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15.

 エレベーターから降りた後、私たちはすぐに階段を下りはしなかった。

 なにせ顔をさますためだと、しきりに手で顔を仰ぐミラーが先に進もうとしなかったのだ。


 一度案内してもらったとはいえ、私はまだ城下町のことをよく知らないままだ。ならばとミラーのあいている手を引いて歩いていこうと彼に手を伸ばした。

 けれどその手をつかんでくれはするものの、一向に動こうという気配を感じない。


「ミラー、早く行きましょうよ」

「もう少し待って」

「そう言ってもう結構な時間が経つわよ? 空も曇ってきたことだし、途中で雨が降ったら嫌じゃない。さっと行って買い物してさっと帰ってきましょうよ」


 近くの小窓から見える空は全体を薄く黒ずんだ雲に覆われている。

 それこそ今日は買い物を止めて、また今度にしようかという考えが頭をよぎってしまうほどだ。


 それでもそう言い出さないのは、ミラーがそんなことは納得しないだろうと何となくわかっているからだ。

 だったらさっと行って、ちゃっと帰ってきて、二人でお茶を飲んで一息いれたいのだ。

 だというのに、私の視線をなぞるようにして窓の外へと視線を移すミラーは今度はなにやら楽しそうに頬をゆるめる。



「そしたら近くの店に入ってお茶でも飲んで一休みしよう。まだまだ美味しいお店はいっぱいあるんだ」

「すぐ止めばそれでいいけど、長雨だったら帰れないままよ?」

「そしたら近くで傘を買おう。確か持ってきたものの中になかっただろう? だからリュコスに似合うやつを選ばせてくれ」


 あまりにミラーが楽しそうに話すもので、それもいいかなと思えてしまう。

 雨って靴とかドレスの裾とかが濡れるから嫌いだったのに、今は降ってくれないかと期待してしまうのだから不思議なものだ。


 だが私は一つだけミラーに言っておきたいことがある。


「いくら後から色を変えられるからって、ピンク色の傘は止めてね?」

「……ああ」


 目をそらした彼はきっと、私が何も言わなければピンクの傘を選んだことだろう。

 傘くらいならピンク色でもいいような気はするけれど、ミラーという男は加減を知らないのだから止めておくに越したことはないのだ。



 それからやっと動くことを決めてくれたミラーの先導で、彼の馴染みの手芸屋さんへと足を運ぶ。

 途中で何度か空を見上げては、二人そろって「降るかな?」と呟いては足を進めた。


 まるで雨を降れと願うように。


 けれどまだ雨特有の土が湿ったような香りはしない。降るまでにはもう少し時間がかかりそうだ。



「ここだ」

 ミラーがぴたりと足を止め、吸い込まれるようにして入った店の店内を見回して、私は思わず息を飲んだ。

 先日行った雑貨店の二倍以上ある店舗面積を埋め尽くすかのようにいたるところに陳列されている商品たち。


 すっかり忘れていたが、ここは城下町だ。

 そりゃあ手芸用品を扱う専門店があってもおかしくはない。

 それも姫様の御用達の店だったわ……と思い出して、この店の規模と並ぶ生地や糸などの一つ一つの質が高いことに納得する。


「いらっしゃい、ミック。今日もミラー姫様のお使いかい?」

「あー、今日はその自分の分と、リュコスの分を……」

 ミラーは恥ずかしそうに頬を掻いて、けれども自分の分だと隠さずに白状する。

 ミラーにとっては勇気のいる行為だったのだろうが、店員さんにとってはそれよりも私の方が気になるようである。


「あらそっちは姫様のところに新しくやってきたっていう侍女さんかい! 噂は聞いているよ! 二人で姫様に教えてもらおうってわけだね」

「まぁそんなとこだ」

「ふんふん、なるほどね! ミックが手芸なんてできるのかい?」

「出来るさ!」

「そうかい、そうかい。ならここは安く売ってやろうじゃないの!」

「いいのか!」

「あんたとそこのお嬢さんも手芸をするようになればうちの売り上げが伸びるからね。初回サービスみたいなもんだよ」


 私が初心者セットを見繕ってやるよ! とレジから出てきてミラーと相談しだすこの店の店員さんは私の見てきた『商人』とはかけ離れている。


 少なくとも私がお忍びでした買い物ではこんなやりとりを一度だって見たことはなかった。

 この前の雑貨屋さんは一般市民に向けた店だからとも思ったが、この店は高級店に間違いなく区分される。

 だが私たちの他の客に対応している店員もまた、ミラーと相談する女性店員ほどではないにしろ、心の距離が近いように見える。


 リンデル国ではもっとサバサバとした関係だったけれど、なんというかこのお店はお客さんも店員も笑みがこぼれていて、ただ買い物をするにしても楽しそうだ。


 店員の笑み一つとっても与える印象が違うとは、これが国民性の違いというものなのだろう。


 なるほどと感心しながら店を見回していると、視線のあったミラーがこちらへ来いを手招きをしていた。

「どうしたの?」

 二人に駆け寄ってみたものの、どちらも毛糸の玉と私の顔を見比べるばかりである。


「やっぱりリュコスには空色が似合う」

「いや、私は深い緑の方がいいと思うね」

「空色だろ! リュコスにこの色のカーディガンを着てもらってピクニックをするんだ!」

「ならやっぱり緑の方がいいじゃない! 木々の妖精みたいで可愛いわよ!」

「妖精か……それもいいかもしれない」

「そうそう。ロングカーディガンなんて可愛いわよね」

「よし、両方買おう」

「毎度あり!」


 結局私は何を選ぶわけでも、口を出すわけでもなくミラーは大量の毛糸玉を持ってさっさと会計をすませてしまう。


 それにしても後で色を好きに変えられるのに、何をあんなに熱心に選んでいたのだろうか。


「いやぁ、いい買い物した!」


 すっかり晴れてしまった空のしたで、それに負けないくらい爽やかな笑顔を浮かべるミラーには聞き出すこともできぬまま、まぁいいかと塔へと戻るのだった。


 ちなみに紙袋二つ分にもなる毛糸を買っておいて、ミラーが自身の分を買い忘れていたと気づいたのは、私の分のカーディガンが完成した後のことであった。


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