41小節目 コンクールのソロ誰がやるか論
完全に忘れられてもいい。忘れられてもいいから、今だけは上手くなっていたい。
上手くなっていれば……今だけでも居場所は出来るから。
ただ死ぬこととは違う。『存在』自体をなかったことにされて、僕らから中井田先輩に関連した記憶が全て失われる。
そんな代償を受け入れてまで、あの人は今必要とされることを欲しているのだろう。僕には到底分からないけれども……あの人にとっては、それがすごく重要なことなんだろう。多分。
でも、僕はあの人が単にそれだけの理由で契約を交わしたわけじゃない気がするんだ。
もっともっと、すごく深い理由がある。それこそ、僕なんかが理解するなんて到底不可能な理由が……。
合奏前の音楽室。中井田先輩は今年入ってきた同じ楽器の後輩――すなわち、僕と同い年の女子に何か教えているようだった。
その様子は至って普通の優しい先輩で……彼女が持ち合わせている運命なんて、少なくとも外からは全く分からない。
一体、どんな思いで日々を過ごしているのだろう、あの先輩は……。
……けれど今は僕自身のことを優先するべきだ。ソロは散々だったし個人練習もほとんどできていない。
というかフレーズ自体は完璧に吹けているんだから、あとはソロのプレッシャーに打ち勝てるようになれればいいだけのことだ。まあ、それが、果てなく難しいことなのだろうけど……。
とにかく、まずは経験を積まないことには始まらない。
僕はトランペットに思い切り息を吹き込んで気持ちを切り替えた。
--※--
さすがに最初の合奏よりかは吹けるようになってきている。一応何とか形にはなってきてはいる。
でも……。
「悠斗さ、ソロのときになると急に女子みたくナヨナヨするよね」
「そうだな。男だと言うのに情けないぞ、キミは」
一緒に帰っている僕の幼馴染とその友人は僕の気にしていることをド直球で指摘してくる。いや、指摘にしては……。
「言葉の使い方が辛辣すぎやしないか……?」
「だって悠斗初心者の癖してソロ貰って浮かれてるんじゃないかな……って、さっ!」
「うぁうっ!?」
幼馴染の方、佐野心音につんとサックスケースの角で軽く脇腹をつつかれて思わず変な声を上げてしまった……。
「結構面白いよね悠斗」
「だな」
「意気投合しないでくれますか……」
心音と顔を見合わせてうなづく、心音の友人である越阪部夢佳。クールな癖してこういうのにはなぜかノリがいい……。
というか、案外越阪部は冗談を言うタイプだと最近気が付きつつある。
「私は別にまだソロとかを貰いたいとは思わないが……まあ、正直悔しいとは思うな」
「夢佳もソロ、将来はやってみたいと思う?」
「まあな。先輩が『夢への冒険』でソロやっているのを見ると、やっぱり憧れてしまうな……」
心音の問いに、越阪部はほんのわずかに眉を下げながら口端を上げる。照れているのだろうか……?
ちなみに『夢への冒険』とは、今年の夏にある吹奏楽コンクールで演奏する予定の曲だ。……ああ、そういえば。
「そういえば、『夢への冒険』と言えばアルトにもソロあるけど、それは荒船先輩に譲ったんだ」
荒船栞先輩は、心音と同じアルトサックスの3年生だ。言ってしまえば悪いが……荒船先輩は途中入部で入ってきたこともあって、心音と比較すると実力で一歩劣る印象を受けてしまう。
また、『夢への冒険』のアルトサックスのソロはかなりジャズっぽい感じでクラリネットと楽し気に掛け合うところだ。なので、楽しそうに吹けるという点でもソロは心音の方が適役に思えた。
それに……演奏する場所はコンクールだ。結果を求める場所。たとえ学年が下だとしても、普通は実力のある人間が担当すべきだ。
僕は、そう思っていたが……。
「うん。だって、ウチらはまた来年も再来年もコンクールに出れるでしょ?」
心音がコンクールに対して考えるスタンスは僕とは違うものだったらしい。
「……つまり、荒船先輩の思い出作りってことか?」
「その言い方は良くないなー、悠斗」
むすっとした顔を向ける心音。じゃあ、一体なんだ?
「思い出作りを手助けするなんてさ、そんな偉そうなことはウチらには言えないよ。三年生、すごく大変だったって聞いてるでしょ?」
「……まあ」
三年生がまだ一年生だった時、真中吹奏楽部を襲った大事件。多くの退部者を出し、顧問も辞職して、吹奏楽部自体の存続が一気に危うくなって……何とか存続はさせたものの、部員は激減、学校からも疎まれる存在になって。
ああ。今、僕らがいる吹奏楽部は……あの三年生たちが頑張っていたからこそあるんだ。
「それなのにウチがソロをやるなんて無理だよ。大事なコンクールだからこそ、三年生たちに主役を張ってもらいたい」
心音は笑顔を向ける。その笑顔は当然、彼女らしい真っすぐなもので、全くもって残念そうな感情のかけらすらなくって……僕に反論の余地はなかった。
「横から失礼する。私にも、言いたいことができた」
「……越阪部?」
僕を責めにかかるのか、また……?
少々不服そうな顔を浮かべた越阪部から出た言葉は、そんな僕の予想とは全く違うものだった。
「多分だが……先輩たちや長谷川先生は、コンクールで絶対いい賞を取ってやる、という感じじゃない気がするんだ」
「……先生も?」
長谷川先生もそこまでコンクールの結果に固執していない……?
あいや、まあ、話で聞いた三年生が一年生だった時の顧問と比べれば、固執していないのは明らかだけど、でも……先生がそのスタンスを取るのっていかがなものなのだろう?
「そうだな。というか、部の状況が状況だろう。いくら心音が入部したとしても……部員は大きく減り、実力も落ち、そして何より初心者である一年生が部の半数を占めているんだ。その現状からコンクールの結果を求めると、練習はおそらく今の比じゃないくらいに苛烈になる」
どこまで練習を詰め込むか。どこまで本気になるか。どこまで楽しさを許容するか。
瓦解した前例がある分、また、これが初めての顧問である分……長谷川先生はおそらく慎重になっている。
多分やろうと思えば、もっと音楽を突き詰めることは可能なんだろう。そう思わせるくらいの実力が、長谷川先生にはある。
「そうしたら今の吹奏楽部が耐えられると思うか? 私は思わない。無論、まだまだ下手くそな私はどんな練習でも食らいつくが……そこに全員が付いていけるかどうかというのは、別問題だ」
そんな言葉を言う越阪部が不服そうな表情を崩さないのは……やはり、彼女はもっと本気で結果を突き詰めたい人間なのだろう。
しかし、越阪部は一年生の初心者。そんな偉そうな態度を取ったところで孤立するのは目に見えているし、そもそももし越阪部が上手かろうがやり方を強制するのは良くないことだ。越阪部はその辺を冷静に理解できる人間なのだろう。
そして、理解できてしまうから、自分の理想を無理やり押しとどめていて。
……『まだまだ下手くそ』だと自分を卑下することで、それっぽい雰囲気を自分で何とか作り出そうとしている、のか……?
「……なるほどな」
引っかかるところはあったが、越阪部の言っていることは筋の通っていることだ。
僕はとりあえず納得の意志を示し、深く追求しないことにした。
「でも!」
「っ」
越阪部が珍しく大きな声を上げるから身体がびくりとしてしまった。
越阪部の人差し指が僕に真っすぐ向いていた。目線が鋭い……。
「私が人のことを言える立場ではないが……ソロを張るなら、キミはもっと上手くなるべきだ」
「はい……」
「真中の看板を背負うことを自覚しているか、キミは? たとえ演奏する相手が小学生だとしても外に出ることには間違いないんだ。甘えは許されないからな」
「はい……」
見事なド正論にぐうの音も出なかった……。
そんな僕と越阪部のやり取りを、心音は笑いながら見ていて。
「うひゃっ!」
……気が付けば、電柱に派手にぶつかってしりもちをついていた。
おそらく前方不注意とかそういうやつだろう。僕は越阪部と苦笑いを交わすと、いつものように心音に手を伸ばす。
「ったく……心音、大丈夫?」
「あはは、ごめんごめん……いつも通り無傷だからへーきへーき!」
差し出されてきた心音の小さな手をぎゅっと握って立ち上がらせる。心音はスカートをはたいてホコリを落とし、困ったような笑いを浮かべた。
そんな様子を見て、越阪部がやれやれと肩をすくめた。
「心音がドジを踏まない日を見たことがないな、本当に」
「あはは……気を付けてるつもりなんだけどなー……」
まあ、結局、いつも通りの三人だった。
この帰り道の風景、あとどれくらい繰り返されるのだろう。
……少なくともすぐになくなる、なんてことはないよな。
……あ、そういえば心音にソロをやるときのアドバイス、聞いておけばよかった。
今度、昼休み辺りに一緒に練習誘って特訓してもらおうかな……。




