21
「ミラー、ごめんなさい」
ミラーが目を覚ましたのはあれから半日が過ぎた頃のことだった。
彼が目を覚まさないのではないかと時間が過ぎる度に心配でいられなくなった私はミラーの目が開くと同時に深く頭を下げた。
今回の事件は私が彼の隣にいなければ起きなかったことである。
逆恨みであるとはいえ、あくまで彼女が狙っていたのは私である。
怪我をするのは私であったはずなのだ……。
ミラーが眠っている間、祭りの喧噪と共に聞こえるのは城をあわただしく行き来する使用人たちの足音である。
刺されたのがミラーであることは知られていないらしく、問題とされている点はミラーを刺したフラン=ビスカトーレがどのようにして侵入したかである。
そうミラー姫がミラーであると知っている数少ない人である、ミラーの料理の師匠であるコッチさんがお見舞いに来てくれた際に教えてくれた。
他国の人間がギルハザードにやってくることは、よほど特別なことがない限りあり得ないことである、と。
その特別なことというのは主に私のように姫様の侍女か妻になる女性であり、親交のあるリンデル国の王族ですらも手紙を送りあうことはあれど、実際に訪れることはほぼないのだという。
そんな中での侵入である。
今後、国境付近の兵士の聞き込みと共に彼女の身柄を洗って沙汰を下すらしい。
「リュコス様、どうか気を重くなさらないでください。坊ちゃんはきっとリュコス様を守れて誇らしく思っておいでのはずです」
去り際に彼はそう励ましてくれたものの、やはり思うのは私さえあの場にいなければ……ということばかりだ。
お祭りの、人があふれるあの場所でさえなければナイフを持った彼女が国の中心である王都まで足を踏み入れることはなかっただろう。
そして私さえもっとちゃんとしていれば、ミラーのことだから避けるなりなんなりできたはずだ。少なくとも風邪から回復して万全の状態であった彼がみすみす腹部を刺されるなんてこともなかったはずだ。
だから申し訳なくて。
自分の不注意が恥ずかしくて。
深く、深く頭を下げる。
「リュコスに怪我がなくて良かったよ」
だけどミラーはそう笑って抱きしめてくれる。
良かった、良かったと笑って、子どもみたいに涙を流す私の頭を撫でるのだ。
それから数日は大事をとって、塔には戻らずに王城の客室で過ごすこととなった。のだが……。
「リュコスには隣の部屋を用意してもらったからそっちで、ね?」
「目を離したらあなた勝手に掃除とか始めちゃうでしょ!」
「でも動いてないと落ち着かなくて……。傷はふさがってるし、少しくらいは動かないと身体がなまっちゃうよ」
「ダメです! ちゃんと寝てなさいって陛下にも言われてるでしょ!!」
ミラーは目を離せばどこから持ってきたのかわからないホウキや布で掃除を始める始末である。
お掃除担当の侍女さんがこの部屋に入ってこられないのはわかる。
塔の掃除をいつもしていたミラーが掃除慣れをしているのも知っている。
だがなぜ病人のくせにこうもじっとしていられないのか!
ホウキを取り上げたのに、なおもベッドに戻ろうとはしないミラーと格闘している時に国王陛下と王妃様、そして第一王子と二度目の顔合わせを果たした。
まさかお見舞いに来て病人が元気に格闘しているとは思わなかったのだろう。
まあるく目を見開いた三人は少しの間固まって、そして嬉しそうに笑い出した。
「リュコスさん、ミラーをよろしくね」なんてつい数刻ほど前にやってきたコッチさんと同じようなことを言って。
お見舞いに来たのは彼らだけではない。
なんと、あのメイガス王子が謝罪を含めたお見舞いにやってきたのだ。
「このたびは我が国の者が迷惑をかけた。大変申し訳ないと思っている」
「陛下から聞いているが、すでに彼女は国外追放されていたのだろう。ならばリンデル国に非はないだろう?」
「だが……それでも彼女は私の国の民だったことに変わりはない。だから謝罪させてくれ。……すまなかった」
きっちりと直角に頭を下げるメイガス王子。
以前の彼なら関係ないと一蹴して終わっていたはずだ。なのにいつのまにこんなに立派になったのだろう。
しんみりとしているとメイガス王子は次は私の方へと方向転換をして、再び深く頭を下げる。
「それにリュコス。君にも謝りたかったんだ。私の軽率な行動のせいで、幼い頃から何度も君を困らせた。私よりも出来のいい君に、恥ずかしい話ではあるが嫉妬していたんだ。だが今なら君が人の何倍も努力していたことがわかる。それに今は君を純粋な気持ちで尊敬もしている。本当にすまなかった……」
「メイガス王子……」
「許して欲しいとは言わない。だがリュコスに知っていて欲しかったんだ」
「私、聞いたんです。メイガス王子がフランさんの魔法にずっと抵抗していたって。私のこと、心の底から嫌っていたわけじゃないんだって」
「もちろんだ! いつだって出来の悪い私に付き合ってくれた君を心の底から嫌うことなんて……できるわけがない」
「それを聞いて安心しました。私、勝手にメイガス王子のことを弟みたいに思ってましたし、今も思ってますから」
その言葉にメイガス王子の目には光が宿る。
リーグルからの手紙の通り、彼は着実に前へ進んでいるのだ。
ただ私へしたことが足かせになって、まだまだその進みに躊躇が見られる。
けれどそれではいけない。
だって私はもうギルハザード国で、ミラーの隣で生きていくことを決めたのだから。
「メイガス王子。私、ミラーと会えてこうして一緒にいられて、今とても幸せなんです。過程はどうあれ、こうして出会えたのはあのことがあったからなんです。だから……だから王子も幸せになってください」
「リュコス。ありがとう、ありがとう……」
手の掛かる弟のような存在の彼は目を腫らして自国へと帰って行った。
今の彼ならきっとリンデル国を今よりもずっといい国へと変えてくれるだろうと確信がもてた。
メイガス王子にあそこまでの言葉を言って見せたんだから、私もまた一歩前に進まなくっちゃ!
メイガス王子をドアの外まで見送ると、ベッドに入ったままのミラーの隣の椅子に腰をかける。
「ねぇミラー」
「何?」
「私を正式に奥さんにしてちょうだい」
「いいのか!?」
「ええ」
今回の件で、私は侍女ではなく、妻としてミラーの隣にいたいと思うようになった。
姓がクリストラからギルハザードに変わるだけでこれといった変化はない。
ミラーにとって侍女も奥さんも大差ないものなのだから仕方のないことである。
それでも私はこの人の妻になりたいと強く願ったのだ。
「よろしく、俺の奥さん」
「ええ。よろしく頼むわ旦那様」
差し出されたその手を、今度は私が彼を守ろうとの決意を込めて強く握った。
――こうして私は今日、ギルハザードの第一姫、ミラー=ギルハザードと正式に婚姻を結ぶことを決めたのだった。
「ところでウェディングドレスだけど……俺が作っていい?」
「結婚式はしないし、作っても仕方がないでしょう?」
「え? するけど?」
「するの!?」
「ミックとしてなら結婚式も挙げられるし、姫付きの騎士と侍女だったらそこそこ大きな式でもいいよね! ならお色直しも含めて三着は欲しいところだし……ああ、早く式挙げたいけど色んな姿のリュコスも見たい!」
もうミラーの頭の中では盛大な結婚式のイメージが組み立てられているのだろう。
だけど王子としては無理だけど、騎士ってことにしちゃえば挙げられるっていうのはいいアイディアよね。
そしたらお母様やリーグル、それにお父様にもミラーを会わせてあげられるし。
そう思うと私も今から楽しみで仕方がない。
「ならブーケは私が作るわ。魔法で加工して永遠に枯れない花を作りましょ」
「! なら花は」
「もちろんピンクと白のバラよ。ミラー、好きでしょう?」
「ああ!」
夫婦となると決めた私達は、これからも忙しないけれど穏やかな日々を送っていくのだろう。