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With Heart and Voice -僕らの音は、心と共に-  作者: NkY
E 真中吹奏楽部、復活の日!
36/73

34小節目 たった一つのきっかけで

『上手いから楽しいって思ってるんだろ、おまえは』


 同級生からそんな言葉を言われた気がする。

 あれは確か、100mを軽くクロールで流してけろっとした顔でプールから上がってみせた時に言われた言葉だと思う。


 あの時にはさほど気にはならなかった。

 ……あの時には。




 小学校六年生の夏休み。僕は水泳の記録会に向けての練習に参加していた。

 昼に学校のプールで泳ぎ、夕方にはスイミングスクールで泳ぐ。身体に塩素の匂いがこびりつくぐらいに水泳漬けだった。




 僕が水泳を始めたのは小学校三年生の夏の途中。今住んでいるむじか市を離れた時と同じ時期。

 動機なんて些細なことだ。泳ぎが下手だった子供が、『上手く泳げるようになりたい』と親にせがんだ。ただ、それだけ。


 最初は週一回の練習だったが、上手くなるにつれて水泳が好きになって途中で週二回にしてもらって。

 そしてバタ足さえまともに出来なかった僕が、一年経てばクロールと背泳ぎが出来るようになり。そして、もう半年経てば平泳ぎとバタフライが出来るようになった。


 そうやって四種類の泳法をマスターした僕は、それぞれの種目をより速く泳げるようになるためのクラス――上級クラス入りを果たす。この時には五年生になっていた。


 ここからが本当の水泳の始まりともいえる。速くなるために、体力をつけるために……ひたすら、ひたすら泳ぎこむ。

 決められた種目で(ビート板を使いバタ足だけということもあった)、決められた本数を、決められた秒数のサイクルで泳ぐ。それを繰り返すだけ。

 特別なことは何もしない。ただひたすらに泳いで、泳いで、泳ぎまくった……閉鎖されたスイミングスクールという場所で。


 気が付けば、学校が終わればほとんど毎日スイミングスクールに通っていた。

 今思えば、なんでこんなことを続けられたのかが不思議だった。練習はきつくなる一方だったし、泳げて当たり前だから褒められることもない。けれども一瞬でも手を抜こうものなら、僕が泳ぐ方向の目の前にビート板が激しく叩きつけられた。


 ……いつの間にか、先生と僕の二人きりになっていた。みんな、いなくなっていた。


 僕は提示される目標タイムを上回り続けた。つまり、少しずつ速くなっていった。人から見れば順調なんだろう、きっと。

 そして、小学校五年生の記録会。六年生も混じる記録会にて、僕は第五位というまずまずの成績を上げて賞状を受け取った。


 僕は『泳ぎが上手い』止まりの人間だったのだと思う。『泳ぎが速い』人間に生まれたわけではないのだった。

 なのに、周りは『泳ぎが速い』人間になることを僕に期待した。学校の友達は僕に羨望(せんぼう)のまなざしを向け、スイミングスクールの先生はたった一人の『選手クラス』に負荷を掛ける。


 そして僕はその期待を受けて……そうなろうと、背伸びをした。

 背伸びどころじゃない。地面から離れそうなほどのつま先立ちをしたんだ。


 それが、僕の本当の身長だと思っていた。

 それが、『楽しい』と思っていた。


 いや、多分違うな。『楽しい』と思い込ませていたんだ、きっと。


 だって、本当は違うんだから。

 僕は、そんな……すごい人間じゃなかった。




 小学校六年生の記録会。僕は一番だと思っていた。

 間違いなく一位をとって、夏休み明けに全校生徒の前で校長先生から賞状を受け取るんだと、そう思っていた。

 僕だけじゃない。学校の友達も、先生も、両親も。みんながそう思っていた。


 ……スイミングスクールの先生がどう思っていたのかは分からない。あの人は多分……僕のことをまともに見ていなかった気がする。今思い返せば。


 僕の通っていた小学校とは違う小学校の屋外プール。新鮮に思った。

 台にのぼる。真ん中からプール全体を見渡す。夏の温かい風によって小さく波立つ水面が、太陽の光を複雑に反射してキラキラと輝いていた。

 プールサイドに座るたくさんの参加者たちが僕のことを見つめている気がした。

 緊張すら高揚感に変わる。


 だって、これから僕は本当のヒーローになるのだから。

 口端をぐっと上げて、顔だけは強がってみせた。




 しかし……この本番の舞台で、しかもその一番最初に起こってしまった大きなミスは、僕をいともたやすく動揺させてしまった。


 フライングだ。笛が鳴る前に僕は飛び込んでしまったのだ。


 一回フライングをしてしまうと二回目は問答無用で失格となる。

 そんなルール的な圧力もあったが、何よりも僕を動揺させたのは……今まで一度もフライングをしたことがないということだった。初めてやらかしてしまったフライングが、よりによってこんな舞台――僕がヒーローたる証明を見せつけるための最初で最後の大舞台だったという訳だ。


 笑われる。フライングは、カッコ悪いことだ。

 ヒーローにカッコ悪いは、許されない。



 ……あとはもう、言わないでおく。



 結果は入賞さえ逃す散々なものとなった。一位どころか、賞状すら受け取れなかった。

 言い訳は通用するはずがなかった。結果が、全てだ。



 そこからはもう、転落するしかなかった。立て直しなどできない。

 だって、僕は強がって地面から離れるくらいにつま先立ちをしていたんだ。誰かに強く押されて、つま先立ちのまま踏ん張るなんてこと出来やしないだろう?


 学校の友達。笑われた。失望された。

 学校の先生。軽く流された。真剣に向き合ってくれなかった。


 両親。期待を続けられた。重かった。


 そして、スイミングスクール。僕は目標タイムを一度も上回ることが出来なくなったどころか、タイムが落ちた。


 もう辞めるべきだと言われた。



『上手いから楽しいって思ってるんだろ、おまえは』


 その通りだった。僕が『上手くない』と分かってしまえば……楽しくなくなった。

 本当は『速くない』だけであって、『上手くない』訳ではないんだけど……周りの環境は僕を『上手くない』と思い込ませたのだった。




 僕は楽しくなくなった。

 僕は背伸びをやめた。


 今まであったことを心の奥底に埋めた。




 すると僕の心に大きな穴があいた。


 それをどうにか埋めようとして……僕はもっと古い過去を掘り返して、それに憧れるようになった。





 ……そう、それが……あの、『思い出の響き』。


 小学校二年生の時に聴いた、全国大会に出場を果たした代の真中(まっちゅー)吹奏楽部の響きだったのだ。


 どんな曲なのか、どんな音なのか。吹奏楽を始めた今となっても全く思い出せはしないその演奏だけれども。

 それに幻想を抱いて、仮入部のときに一直線に吹奏楽部に行って……その面影が跡形もなくなっていたことに呆然として。

 翌日、目的を見失って空っぽになるくらいに……僕は憧れ、執着していたんだ。




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