32小節目 昔の客は今の出演者
いつもの部活よりも早い朝の時間。
「これで全部全部ー! 頼りになるねー、男の子がいるとさー!」
「……見澤、感謝」
打楽器パートや低音パートに混じって、僕は大小さまざまな楽器をトラックに運び込んでいた。こういう力仕事は唯一の男子である僕に無条件に放り投げられる。
僕としても女子に重い物を持たせて見てるだけというのは嫌だし、何ならこうして身体を動かした方が色々とほぐれる。……気持ち程度、だけど。
……なぜ、トラックに楽器を積み込む必要があるのかって?
そう、なぜなら今日は僕たちの初舞台。西部地区にある中学・高校の吹奏楽部の合同演奏会……西部地区研究発表会の当日だ。
そして、僕は……昔から、本番に弱い。
--※--
電車を乗り継いで少し歩いた先に、会場の奈々岡市民会館はある。
他の学校は貸し切りバスを使うところもあるようだが、真中の場合はバスを呼ぶにはちょっと……という距離なので、トラックに楽器を積み込み次第電車を使って行くことになっていた。
前に高校の演奏会に行ったときにこの会場は見ている。
しかし、いざこちらが演奏する立場でここに来るとなると……まるで別の場所のように思えた。
先に到着していたトラックから大きな打楽器を除く楽器を降ろし、楽器置き場となっている別館へと運び込む。
「おはようございます!」
途中、他の学校の部員たちにすれ違うことも当然ある。たまに挨拶をされることもあるが……大抵そういう学校は、まとっているオーラというものが全然違う。
ここ、西部地区には全国大会常連の高校もいるらしい。僕には詳しいことは全く分からないが、多分その学校であろうことは分かってしまった。実際僕は、この後も同じブレザーを着ている部員たちに何回かすれ違うのだが……全員が全員、自信に満ちた完璧な挨拶をしてきたのだった。
「……前の真中も、こんな感じだったのかな」
近くを歩いていた二年生の粕谷未瑠先輩の漏らしたつぶやきが、何だかひどく自信なさげに聞こえた。普段の暴走気味なテンションは鳴りを潜めて、すっかり大人しくなってしまっている。
真中吹奏楽部は二年前――今の三年生が一年生だった時にとある問題を起こしてしまい、それが原因で昨年度末までこういったイベントに出れなくなっていた。つまり、こういう場所に来るのは僕ら一年生だけでなく、二年生も初めてということ。
しかも、それに追い打ちをかけるのが『真中自体が元強豪校である』ということ。そんなに頻繁にという訳ではないが妙にジロジロと見られている感じがする。悪気こそないんだろうけれど、純粋な好奇の目で見られるのが……何というか、嫌だった。
こんな状況なんだ。部全体として緊張が波及するのは当然――
「すごーい! 人がたくさんいるー! やばーい!!」
「静粛にして」
「ぐえー!?」
「何だか逆境ですね、先輩」
「そうだな、夢佳……まるで木に登ったはいいが真下がたくさんの蛇によって所狭しと埋め尽くされて降りようにも降りれない哀れな猿になった気分だ」
「……それは解せないです」
「まあいい。ワイはこのような絶体絶命オワタ式的な状況が大根役者くらい大好物……すなわち大航海時代大好評だからな。四方八方司法書士からどっちでもどこでも宇宙の遥か彼方――100万億kmの孤独――からぶち当たってくるがよい」
「…………」
「……悲観はしてない、むしろ燃える……ってことを言いたかったんだ」
「分かってますよ、先輩」
――ではなかった。
そういえば。この部は変人達の集まり。頭吹奏楽部という単語が僕の脳内辞書に新たに登録されたくらいの、ちょっと……いや、かなりぶっ飛んでいる人も少なくないような、そんな部活。
確かに緊張している人こそいるものの、全員が全員そうじゃないみたいで。いつも通りの振る舞いを見せていたり、むしろ今の状況の方が燃える、みたいな人もいるらしくって……とりあえず、全員が雰囲気に飲まれるなんてことはなさそうだった。
まあ、僕は緊張している人側なんだけど……。と、身体を硬くしていると背中をばしんと手で叩かれる。
「ゆーうとっ!」
「おうわっ」
僕の幼馴染、佐野心音。全く緊張などしていない様子だ。
「なーに緊張しているの?」
「……ここでも相変わらずサックス持ち歩くんだな」
「そりゃあ護身用ですから」
「護身する必要ある?」
「多分ない」
まあ、心音に緊張されるよりかは……
「うわわわわっ!?」
……と思ったらこれだよ。
何もない所で派手に転倒する心音。他の部員だけでなく、周りの人たちも思わず心音に注目が行く。
「……大丈夫?」
「あはは……無傷無傷!」
さすがにケガするだろうという転びっぷりだったが、当然のごとく心音はノーダメージだった。
「これがあるからね!」
地面に座ったまま自称護身用のサックスケースを両手で持ち上げてドヤ顔。……転んだのに何でドヤれるんだ。
「……いや、それは関係ないんじゃないかな」
「関係あるの! そのうち分かるからね!」
「分かるときが来てほしくないが」
心音が手を伸ばしてきたので、僕はその手を握って立ち上がらせる。何だかんだナチュラルに手を貸してしまったが、別に僕に頼らず自力で立ち上がってもいいんじゃないのかとは思う。無傷なんだしさ。
……ん? 何か……微妙に、震えてる?
「悠斗、ありがとね」
「気をつけてな、ホントに」
「分かってますー、もう転びませんー」
つとめていつも通りを装う心音。周りは多分気が付かないだろうが、僕には分かってしまう。
あの心音も、この本番のステージを目の前にして緊張してしまっているんだ。
心音はアルトサックスを小学校3年生から父に教わり始めたと言っていたが……人前で吹いたことがあるとは言っていなかった。もし吹いたことがあるんだとしても、多分それは知り合いだとか親戚だとか、そういう少人数の前だけなんだろう。
ああ、そう言えば……楽器を持ちたての一年生全員がドレミファソラシドを部員全員の前で一人で吹く、なんてこともあった。あの時の心音は全く緊張していなかった様子だったが……。
……だとするならば、原因はアレか。
僕らが今向かっている、やや古そうだが威厳のあるホールを眺めた。
多分、心音はああいった本物の舞台に立つことが怖いんだろう。
小さな舞台では観客と演者の間に出来る壁が低い。つまり、観客の反応を楽しみながら演奏をすることが出来る。
おそらく心音は優しい観客たちに優しい反応を貰って、それによってテンションを高めていって楽しんで吹く、みたいなスタイルでずっと吹いてきたんだろう。
ドレミファソラシドの時だってそうだ。経験者とはいえど心音はつい最近まで小学生だったし、真中周辺の小学校には金管バンドは存在しないので、先輩たちは楽器が『吹ける』小学生の実力の平均値をおそらく知らなかっただろう。
そんな期待値の低い立場だったからこそ、『自分の技術に驚いてくれるだろう』と絶対的な自信を持って吹けた……んだと、思う。……今の理論に結構推測は入ってるんだけど、そう大外れはしていないと思う。
しかし、大きな舞台では……少なくとも観客が静かに座って聴く音楽では、観客と演者の間に出来る壁は高くなる。どんなに素晴らしい演奏をしようが観客の顔は見えにくいだろうし、おそらく拍手の量もそんなに変わらないだろう。……『ブラボー』と言って立ち上がって拍手する人がいるなんて事はこんな場所では考えにくいし、ぶっちゃけそれをされても正直僕はあまり嬉しくないし。
大きな舞台ではどう頑張っても伝える側の一方通行にしかならない。受け取る側が演奏の最中、どんなことを思って聴いているのかが分からないと思う。
しかも、要求されるハードルは高くなる。1年生も3年生もみんな同じに見られてしまうし、おそらく……僕ら中学生は否定的に聴いてくる人が多いんじゃないか、とも思ってしまう。僕が高校の演奏会を終始そんな姿勢で聴いてしまったのがその裏付けだ。
そして、心音はそんな大きな舞台に立つのが初めてで……見られる目も厳しいものになるということも何となく分かっているんだろう。
きっと、それが怖いんだ。心音は。
……しかし心音は僕が人の感情に敏感で、こうやってごまかしてもすぐ察しが付くことを知っている。それでもあえていつも通りを装っている。……あえてじゃないかもしれないけど。
それでも、もし、あえてだとしたならば……これはスルーしてほしいのか? それとも見抜いてほしいのか?
……多分、見抜いてほしいんだ。
自力で立ち上がらずに僕の手を待っていたのは、きっと……気づいてほしかったから。
けれども、それでもいつも通りを装うのは……周りにはバレてほしくないから。僕にだけ、その不安を伝えたいんだろう。多分。
……もしそれが僕の思い上がりだったらすごく恥ずかしいが。
でも、もしそうだとしたら……僕が取るべき行動というのは。
「……」
無言で僕は、握ったままの心音の手を軽くぎゅっとしてやった。
心音は同じようにぎゅっと握り返してきて……すぐにぱっと、その手を離した。
スカートについた土ぼこりを払いながら、心音は自然な微笑みを僕に見せてくれた。
ふわりと心がやわらぐ感じがする。
会場を目の前にして強張っていた僕の心が、心音とのやり取りを通じて優しくなったような気がした。




