として聴かせられるようになるための努力は、他の管楽器同様に必要になってくるんだろう。現に、中井田先輩の音は僕の音と全然質が違うわけだから。


 ……そうだ。初日の合奏以来、弦バス関連でずっと聞いておきたいことがあったんだ。


「あの、先輩。質問いいですか?」

「ええ。どうぞ」

「何で、弦バスって吹奏楽にあるんでしょう? 他の楽器は全部管楽器……とかというものなのに、何で弦バスだけが弦楽器として編成に入ってるんですか?」


 その質問に、中井田先輩はニヤリと笑った。大人っぽい先輩の雰囲気から突然出てきた、子供がイタズラを企んでいるかのような、そんな笑い方。少し、ドキリとした。


「ふふ、良い質問ね。……何でだと思う?」


 質問を質問で返された。そういうの、困るんです。まあ……とりあえず答えるだけ答えてみる。


「んんー……歴史の名残、とかですかね」

「なるほど。中々勘が鋭いわね。まるで吹奏楽のことを知っている人かのような答えよ?」


 頭の中でぱっと適当に考えて言った回答が褒められた。もしかして、ニアミスだったりするのだろうか?


「確かにそう考えている人はいる。でも、それは間違いなのよ」


 中井田先輩は僕の回答をバッサリと強く否定した。ハッキリ間違いと言われると、ちょっと落ち込む。僕の様子が分かりやすかったのか、中井田先輩がフォローを入れてくれた。


「いいのいいの、こちらの質問に対して何かしらの答えを返してくれただけでも褒められるべきことよ?」

「あ、ありがとうございます?」


 これは、褒められてるんだよな……? 褒められるべきこと、って言ってるんだから、多分、そう。


「ふふっ。……それじゃあ、私の考えを言うわね。とはいっても、たった一言の簡単で単純な理由よ」


 空気がぎゅっと、引き締まった。凛と澄んだ、中井田先輩の顔つき。真剣そのものの表情で、中井田先輩はそのたった一言を僕に伝えた。とても、大切に。



「『必要だから、ここに在る』。……それだけよ」



 なんて簡単で、単純で……しかし、力強い説得力のある理由なんだろう。昨日の山先輩の言葉……楽しいから音楽をやる、だってそうだ。

 何かしらのちゃんとしたものを持っている人の言葉というのは、心にすっと自然に届いて、しかしそれでいて強烈な印象を植え付けるものなのだと思った。山先輩の『だって楽しいんだもん、音楽やるの』というセリフに続き、2日連続で僕がこんな経験をするだなんて。


「納得しました。すごく」

「そう? ありがとう。……この言葉が当てはまるのは、何も弦バスだけじゃないわ」


 中井田先輩は言葉を続ける。表情や声色は別段怖いわけではないけれど、真剣さはしっかり僕に強く強く伝わってくる。……まるで、中井田先輩の心の叫びのようにも思えてくるくらいに。


「この吹奏楽部だって、私が部長の役職についていることだってそう。必要だからここに在るのよ。……そしてあなたがここに在るというのも、きっと必要だから」

「必要だから……」

「誰にとってなのかは分からないけれど。私達にとってかもしれないし、将来私達の演奏を聴く人にとってなのかもしれない。もしかしたらあなた自身にとって、ってこともあるわ」


 僕はどう反応すればいいのか分からない。中井田先輩の言葉に、気圧されているのだろうか? それとも、今の僕、入部を迷っている僕の状況にクリーンヒットするような言葉だからなのだろうか……。


「……結局、本当の答えなんて分からないのよ。それでも、少なくとも自分の中にそういう考えがあれば……苦しい時や辛い時も、きっと強くいられる。私はそう思っているわ」


 柄にもなく語っちゃったわね。中井田先輩は少し恥ずかしげに、それでも後悔はないといった感じに笑った。

 僕の身体には、未だに中井田先輩の言葉の余韻が残っていた。


「いえ、大丈夫です。……今の僕にとって、とても響いてくる言葉でしたから」

「それなら良かったわ……さて、そろそろ再開しましょうか」

「はい。お願いします」


 指の痛みもだいぶ緩んできた。僕は弓を持ち、再開した中井田先輩の指導に耳を傾けた。

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