8.
「さて買い物もすんだことだし、そろそろ昼食でもどうかな?」
雑貨屋さんの店名が印字された紙袋を抱えなおしたミラーは大通りへと足を戻そうとする。
塔への帰り道にどこかで……という予定なのだろう。だが私はまだ大事な物を買えていない。
そして私はこれを買わずに今日の買い物を終えるつもりはない。
「まだ買いたいものがあるの」
雑貨屋さんにあるかと思い、ミラーが離れていた時にぐるりと周りを見回していたけれどお目当ての物は見つからなかった。
「何が欲しいんだ?」
ミラーは私の言葉にはてと首を傾げる。
だから私はお目当ての物の名前を口にすることにした。
「ペンキ」
「ペンキ、って何に使うんだ?」
「壁とか床に塗るのよ。私、ピンクの壁と床はいやなのよ」
「ああそれなら染色用の魔法道具があるからそれを使えばいいよ」
「は? 何それ?」
染色用の魔法道具ですって!?
我が国では魔法道具が街角の至るところで売っていた。
だがさきほど歩いてこの国の城下町の風景をみる限り、魔法道具の店なんて目に入ってくることはなかった。
だからてっきりこの国での流通量はリンデル国よりもずうっと少ないもの、もしくは流通すらしていないのだろうと思い込んでいた。
「ああ、染色用の魔法道具っていうのはね」
「私が聞きたいのは魔法具道具の説明じゃないわ! 何でそういうものがあるなら先に言わないのよ!」
魔法道具についての説明を始めようとするミラーの言葉に苛立ちを露わにして遮る。
なにせそんなものがあるのならばわざわざ買い物に足を運ぶ必要はなかったのだ。
するとミラーは「あ……」と小さくこぼす。
その顔が気づかなかったとかそんなハッとした表情ではなく、バレたとかしまったといったばつの悪い表情だったもので、私のいらだちは沸々とボルテージをあげていく。
「何で朝に言わなかったの! そんな道具があるなら買い物なんてしなくてもいいでしょ!」
周りの目も気にせずにミラーに詰め寄ると、彼は申し訳なさそうにしょぼんと目尻を下げる。
「ごめん……。俺はただリュコスと一緒に買いものをしてみたかったんだ……」
「へ?」
「だってせっかくの機会なのに魔法道具に奪われたら悔しいじゃないか……」
まさかそんな理由だったとは……。確かにミラーは昨日も私との買い物を楽しみにしていてくれていた。
彼はメイガス王子とは違うのだ。
私との時間を大切にしてくれている。
……これは彼の気持ちを考えずに怒った私が悪いわよね……。
「ミック、怒ってごめんなさい。お詫びといっていいのかわからないのだけど、今度もまた二人でお買い物に行きましょう?」
「いいのか!?」
「ええ、もちろん。また城下町を案内してちょうだい」
「ああ。任せてくれ! っとその前に昼食にしよう。ギルハザード王国の城下町自慢のガレット、リュコスにも是非食べて欲しいんだ」
「それは楽しみだわ!」
瞬く間に機嫌のよくなったミラーは、お店に入って料理を待つ最中も、そして帰りの塔へ向かう最中も次のお出かけはどうするかなんて言ってみせる。
そしてすれ違う人達の誰もが私たちに微笑ましいものを見るかのような視線を注ぐのだ。
そのせいで私は真っ赤な顔を人の目から逃げるべく少しうつむきながら歩かなくてはならなかった。
「じゃあ今からご飯作るからリュコスは座って待ってて」
塔へと戻るとミラーはまっすぐキッチンへと向かう。そしてキッチン近くに下げてあるエプロンを手にとって、背中でチョウチョ結びを作る。
当たり前のように私を客人扱いして。
「私も何か手伝うわよ」
「え、いいよ。俺が作るから」
妻だろうと侍女だろうと、この塔で暮らすからにはただ座ってご飯が出来るのを待つつもりはない。
そりゃあミラーが全部作った方が美味しく出来るだろうけど。
でも私は知っているのだ。
雑貨屋さんでミラーが私の分のエプロンを買っていたことを。
……相談して決めるんじゃなかったのかしら?と思ったが、勢いというのもあるのだろう。
なにせ彼が買ったのは白い生地のエプロンで、胸元には赤いバラの刺繍してあるものだったのだから。
「手伝わせて」
それを知っているからこそ、今度はお皿の準備だけで終わるつもりはないとずずいと彼との距離を詰めていく。
「じゃ、じゃあさっきもらったリンゴ剥いてもらっていいか?」
「わかったわ」
「それと、その……もしよければリュコス用のエプロンを買ったから使ってもらえればと……」
ミラーは布の袋からリンゴを取り出して机に乗せると、今度は紙の袋から例のエプロンを取り出す。
顔を覆い隠すように広げて見せるエプロンはやはり私が目撃してものと同じである。
可愛らしくかつ私でも使いやすいデザインのものを選んでくれたらしい。
だがミラーはなぜこうも下手にでるのだろうか。
ピンク色がイヤって主張したのをまだ気にしているのかしら?
うーん、でもイヤなものはイヤだしな……。
私にも譲歩できるところと出来ないことがあるのだ。
それはもうどうしようもないことである。
「ありがとう。使わせてもらうわ」
ミラーの手からそれを受け取ると、隠れていた顔がぱぁっと明るいものへと変わっていく。
「あ、リボン結びするから後ろ向いて!」
背中をミラーに向けながら、私の役目なんてリンゴを剥くことくらいだろうに……と思ってしまう。
「できた!」
ミラーに着せられたエプロンで、彼と二人キッチンに並ぶ。
ミラーは手際よく調理を進めているというのに、私はのろのろと慣れないナイフを使ってリンゴを剥くだけである。
それでもミラーの『奥さん』像にぴたりと合っているらしく、たまに手を止めてこちらを見ては楽しそうにニコニコと笑うのだった。