5.
「昨日は何も食べずに寝ちゃっただろう? だからお腹減っていると思ったんだ。もちろん好きな分だけ食べるといい」
「ありがとう」
もしこれが見栄を張ってかき集められた食材を使った食事なのだとしても遠慮をするつもりなど毛頭ない。
なにせ私のお腹の虫は再び唸り声を上げそうなほどに暴れているのだ。
「簡単なもので悪いな。だがこれでも料理には自信あるんだ。いつか奥さんが出来たら振る舞うんだと城のシェフに習っていたんだ。だから夕食は期待してくれ」
「ええ」
夜もミラーが食事を作るのか。
調理人や、彼に食事を運んでくる使用人はいないのだろうかという疑問はとりあえず頭の端に避けておく。
そしてすでにバターを塗られたトーストを一口頬張る私はその後、止まることを忘れてしまった手を忙しなく動かし続けるのだった。
「全部食べてくれたのか! やっぱりお腹空いていたんだな」
満足げに笑ったミラーは早速綺麗さっぱり何も残っていないお皿を重ねて流しへと持っていく。
「お腹が空いていたのもあるけど……全部食べたのはあなたの料理が美味しかったからよ」
その言葉にお世辞は全く含まれていない。
ミラーの料理の腕はクリストラ家の調理人よりも上だった。
たった一食でわかるかと思うだろう。
もちろん使っている材料の質の差もあるのだろうが、いくらお腹が空いていようが手が止まらなくなるほどの食事というのは生まれてこのかた出会ったことがなかった。
それほどまでにミラーの食事は美味しかったのである。
それにまさかパンまでミラーが焼いたものだとは思わなかった。
「美味しいか? 塩加減はどうだ? しょっぱくはないか?」
そう仕切りに聞くミラーに「ちょうど良いわ」と返すと嬉しそうに顔を崩すものだからなぜかと聞くと彼は「俺が焼いたのだ」と「リュコスの口にあってよかった」と話したのである。
――だと言うのにミラーは「お世辞でも嬉しい」だなんて笑いながら洗い物までも自分一人で済ませようとする。
だから私はミラーからスポンジを取り上げることにした。
元より私は『侍女』としてこの国に足を踏み入れたのだ。
何か行き違いがあったようだから、そこのところは実家に手紙を送るなりなんなりして真相を知らなければならないが、それは今はさして重要ではない。
だからそれはともかく端にでも置いておくことにして――いくら私が貴族の、公爵家の娘とはいえ、皿洗いくらいできるということを伝える方が重要なのだ。
いや、その他にも料理も少しくらいは出来ると思っていたのだが……さすがにミラー相手にお披露目することはないだろう。
そんな勇気、私にはない。
つまりすでに料理というジャンルにおいて歴然なる力の差を見せつけられた今の私が出来ることといえば、お皿を洗うことと買い物である。
その買い物ですらこの国の名産品や観光地、生活習慣すら知らない私はしばらくミラーのお世話にならなければならないだろう。
「洗い物くらい私がするわよ。というかさせてちょうだい」
つまり限りある出来ることは死守しなくてはならないのだ!
「リュコスは奥さんなんだから、座ってていいのに……」
「いいから、あなたは座っていてちょうだい!」
ミラーの中にある奥さん像というのはよくわからないからそれも後々理解していくことにして、今は彼の肩を上から押さえつけるようにして席に座らせる。
それにしてもミラー姫が塔から一歩も出ないらしい、ということからして社交とは無縁の生活になるだろう。
夕食に期待していてくれというからには今後も食事はミラーが作るのだと考えてもいいかもしれない。
……となると彼の中の奥さんの役目とは一体何なのかと首を傾げてしまう。
まさか話し相手をするだけなんて言い出さないわよね?
出会ってまだ丸一日すら経っていないというのにミラーなら言い出しかねないと思ってしまうのは何故だろう。
手を動かしながら横目でミラーを見ると彼はブツブツと独り言を呟いていた。
「ああ、リュコスのエプロンも買っておけばよかったな。……よし、買い物に行った時に一緒に選ぼうことにしよう。色は何色がいいか」
たかだか買い物に行くだけだというのに、目をキラキラと輝かせて計画を立てているミラーの話し相手というのも立派な仕事だというのはなんとなく察した。
ミラーはずっとこの塔の中で過ごしてきたのだ。
城下に繰り出すことはあるとはいえ、人との接点は姫様として暮らしていた時よりもうんと少なくなったことだろう。
それこそ独り言をつぶやいてしまうほどには話相手に飢えていると考えてもいいのではないだろうか。
侍女にしろ、妻にしろ、少なくとも1年間、私はこの人とこの場所で暮らして行くのだ。
それまでは子どものように無垢な笑顔を見せるミラーと暮らす、新しい生活を楽しむのも悪くないような気がした。