20
そろそろ国王陛下のお話が始まるからと子ども達は手を降って、各々の家へと帰って行った。
帰る前にはみんなで協力して片づけたゴミをゴミ箱へと入れてある。
率先して片づけが出来るなんていい子達だなぁなんて思いながら、子どもを迎えにきたお母さんがドリンクスタンドで買ってくれたレモネードをすする。
蜂蜜がほどよくレモンと混ざり合って、暑くなった身体を柔らかく冷やしてくれる。
「リュコス、楽しかったか?」
「ええ、とっても。お祭りってこんなに楽しいものなのね」
祭りもまだ始まったばかり。
今はだいぶ落ち着いてきたこの風景も、国王陛下のお話が終わればまた活気に満ちあふれることだろう。
解散したあの子達だって、午後からは家族と楽しむのかもしれない。
午後からは地方からの来訪者も増え、いっそうにぎやかになるのだという。
だから私たちが楽しめるのはここまで。
いくら姫仕えの騎士と同じく姫仕えの侍女として参加しているとはいえ、これでも王子と公爵令嬢だ。
何かあってからでは遅い。
短い時間ではあったけれど私はもうこの数刻ですっかり堪能していた。
ただ一つだけ心残りがあるとするならばクレープを食べられなかったことだろうか。
「ねぇ、ミック。帰りにクレープ買って帰りましょう?」
まだ食べるのかと言われるかもしれないが、隣の子が屋台で買ってきたチョコバナナクレープ、美味しそうだったのよね。
年に一度。悔いは残したくないのだ。
空になった紙コップを重ねて、ゴミ箱に入れると「じゃあそうしようか」と立ち上がる。
そして近くの店でチョコソースと生クリームをサービスしてもらって私たちはミラー姫の塔へと戻ることにした。
「改めて見ると結構立派な塔よね」
お祭りだからこそ許されるのだという歩き食べをしながら、次第に大きく見えてくる塔を見上げる。
こうやってまじまじと見たのは初めてこの国にやってきた時以来かもしれない。
あのときはまさか中にいるのが男だとは思わなかったけれど、今ではすっかりと私の帰る場所となっている。
ふふふと笑みがこぼれたその時――。
「危ない、リュコス!」
「え?」
ミラーの焦る声と、鈍い音が耳を刺激した。
「ミラー!」
声のした方向へと目線を動かすと痛みに顔を歪めて腹部を押さえるミラーが目に入る。
その横にはナイフを両手で握りしめる見覚えのある顔の女が「あははははははは」と狂ったように笑い出す。
国外追放されたのは知っていたが、なぜ彼女が、フラン=ビスカトーレがこのギルハザードにいるのか。
いやそんなことよりもミラーのことである。
「ミラーしっかりして! とりあえずはこれで押さえて!」
女の狂気の孕んだ笑い声にただ事ではないと気づいた観衆は足を止める。
私はミックと呼ばなければいけないことも忘れて、綺麗なハンカチを取り出してミラーに渡す。
「リュコス、けがはなかったか?」
「私はないけど、でもミラーが!」
「大丈夫だから泣かないでくれ」
人の心配なんてしている場合か。
こんな時、治療魔法の授業を受けていなかったことが悔やまれる。
繊細さが要求されるその魔法を修得していたら、少しでも彼の痛みを取り除けていただろう。
泣きつくことしかできない私と痛みに耐えるミラーの横では、場所が場所だということもあり、即座に兵士に取り押さえられた女が未だにこちらをにやけた顔で見ていた。
「あんたなんか不幸になればいいのよ。生まれも育ちも恵まれて、私には何も譲ってはくれないんだから。不幸に歪めた顔があんたにはお似合いよ」
フランはあははははははと壊れた人形のように笑い狂う。
ミラーを傷つけた彼女が憎いのに、その瞳に私は狂気を感じて、身をすくめてしまった。
引きずられていくフランから目を背けると、頭上からは聞き慣れない男の声が落ちてくる。
「ミラー様、失礼いたします。リュコス様はどうか私に捕まってください」
「あなたは」
「早く!」
混乱している私は、ぐったりと目を閉じたミラーを横抱きにしている黒いローブで全身覆い隠す怪しい男の腕を弱々しくつかむ。
すると目の前は一瞬、真っ白く変わり、身体はふわっと上がるような感覚になる。
私はこれと同じことをたった一度だけ体験したことがある――転移魔法だ。
国に抱えられるほど上位の魔法使いにしか使えないとされる上級魔法。
そんなものを難なく使いこなすこの男はいったい?
見上げるとそこにはすでに男の姿はなく、握っていたはずの腕もなかった。
代わりに彼の手の中にいたはずのミラーは、私の目の前でベッドに横たわり、白衣の男たちの手から広がる白い光に包まれている。
そしてその光がミラーの腹部へと吸い込まれていくのを確認すると、彼らは一斉に私の方へと身体を向けた。
「ミラー様の治療が完了したしましたので、我々は陛下への報告のため、部屋を後にします。リュコス様はどうかお隣で目を覚まされるのを待っていてください」
「あ、はい。ありがとうございます」
「いえ」
去りゆく背中に、彼らがこの国の魔法使いかと理解した。
転移魔法に、この短時間で腹部の傷をなくしてしまうほどの治療魔法。どちらも最高難易度に設定される魔法である。
そして早々お目にかかる機会のない代物だ。
通りで王族であるミラーが魔法を目にする機会が極端に少ないわけである。
私の魔法なんて足元にも及ばないし、そもそも比較しようとも思わない。
きっと彼らはずっとミラーを見守っていたのだろう。
中級魔法である視覚魔法なんて彼らにとっては日常的に発動していてもさほど負担にはならないだろうから。
駆けつけるまでに少し時間がかかるとはいえ、今回のようなことでもない限り、この平和なギルハザードで命の危機になど陥ることはないだろう。
ならば自由に城下町を歩くミラーにとって護衛をつけるよりもその方が適しているのだろう。
傷はふさがったものの、ミラーの目はまだしばらく開きそうもない。
私を守って出来てしまったその傷の深さは、ベッドサイドの銀の皿の上に置かれたハンカチにしみこんでいる血の量が物語っていた。