52小節目 どうにかしなきゃ
……全然調子が出ない。勉強も部活も、全部ダメだ。僕、脆すぎるな……。
ああ、あの時僕がもっと上手くやれば。たとえ上手くやれなくても、あの時動いて止めることが出来さえいたら、こんなことには……。
空席になっているフルートの席を、僕はただ呆然と眺めていた。
「見澤くん、大丈夫? 生きてるー?」
「あ……山先輩。大丈夫、です。……それじゃあお疲れ様です」
心配されたくなくて……いや、先輩が僕を心配するのを目の前で見たくなくて、僕は逃げるように楽器をしまいに行った。
……っ、どうか、してる。俺。
--※--
登校する時、『両親の都合』という理由で越阪部夢佳が休む、というのを彼女の友達で僕の幼馴染でもある佐野心音から聞いた。しかし、タイミングがタイミングだ。当然心音は不審がった。
隠してもどうにもならない。僕は昨日あったこと――越阪部と衝突して、そのことを過保護な越阪部母に見られてしまった、ということを心音に話した。心音は特別怒ることもせず、ただ、『そっか』とだけ言って一緒に落ち込んでくれた。
『どうにかしなきゃ、ね』
落ち込んでいる中でも心音は前を向いている感じがした。以前越阪部の母のことを『何もできない』と言っていた心音だが、それが分かっていながらも立ち向かおうとしているのだ。
ああ、強いな、心音は――。僕が情けない、つくづく。
そして、そんな強すぎる心音が僕の隣にいて、一緒に帰っている。
夕陽の光は濃い灰色の雲にさえぎられ、僕らに届かない。
「悠斗」
「……うん」
「どうにか、しよっか」
「そう、だね」
無言。心音との帰り道ではまずありえないくらいの無言。
この状況を引き起こしたのは他でもない僕なんだ。だから、何か少しでも喋って、越阪部を外に出してあげたいのに。どうにか、しなければ、いけないのに。
いけない、のに。
「……」
心臓が押し下げられているような苦しさ。得体の知れない何かにぐっと抑圧されている。
前に踏み出さなければいけないのに、そうしようとすると……すごく、苦しい。
後ろを向く。苦しさから解放される。苦しくなくなったはずなのに……なぜだかそれが、すごく嫌だった。
「悠斗」
不意に、ぎゅっと手を握られる。思わず歩くのを止めて、その横顔を見る。
「……心音?」
「一人じゃないからね。ウチもいるから。だから……一緒に、考えよう?」
「でも、原因を作ったのは俺で……」
「違うよ。ずっと近くにいたのに何も出来なかったウチにも責任はある。それに……親友が困っているとき、どうにかしてあげたいって思っちゃ、ダメかな」
心音の言う『親友』は間違いなく越阪部のことなんだろう。ほんの少し前……越阪部と僕らが隔絶された時に、越阪部が心音に大分助けられたと言っていた。
そして、心音もまた越阪部のことをすごく大切に思っている。最近知り合った僕よりも遥かに強い思いなんだろう。
「……何も、おかしくない、けど」
「でしょ。だから、ウチも一緒に考えるし、一緒に解決しにいく。一人より二人、でしょ?」
そう言って心音は僕を見据える。その笑顔には不安はない。僕らの日常に越阪部を取り戻すため、ただ前を向いて、そして前に進んでいこうとする。その道が過酷だと予想出来ていても、だ。
ああ、なんて心音は強いんだろう……。
「ありがとう、心音」
「当たり前のことだよ、悠斗」
そして、普段越阪部と別れるごくごく普通の十字路。そこで、心音は。
「……ウチ、ちょっと夢佳の家に行ってくる」
「え?」
そんなことを言ってきた。自信満々で。
「夢佳のお母さんと話がしたい。少しでも行動してみなきゃ、ね?」
心音の言葉の隅々から満ち溢れるパワーを感じる。すごく。
進もうとしている道は苦しいはずなのに、それでも心音に乗せられて、僕は。
「それなら、俺も」
「悠斗はダメ」
即座に否定された。……まあ、何となく理由は分かってしまう。
「……嫌われてるから?」
「そう。だから、ウチ一人で行く」
……本当は一緒に行きたい、すごく。でも、そうしたいという気持ちとこうするべきという正解が必ずしも同じという訳じゃないことを僕は知っているし……今この場面は非常に分かりやすい例であるということも僕は分かっている。
それに、僕は心音を信じている。だから僕は……一歩、引くんだ。
一歩引いたところで……やっぱり力になってなくて情けないな、と思った。
「分かった。……ごめん、心音」
「謝らなくていいよ。それに」
心音は、そんな僕に向かって。
「勇気をくれたのは、悠斗が隣にいてくれて、一緒に悩んでくれたからだよ」
「え……」
……こんなことを。
こんな、ことを。
「ふふっ、悠斗。ウチ頑張ってくるね!」
あー、もう……ほんと、心音は……。
何で……何で心音ってさ。
越阪部を取り戻すだけじゃなくて、凹んでた僕まで元気にしてしまうのだろう……。
ずるいだろ、そういうの……!
「……頑張れ、心音!」
そんなずるすぎる心音に向かって、僕は仕返しとばかりにガッツポーズを送ってやった。
僕らの日常から越阪部が取り上げられたという異常事態。だというのに……心音のおかげで、心から笑えた。
--※--
「……どうしよう」
間もなくして、息を切らせて走って戻ってきた心音は青ざめた顔をしていた。そのことは、非常に悪い結果が返ってきたということを意味していて。
……僕の気持ちも急転直下。やはり、僕は――。
「心音……?」
「はっきり覚えてた。ウチのこと。夢佳の親友としてじゃなくて。『あの子と一緒にいる子』だって」
憔悴に駆られてか、心音は早口で抑揚なくそう僕に告げる。
がたり。心音の持つサックスケースがアスファルトの地面に落ちる。
「あの人は難しいって分かってた。分かってたんだよ、ウチ。でも……」
続いて……心音の膝も。
「……ウチも、ウチでも無理なんて……! そんなの本当に、ほんっとうに嫌だ……嫌だよ……っ!」
僕は悟った。
あの時の僕は、越阪部に最悪なことをしてしまったんだと。
僕の手によって、越阪部がいる鳥かごに南京錠をかけて、その鍵をどこか遠くに投げてしまったのだと。
目の前で号泣する心音を慰めたかった。でも……そんな資格、俺にはないから。
原因は俺だから。俺なんだから……!
奥歯を噛みしめて、手を強く握って、ただ……泣きじゃくる心音の前で立ち尽くしていた。
立ち尽くすことしか、できなかった。
そんな僕らを照らす光はどこにもなくて……ただただ薄暗い闇が僕らを包み込んでいた。
……いや、違った。
目の前の現実から目を逸らして空を見ると、分厚い、分厚い雲の隙間から……かすかに、しかしきらりと星が見えた気がした。




