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With Heart and Voice -僕らの音は、心と共に-  作者: NkY
A ようこそ、真中吹奏楽部へ
12/73

10小節目 目覚めよ無数の音符達

「今日、楽譜が配られるんだって! 楽しみー……」


 誰から聞いたのか、幼馴染の佐野(さの)心音(ここね)が心底嬉しそうに言ってくる。昨日、僕ら一年生たちは吹奏楽部の部員たちの前で、一人ずつドレミファソラシドを演奏した。

 その中でも心音は小学校からの経験者ということもあり、群を抜いて上手かったのだが……それでも顧問の長谷川(はせがわ)先生に色々言われて、心音は落ち込んでいた。


 しかし、それも一日経てばこの通り、すっかりいつも通りの明るい心音だ。やはり僕の思った通り、心配は無用だった。


「俺たちの最初の曲か……」


 最初の曲。僕にはなんとなく心当たりがあった。仮入部二日目の時、僕は長谷川先生と偶然ぶつかって、その際に長谷川先生が持っていた楽譜が辺り一面に散らばってしまったのだが……もしかして、その曲じゃないのだろうか?

 題名は忘れたけど、そう、なんか、英語の曲。


「だね。きっと、ウチらにとっての思い出の曲になるよ」


 あのよく分からない英語の曲が、思い出。果たして、本当にそうなるのだろうか? ……たぶん、なるんだろうな。そうなるっていう感じは全然ないんだけど。



--※--



「あ、あたし2ndだ。ということは……」

粕谷(かすや)、1stです!」

「やったね未瑠(みる)ちゃん!」

「粕谷のパワーでメイン張っちゃいますよ!」


 パート練習の時間。

 僕にとっての初めての曲の楽譜は、パートリーダーの3年生である(やま)かおる先輩から配られた。理由はよくわからないけれど、2年生の粕谷未瑠先輩は楽譜が配られた瞬間やる気がどばっと溢れかえったように見える。


「で、1年生組は……見澤(みさわ)くんが1stで、玲奈(れな)ちゃんが2ndだね」


 僕と、僕と同じ1年生の高野(たかの)玲奈は山先輩から楽譜を受け取る。受け取った楽譜に、僕は既視感を覚えた。

 あ……これ、前に先生とぶつかった時、長谷川先生が持っていた楽譜だ。吹奏楽部に入部したら演奏することになるというのは本当のことだったみたいだ。

 Awakened Like the Morn。これがこの曲のタイトルらしい。……なんて読むんだこれ。


「ふんふん……なるほど? 1年生にとっては初めての曲だから、難易度は低めかな。そのついでに2年生の未瑠ちゃんに1stの経験を積ませようという感じかも。……先生、やるねー」


 山先輩が楽譜を眺めながらそんなことをつぶやく。言っていることは僕にはあんまり理解できないけれど。

 それにしても、僕は初めて楽譜というものをこうしてちゃんと見るのだが。


「……全然分からん」


 お行儀よく整列されても、意味不明なものは意味不明。単なる黒丸が並んでいるだけにしか見えない。これを理解しろだなんて思うと、見ているだけで頭が痛くなる。山先輩曰く難易度低めらしいけれど。


 そんな風に思いながら全く読めもしない楽譜とにらめっこしていると、横からプリントが差し出される。粕谷先輩だ。


「はい、これ。これ参考にしながらドレミ書いてってねー。粕谷も一年前、そんな感じでやったからさ」

「あ……ありがとうございます」


 楽譜の読み方のプリント。作業しながら覚えていこうってことなのだろう。僕は前もって用意していたボールペンを使って、楽譜への書き込みを開始した。

 楽譜にはガンガン書き込むべし。山先輩直伝の吹奏楽部の掟。以前先輩にある曲の楽譜を見せてもらったことがあったが、本当にびっしりとカラフルにメモが書き込まれていた。それこそ密度が濃すぎて、楽譜が見えなくなるくらいに。


「玲奈ちゃんは?」

「ボク、ピアノを習っているので楽譜読めますよっ」

「お、さっすがー!」


 高野、実は音楽経験者だった。なんてこった。

 つまりこの中では僕だけが楽譜を読めないということである。女子3人が楽譜を見ながら談笑したり試し吹きしているのを横目に、ただ一人机に向かって楽譜とプリントを交互に睨みながら地道に音程を書き込んでいく僕。

 完全に仲間外れである。なんてこった。……いや、もとより男子は僕だけだから最初から仲間外れみたいなもんだな。はは。


「あ……!」


 何かに気が付いたのだろうか。楽譜を眺めていた粕谷先輩が声をあげる。


「かおる先輩かおる先輩!」

「どうしたの未瑠ちゃん? そんなに興奮して」

「これ、もしかして粕谷のソロですか……!?」

「え、未瑠ちゃんソロもらったの!? どれどれ……」


 粕谷先輩に呼ばれた山先輩が楽譜を覗き込む。粕谷先輩はそのソロの場所を指で指し示した。


「ここですここです。オーボエソロキュー? ってあるとこ」

「ほんとだ! うちの部、オーボエがいないから代わりにソロだね! やったじゃん!」

「はい……! やりましたよ、かおる先輩! 粕谷のトランペット、思う存分見せつけてやります!」


 粕谷先輩のソロをまるで自分のことのように喜ぶ山先輩。人の幸せを、僕はここまで素直に喜んだことがあっただろうか?

 このパートの空気は山先輩が回している。それを僕は改めて思い知って、山先輩のすごさを感じた。と同時に、山先輩が引退したら一体どうなってしまうのか僕は不安にもなった。まだまだ先の話だけどさ。


「えっと……うん。全然難しくないですね。じゃあ早速!」


 楽譜の確認をした粕谷先輩がソロ部分の試し吹きを始める。喜びに満ち溢れた勢いそのままにトランペットから出た音色は……。



 ぴゃらりろぴゃらりろ、ぶちゃらかぽろぽろ、びゃあーっ!



 液体を地面にぶちまけてぐしゃぐしゃにしたような何か。

 ……音楽に詳しくない僕でもわかる。もはや擁護のしようがないほどに凄惨たる有様だった。音量はあるけど、他の要素が致命的にまでも足りていない。特に情緒が皆無。


「どうでしょうか!」


 粕谷先輩。なんでそんなに自信満々でいられるんですか。いや、まだまともに楽器が吹けない僕が言うのもアレだけど。


「……未瑠ちゃん、もっとがんばろ」

「そんなー!」


 山先輩の一言によって、粕谷先輩は無事爆発四散した。




--※--




 先輩たちと高野が練習している音を聞き流しながら、僕はただ一人黙々とドレミを書き込んでいた。山先輩はそれなりの安定感を持って練習しているが、粕谷先輩は音量だけであとは聴くに堪えないような感じ。高野は楽譜こそスラスラ読めるもののやはりトランペット自体は初心者、まだ音も指も追い付いていない模様。


 以上、真中(まっちゅー)吹奏楽部トランペットパートの現状。我ながら初心者の僕が何を偉そうに、って思うけど。


「……よし、終わった」


 僕は思い切り伸びをして、窮屈になっていた身体を解放する。こういうちまちました作業はあんまり得意ではない。思っていたよりも精神が削られた。

 でも、黒丸の群の下に書かれたドレミを見ると、達成感みたいなのを感じることが出来る。


「お、見澤くん終わった? それじゃ、あたしが教えるからこっち来て」


 山先輩が僕に気づいて手招きをする。僕は言われた通り、山先輩の隣に少し間を空けて学校椅子と譜面台を置いた。


「今からあたしがお手本吹くから、ゆっくりでいいからその後について吹いてみて。リズムも覚えないと吹けないでしょ?」


 あ、そっか。音程だけ抽出しても音楽は成立しないもんな。そんな当たり前のことを再確認。


「……あれ? 確か、先輩と俺の楽譜って違うんじゃないですか?」

「そうだよ? でもこれくらいなら初見で吹ける吹ける」

「さすがですね……」

「あたしたちにとっては特別難しくないからね。……っと」


 そう言って、山先輩は僕の譜面台を山先輩側に寄せた。そして、手でちょいちょいともっとこっちに寄ってと伝えてくる。


「いくら難しくないとはいえ、さすがに楽譜見ないでやるのは無理だから。ほら、照れない照れない」


 僕は山先輩に誘われるがまま、椅子をゆっくり近くに寄せていく。それでも、ぴったりという訳にはいかないけれど。ぴったりじゃなくても、照れるものは照れるしドキドキするものはドキドキする。たかが女子に近づくくらいで、なんて思うかもしれないけれど、思春期の男子というのはこういうものだから……。


「ん。じゃあ、こっからここまで。行くよ?」


 そんな僕を意に介さず、山先輩は僕の楽譜を指し示す。そして、その指し示した箇所を足で小さくテンポを取りながら吹いてくれる。はっきりしていて分かりやすく、お手本には申し分ない音。


「おっけー? それじゃ、どうぞっ」


 そんな山先輩の後に続けて、僕が同じフレーズを吹くのだが……。


 まず、音色。あまりにも先輩の後に吹くのには忍びない、粗雑な音。そして、音が上手く当たらない。この音はこういう風に吹く、というイメージがまだまだ掴みきれていない。結局吹けるのは連続したドレミの音階だけで、音があっちこっちに動き始めるとコントロールが効かなくなってしまう。まるで、暴れ馬のように。

 先輩がいとも簡単に吹いたフレーズすら、僕は思い通りに吹けないという現実。悔しかった。

 上手く吹けないし、楽譜も読めない。このパート内で一番下手なのは間違いなく僕だ。そう自覚してしまうと、思わず落ち込みが表情と態度に出る。


「楽器初心者、ましてや音楽初心者なんだから、出来ないのは当たり前だよ。ほら、前向いて前向いて!」


 気持ちが沈んでいた僕の背中を、山先輩が優しくぽんっと押してくれる。先輩は男の僕にもボディタッチを普通にしてくる。普段はちょっと困ってしまうのだが、こういうときには少しありがたかったりする。言葉だけで伝えてくるのと、身体でも伝えてくるのと。どっちがより気持ちが伝わるかなんて、議論する余地もない。


「落ち込んでいる時間は、練習に回そう? くよくよしても、何も進まないんだから」


 明るくポジティブな山先輩がそれを言うと、とても説得力がある。それに後押しされて僕はうなずき、再び前を向いてトランペットを構える。

 でも、音楽というものは気持ちだけで上手くなるような代物ではない。先輩を真似て吹いても吹いても出てくる音はやっぱり下手くそだった。

 手ですくった水のように、コツとか感覚とかが掴めそうでこぼれ落ちていく。そんな感じのもどかしさを僕は覚える。


 上手くできない。情けない。カッコ悪い。……悔しい。

 一度はそれを覚悟して、受け入れて入った吹奏楽部。でも、いざその事実に直面すると居ても立っても居られなくなってしまう。

 そして、そんな下手くそな僕にも、自分の練習を隅に置いて付き合ってくれる山先輩のことが、申し訳なく思った。


「その……ごめんなさい。僕にばっかり、構ってもらって……」

「ううん、いいのいいの。あたしがそうしたいから、そうしてるだけ」

「えっ……?」


 思わず口をついて出た謝罪を、山先輩は即座にさえぎる。

 僕はポカンとした。先輩が、そうしたい?


「あたしさ、見澤くんが上手くなるのを見てみたい。男の子のトランペットがどんなものなのか……すごく、見てみたいんだ」


 不覚にもドキッとした。山先輩の笑顔が、眩しかったから。偽りのない、真っすぐな笑顔だったから。


「それに、上手くなるのを見るのってすごく楽しいし、嬉しいことなんだよ? だから、大丈夫。あたしはあたしのやりたいことをやってるだけだから」


 山先輩の澄んだ瞳が僕を捉えて離さない。照れくさいなんて思いすら、吹き飛ばす。

 そうだ。この人は、どこまでも真っすぐな人なんだ。改めて感じる。


「それじゃ、こっからもっかい。行くよ?」


 返事をして、僕は再びトランペットを構える。もちろん、気持ちが切り替わっただけでは急に音楽はうまくならない。

 それに、手ですくい上げた水はどうしても埋められない隙間からこぼれ落ちていく。でも、ほんの少しは手の上に残るし、ほんの少しは皮膚に吸収されて自分のものになるんだ。

 なんとなくそんなことを思えるようになって、悔しくて悔しくて仕方なかった僕の心に少しの余裕が生まれてきた。


「見澤くん、少し音が柔らかくなった。力、抜けてきたかな?」

「……先輩のおかげですよ」


 自然と頬がゆるむ。僕はそれに気づいて、慌てて頬に力を入れて表に出ないようにして。

 ……でも、何となくその気恥ずかしさが嫌じゃなかった。

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