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With Heart and Voice -僕らの音は、心と共に-  作者: NkY
F 絆を紡ぐ音(悠斗√)
42/73

40小節目 ソロと、代償と、存在と

 『パプリカ』。少し前の曲ではあるものの、未だに子供たちに人気のある曲。

 僕も去年小学校にいたときに、小さい子たちがよく歌って踊って笑っていたのを廊下で見かけたことがある。

 そんなことから、小学校との交流行事にて演奏するにはピッタリの一曲だと思う。


 そして、僕は運命の直撃で、その曲の途中にあるソロを務めることになった。


 で、今日はその初めての合わせ。要するに初めてのソロ体験ということになる。

 今年からトランペットどころか音楽に触れ始めた、初心者である僕。しかし、今回吹くソロのフレーズ自体は難しくなく、一人で練習する分にはほぼ完璧に吹けるようになっている。

 つまり、準備は万全だ。


 万全、だったが……。


見澤(みさわ)くん。よく頑張ってるけど……いくら何でも緊張しすぎだよ」


 顧問の長谷川(はせがわ)先生が苦笑交じりに言うと、音楽室は笑いに包まれた。

 まあ、この言葉で想像がつくだろうけど……最初のソロ体験は緊張でまともに吹けやしなかった。


 出番が近づくにつれて身体を揺するくらいに心臓がバクバク言ってきて、呼吸も浅くなって。

 浅い呼吸では十分な空気を肺にため込むこともできずに、そのままフレーズを迎えてしまって。

 そもそも楽器に吹き込む空気を用意することが出来なかった僕のソロの顛末はもはや言うまでもない……。


 隣からつんつんと肩をつつかれる。2年生の粕谷(かすや)未瑠(みる)先輩だ。

 手を広げて何かを欲しそうにしている。目線は僕のトランペットを向いていた。


「貸してよ。粕谷がキスしたげるから」


 合奏中なのにとんでもないことを言ってきやがるこの先輩。

 僕は言葉を失って硬直するしかなかった。


「あの時みたいに間接キスすればいい音出るんじゃないかなーって」


 あの時、というのは粕谷先輩が僕を拉致して、粕谷先輩のソロを聴かされた時のことだろう。

 僕はなんやかんやあって粕谷先輩が吹いたばかりのトランペットに口を付けて、ヤケクソで思い切り吹いて……そしたら、思っていた以上のすごくいい音を出した、ということがその時にあった。


 余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべる粕谷先輩。

 絶対に僕をからかってる。僕には分かる。


「それは偶然ですよ。そんなことしなくても、僕は大丈夫ですって」


 僕は握っている黄金色に光るトランペットを僕側に抱き寄せて、絶対にやらないという意志を示した。


「ふふっ、ウブなんだから」


 粕谷先輩はくすっと笑う。案の定僕をからかいたいだけ……ではなかった。

 その後、粕谷先輩は前に視線を戻すと少し肩を落としてため息をついているようにも見えた。耳が微妙に赤い気がする。


 おい待て。なんで残念そうなんだこの先輩。

 というか『キスすればいい音でるんじゃないかなーって』って言ってた時心なしか顔赤かったぞこの先輩。僕が気づかないようにしていただけで。


 ……いや。まさか。多分『そういうの』に興味のある年頃なだけだろ。

 粕谷先輩、結構……というどころかかなり脳内ピンクだしさ。裏では相当セクハラしてると聞くし。

 だから、多分、それだけだろ。おそらく。


 というかそうであってくれ頼むから。ほんとに頼むから。色々と困るから!

 こういう時、鈍感であればいいのにと僕は思ってしまう。


「粕谷先輩も人のこと言えないでしょうに……」


 また別の意味で僕の心臓が身体を揺らし始めた。あーもう、合奏中にそんなことするなって……!


 さすがにこれ以降は初回ほどひどいソロをやることはなかったが……ソロが回ってくると相変わらず緊張のせい(多分他の要因もおそらくある)で呼吸が浅くなって、楽器に思い切り息を吹き込めないままだった。

 まるでトランペットの管に何か綿みたいなものがつっかえているような……そんな抵抗を、僕はソロのたびに感じていたんだ。




--※--




『それで私の力を借りたいと』

「いや、清水(しみず)先輩の力はいらないですよ。何かズルっぽいので」


 部活終了後。ソロに完膚なきまでの惨敗を喫した僕は居残りを決行した。もちろん個人練習をするためでもあるが……もう一つに、この音楽室に居ついている幽霊である清水(しみず)(まい)先輩と話をするためでもある。というかそっちの方が主な目的だ。


「……ここにあなたの言う『ズルっぽいこと』をしている人がいるのだけれど」

「あっ……」


 そうだ……個人練習といえば黒髪ロングヘアであるこの人も当然いた……。


 中井田(なかいだ)文香(ふみか)先輩。弦バス弾きの、吹奏楽部の部長である。以前、中井田先輩は清水先輩の力を借りて『副作用』を代償に潜在能力を解放させてもらっている……という話を聞いたことがある。

 ちなみにどんな『副作用』があるかはタイミングが悪くてまだ聞けていない。


「いや、その……えっと……ごめんなさい」

「くすっ、いいのよ。あなたの言っていることは間違いではないから」

「そう言われるとますます悪いですよ……」

「実際悪いわよ?」

「うっ」


 何も言い返せない……。


『まあまあ、その辺にしときなって。見澤くんがかわいそうじゃない』

「分かっているわよ。私、そもそも怒ってないし」


 一見クールでミステリアスな中井田先輩だが、実は結構僕をからかうの好きなのでは……。


「むしろどちらかと言えば舞に怒ってる」

『え? なんで? 私は見澤くんの役に立ちたいから『契約』を持ちかけたんだけど』

「だから、あなたの言う『契約』は恐ろしいものなのよ。私以外にはしないでちょうだい」

『えー……?』

「じゃないと塩まくわよ?」


 中井田先輩はどこからか瓶に入った塩を取り出す。……なぜ持ってる。


『ひえっどうか塩だけはご勘弁ください』

「分かればそれでいいわ」


 不敵な笑みを浮かべて塩をさっとどこかにしまった。

 この前は酸素スプレーを取り出していたし……もしかして、某ネコ型ロボットの質量を無視してなんでも取り出せるポケットみたいな機構をこの先輩はどこかに携えているのだろうか。

 ……あり得るな。物理的に不可能な高速拘束をしてくる人もいる吹奏楽部だもんな……。


 それはさておき。清水先輩の潜在能力を引き出す『副作用』について……多分、聞くなら話題が傾きつつある今しかない。

 もちろんソロについて色々聞きたいところでもあるけれど……何だかんだで、ずっと気になることの一つだったのだから。


 意を決して僕は聞いてみる。


「あの、聞きたいことがあるんですが」

「ええ、何かしら」


 中井田先輩と清水先輩の視線がこちらを向いた。雰囲気からして大丈夫そうだ。

 僕は一呼吸置いて、その言葉を口にした。


「……『副作用』ってどんなのですか?」

『あー、それはね……』

「『存在』が消えるのよ」


 清水先輩が答えようとしたところを、中井田先輩が重ねるようにして答える。

 『存在』が消える……? とんでもないところから飛んできた答えだ。予想もできない。というか一体それが何なのかさえ理解ができない。


「え……?」

「将来のどこかで、私がここに『存在』していたことが完全に忘れ去られるのよ」


 そして、中井田先輩はまるで他人事のように言い放つ。


「だから、とある将来……あなたは私を思い出せなくなるわ」


 言葉を失う。今日二度目。けれども、一回目とは全く質の違う失い方だ。

 中井田先輩を思い出せなくなる。こんなにも強烈な吹奏楽部にいる部長を忘れてしまう。

 全く実感がわかない。


 というかそんな話があるのか? いくら幽霊という常識を超越した存在の力であるとしても。


「それって、本当なんですか」


 僕は清水先輩に目線を動かし、聞く。


 ……清水先輩は控えめに、ゆっくりとうなづいた。うなづいて欲しくなかった。

 常識なんてもはや通用しないこの空間にいるからして、僕はもう……信じがたいその事実さえ簡単に信じてしまった。信じてたくないのに。


「私はそれを受け入れた。むしろ、それを望んだわ」


 清水先輩と対照的に、中井田先輩はハッキリと語る。


 何でそんなことをハッキリと言うんだこの先輩は。

 何でそんな他人事のように言えるんだこの先輩は。


 何で、全く悲しそうじゃないんだこの先輩は……。


『必要だから、ここに在る』


 むしろ中井田先輩は、存在にこだわっている先輩じゃなかったのか……?

 音が聞こえないからいらないと言われて理不尽にコンクールメンバーから外されて以来、そうやって自身の存在にこだわっている人間じゃなかったのか……?


 とにかく、僕は……そんなことを受け入れる中井田先輩が嫌だった。


「なんで望むんですか、そんなこと。僕は嫌です。忘れたくないです」

「みんなそう言うわよ。でも、私はそうあるべきなのよ」


 そんな僕の半ば自分勝手な思いは、中井田先輩にまったく届いていないようだった。


 むしろ、笑っている。悲しさとか、寂しさとか……そんなのも感じられないくらいに笑っている。

 感情に敏感だと言われる僕でさえ、そういう負の感情を全く読み取れないくらいに笑っている。


 ……何で存在しなくなるべきなんだ、中井田先輩は。

 必要不可欠じゃないか。部長としてはもちろん、この真中(まっちゅー)吹奏楽部の音楽にも……中井田先輩の安定した弦バスの音色は絶対に存在すべきだ。


「……そんな悲しいこと言わないでください」

「悲しくなんかないわ」

「悲しいです」

「いいえ」


 強く首を横に振る中井田先輩。僕は押し黙ってしまう。


「私が存在しなくなるのは、正しいことなのよ?」


 中井田先輩が遠くを見る。目線の先には日の落ちつつあるオレンジの空が窓越しに見える。

 その姿はどこか、人間を超越した存在のようにすら思えてしまう。


 ……もしかして。

 この先輩は、単に自分を卑下しているわけじゃなくて。


「ちゃんとした理由もあるの。それは言わないけれども……もう少ししたら、あなたには分かるかもしれないわね」


 ……本当のことを言ってるのではないだろうか。

 まるで、この世界を司る神の言葉を代弁しているみたいに。

 一体なにがどう本当なのか、皆目見当もつかないが……ひとしずくの悲しさすら見せない中井田先輩に対して、僕はそんなことを思ってしまった。


 そして、僕はしばらくたってぞっとした。

 僕にそんなことを考えさせてしまう中井田先輩は、何者なんだ……?



 その後、案の定僕は末恐ろしい存在の超絶技巧(こじんれん)に圧倒されて……ろくな個人練もできずに家路についたのだった。

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