39小節目 ソロみくじ
とある日のパート練習。
「じゃーん!」
そう言って、パートリーダーの山かおる先輩が学校机に取り出した紙にはあみだくじが書かれていた。縦軸は3本……つまり、山先輩を除いたトランペットパートの人数と等しい。
「かおる先輩。これってもしかして……」
二年生の粕谷未瑠先輩が覗き込む。
「今度小学校でやる曲に『パプリカ』があるでしょ?」
「ありますね。最近粕谷、気が付くと口ずさんでるんです」
「それで、その曲にもトランペットのソロがあるでしょ?」
「ありますね。というかトランペットにソロ来すぎじゃないです?」
「確かに、今年の一年生入ってからやっている曲全部トランペットにソロあるね……まあ、それはさておいて」
……何となく分かった。
いや、分かったけど……それでいいのか……?
「この『パプリカ』のソロを、あみだくじで決めたいと思います!」
……このパートリーダーはとんでもない発案をする。
それに対しての反応は三者三様。粕谷先輩は「おー!」と拍手しながら讃えて、同い年の高野玲奈は「えええっ!?」とびっくりおどおど震え始める。
そして僕は……。
「……あー」
まあ、何というか、我ながら反応が薄いと思った。
「見澤くん反応が薄いよー。もっとちゃんとびっくりしなきゃ」
そして粕谷先輩から謎に注意された。ちゃんとびっくりするとはどういうことなのだろう。
「……うわー」
「棒読みが過ぎるぞー男子ー」
「な、なんだってー!」
「テンプレが過ぎるぞー男子ー」
「どっひゃー!?」
「それはわざとらしすぎるぞー男子ー」
「じゃあどうすればいいんですか!?」
「心の声を信じるんだぞー男子ー」
粕谷先輩は目を閉じて、胸元に手を当てて深呼吸をした。する必要性のない精神統一を始めたようだ。
そして、息を深く吐くと目をカッと開いて叫ぶ。
「で、出たー!? スーパーウルトラすごい可愛いかおる先輩の突発的ハイパーミラクル運試しキャンペーン!! というかかおる先輩なんて可愛いんだ世界一宇宙一いや次元一可愛いから今すぐ粕谷と付き合ってください結婚してください可愛い赤ちゃん産んでくださいどうかどうかよろしくお願いいたしますなんでもするんで」
叫んだと思ったら山先輩の前にイケボで跪いていた。びっくりするというかただ単にプロポーズしただけだと思うが。
そして、そんな感じで唐突にまくしたてられた山先輩は当然引くだろう。
「……未瑠」
引かなかった。むしろ乗ってきた。吐息交じりの色っぽい声色。
跪く粕谷先輩のあごをくいっとあげて息のかかるような至近距離で見つめてきた。逆に粕谷先輩が押される感じになっている。
「わ……」
「今、なんでもするって言ったよね……?」
「い、言いました、言いましたけど……ひゃっ……!」
そのまま肩を掴んでゆっくりと粕谷先輩を押し倒す山先輩。粕谷先輩の顔がみるみるうちに紅潮していく。
……こんなところ僕は絶対見ちゃいけないんだろうけど、何というかその光景が美しくて目が離せない。これが男の性というやつなのだろうかごめんなさい。
山先輩の細く意外としっかりとした人差し指が、つーっと粕谷先輩の唇をやけに色っぽくなぞる。
びくりと粕谷先輩の身体が震える。半ば諦めたように、半ば期待しているように……粕谷先輩は目を閉じて力を抜いた。
その粕谷先輩の唇に山先輩が迫る。
「えい」
「むぐぅ」
距離がゼロになる寸前で……山先輩はどこから取り出した何かを粕谷先輩の口にぶち込んだ。
「……からいいいいいい!?」
さっきのしおらしさはどこへやら、すぐさまバッタよろしくバックジャンプをしてジタバタ悶絶する粕谷先輩。実にリアクションがいい。
「え!? 何!? 何やったんですかかおる先輩!?」
「激辛チョコレート? っていうのが何か制服のポケットの中に入ってたからそれ使ってみた」
「うわあああああああんかおる先輩に振られたああああああ……」
粕谷先輩は教室から飛び出して流しに直行した。廊下から水道の流れる音がバシャバシャ聞こえる。多分水をがぶ飲みしてるんだろう。
というか何で制服のポケットにチョコ入れてるんだ。そもそも激辛チョコレートって一体なんだ。
「……まー、あたしの見込みなら一年生でもこのくらいのソロはもういけると思うんだよね。それに、相手は小学生だから楽しく吹ければ大丈夫大丈夫」
そんな粕谷先輩には全く気にも留めず、山先輩は僕らにそう言ってウインクを飛ばしてきた。
……僕らが入る前のトランペットパートはこれが普通だったのだろうか?
「まあ未瑠ちゃんにもなるかもしれないけどね」
「粕谷は世界一愛するかおる先輩に情熱の真っ赤なソロを献上いたします!!」
「……吹く相手はあたしじゃなくて小学生だよ?」
頭から蒸気を噴き上げながら猛烈な勢いでつっかかってくる粕谷先輩を、苦笑いしながらいさめる山先輩。というか戻ってくるの早すぎないか。
「さて、それじゃあやろっか……あれ?」
「ふゅー……」
山先輩の視線の先には、顔を真っ赤にさせて心ここにあらずといった表情の高野が伸びていた。さっきからやけに静かで影が薄いと思っていたが、どうやら先輩方のやりとりが高野には刺激的すぎたらしい。
どうしようか、と山先輩と顔を合わせていると、横からつんつんと粕谷先輩の指が僕の肩をつっついてきた。気持ちの悪い笑みを浮かべている……これは多分何か面白いことを思いついた顔だ……。
「見澤くん」
「はい?」
「玲奈ちゃんを王子様のキスで生き返らせるのよ」
「えっ」
「粕谷信じてる」
「信じないでください」
さっきまで悶絶していたのに今では裏声でなんかお姫様ぶって提案してくる。
この先輩は本当にアレである……。
「じゃあ」
ここは思い切って反撃に出てみる。粕谷先輩をじり、と壁に追い詰めてみた。
やりすぎかもしれない? 別にいいじゃないか。粕谷先輩だって普段からやりすぎだもん。
「えっ……」
「一回、その王子様とやらのキスを試していいです?」
「あ、えと……見澤、くん……?」
さすがに慣れないことをしている自覚はある。もちろん本当にキスするわけじゃないけれども、自分の身体の芯が細かく震えているのがはっきりと分かる。
近くで見ると思ったより肌が透き通っていてドキリとする。ドキリとした相手が粕谷先輩なのが悔しいが。
「……」
「あ……う……」
無言でゆっくりと距離を詰める。粕谷先輩は頬を紅潮させ、しおらしくなって……ゆっくりと、目を閉じ――
「うおりゃああああああ!!」
「おおうっ!?」
――瞬時に脱出し僕の両手首を拘束したのだった。
「先輩を! からかっては! いけまっせんっ!!」
「……それ、先輩が言えないと思うんですけど」
本日もトランペットパートは平和です。
--※--
「ボ、ボクは最後でいいですっ」
「じゃあ俺は右で」
「あっ、はい……っ!」
粕谷先輩がど真ん中を最初に選び、高野が遠慮をしたので僕が右を選んだ。
線の下に左から順に、丸で囲われた『た』『か』『み』が山先輩の手によって書かれる。シャーペンで書かれたその字形は、サッと書いたため雑ではあったが華奢で可愛らしいものだった。
「さてと……」
山先輩が名前が書かれた場所を後ろに折って隠す。そして、3本の縦棒の間に無造作に横線を何本か描いた。時折丸くカーブさせたり、ジグザグに描いたり、くるりと一回転させたりと遊び心を忘れない。
「あ、可愛いですねっ」
「でしょ? 玲奈ちゃん」
……こんな振る舞いをしていても、何でか空っぽに思えてしまう山先輩の言動。
これって僕がおかしいだけなのではないだろうか……と、今更ながら段々と思えてきてしまう。
まあ、実際おかしいんだろうな……。人の感情に敏感だったり、先輩の過去みたいなのが突然見えたり、そもそも女子ばかりの吹奏楽部に単身突っ込んできている時点でおかしいんだろう。
そんな僕を受け入れてくれているだけでなく、さっき粕谷先輩にしたようなあんな振る舞いが出来てしまうくらいに仲良くしてくれているこの場所に僕は感謝するしかない。
「さてと……じゃあ、あたしの直感でここから始めるよ?」
山先輩はピンク色の細い水性ペンに持ち替えて、出来上がったあみだくじの左端にペンの先端を置いた。
異議がないことを確認すると、手に持ったペンを線の上で軽快に滑らせ始めた。
途中で詰まることも無く、横線でしっかりと曲がりつつ、段々と下に迫っていく。そのまま平和に結果が出る……と、思いきや。
「粕谷すらーっしゅ!!」
真ん中あたりに来たところで、唐突に粕谷先輩が黒の油性ペンで横線を一本追加した。
粕谷先輩がここにいる限り、ありとあらゆるイベントが平和に終わるとは限らないのだ。
「……粕谷先輩?」
「何となく運命を変えた方がいいかなと思って」
両目をぎゅっと謎につぶった。ウインクのし損ねだろう。おそらく。
「くすっ、じゃあ未瑠の使うね」
山先輩は寸前に引かれたぶっとい黒線のわずか横にピンク色のペンを滑らせる。多分真上に描くと黒インクがペンを汚すからだろう。
そして……一番下まで到達した。その場所は……。
「あ。ここ、見澤くんのとこだ」
僕、だった。粕谷先輩の一撃で運命のペンは見事に僕の場所に直撃したのだ。
「おー、おめでとー!」
「おめでとうって……」
僕は粕谷先輩を横目でそれとなくにらむ。粕谷先輩にはまったく効いていないどころか、さらにニタリと笑みを漏らした。
本当にこの先輩は……! わざと頬を膨らませてみせる。
「……見澤くん、やる?」
山先輩の目線が真正面から僕を射抜いた。その瞳から感じる感情に、心配の類は一切なかった。
『おまえは本当に出来るのか』
……そう、覚悟を問われているようだった。
まだ楽器を持ち始めて、それどころか音楽に触れ初めて2か月も経っていない。
そんな初心者である僕が、合奏で、しかも小学生とはいえ僕を知らない人の前でソロを吹く。もしかしたらそれは、すごく無謀なことなのかもしれない。
しかし……この場所で唯一の男が断るなんてことは出来ない。
それに、僕は。
『とにかく。この一か月……頑張ってみてよ。私は音楽室にしかいられないけれど、見澤くんの頑張りはちゃんと分かるからさ』
音楽室に居ついている、山先輩そっくりの幽霊の言葉。
何で? とか、そういうのは全然分からない。でも……幽霊から言われたということ。それに……
『この音楽室はね。君みたいなひとを、ずっと待ってたんだよ』
そんなことを意味深に言われたんだ。
そして、まるで予言していたかのように降ってきたソロの機会――本気で頑張るための、明確な目標。
「やります」
そんなことが折り重なってたから、僕は強く宣言していた。
考えるよりも早く、僕の心が――宣言していたんだ。




