11.
「それじゃあリュコス。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
今朝も一緒にキッチンに立ち、朝食を終えるとゆっくりする暇もなく、ミラーは塔を後にした。
食事中、何度も「ピクニック楽しみだな!」なんてはしゃぐミラーを子どものようだと笑っていたものの、私も楽しみで仕方がないのだ。
魔導エレベーターに乗ったのを見送ると、自室へと戻る。
ピクニックが楽しみなのはもちろんではあるが、ミラーはミラーで、私は私でその前に立ち向かわねばならない問題があるのだ。
事実を聞き出すことも重要だけど、ちゃんと私の気持ちも伝えなくっちゃ!
とはいえ、そんなに心配はしなくてもいいだろう。
お父様は私がミラー姫の侍女となることをクリストラ家の得になると考えていたはずだ。だからこそ私という手札を切った。
婚約破棄されたとはいえ、メイガス王子からの一方的なものであり、私にはまだ価値はあったはずだ。それでも年頃の娘を他国の姫の、それも公の場から離れた姫の侍女にだしたのだ。
――もしかしたら伝え忘れただけで、お父様は姫が男だって知っていたのかもしれない。いや、あの父に限って忘れたなんてことはないはずだ。あるとすれば私が抵抗する可能性を一つでも減らしておきたかったとか……これはあり得そうね。
それならそうと馬車で読むようにとか言って、手紙の一つでも渡しといてくれればよかったのに。
ミラーがいい人、というか話を聞いてくれる人だったからよかったものの、何かあったら大変だったんじゃないかしら?
侍女として行ったつもりが、妻として迎えられ初日から寝室に連れ込まれ……なんてことになったら悲惨である。その可能性を考えると思わず背筋には冷たい汗がつたい落ちた。
この塔にいたのがあの人でよかった……。
そうでなければ仮だろうとなんだろうと奥さんなんて引き受けることはなかっただろうが、あの体格で襲われたら逃げることなんて出来るはずがない。
だが私はたった三日分の彼しか知らないくせに、ミラーはそんなことしないってどこか安心している。
そしてお父様とリーグルのそれぞれに渡すための手紙を認めるべく、ペンを手に取った。
まずお父様に宛てた手紙である。
こちらはまず状況説明から。
ミラー姫が男だったこと。
あちら側は私を妻として迎える心持ちだったこと。
私は彼と塔の中で暮らしていること。
そして続けて私がミラーに抱いた印象である。
私個人を尊重してくれる人柄の持ち主だということ。
そして身分を隠した状態でも民から信頼を受けているということ。
簡潔に、けれどお父様が納得してくれるように。
おそらくこの話はギルハザード王国とクリストラ家というよりも、国同士の話合いに発展することだろう。
元々国王陛下からいただいたお話ということだったし。
こうなった理由はどうあれ、早期に話し合いの場がもたれれば印象も悪くはならないはずだ。
それに当人同士は納得していることだし、ね? と丸め込みたいところである。
あの人の正式な妻になりたいのかと聞かれれば微妙なところである。
もちろんお父様がならば正式に婚姻を結ぶことにしようと言えば私は迷うことなく頷くことだろう。
だがまだ私たちは政略結婚という枠から抜け出せるほど互いのことを知らないのだ。
だから私はもっと彼を、ミラー=ギルハザードという人間のことを知るための時間が欲しい。
具体的には私が彼と交わした約束の期間と同じ一年ほど。
そんなこと、お父様への手紙には書けない。書けるはずがない。
だからこれはほんの少しだけ切り取って、リーグルに宛てた手紙に書くことにする。
姉の恋愛事情なんてあの子は興味ないだろうけれど、姉思いのあの子には伝えておかないと心配してしまうだろうから。
だからミラーの人柄を中心に、初めて案内された私の部屋はピンク一色だったのよ? なんて衝撃な、笑い話も添えて。
そして最後にはお父様の様子を教えて欲しいと書いておいた。
別に聞いたところで何かが変わる訳じゃない。だから知っておきたいというのは私のワガママである。
けれどあの子なら私の願いをかなえてくれることだろう。
きっとリーグルはミラーのこと、気に入るだろうから。
だって部屋のくだりでお腹を抱えて笑うリーグルの姿が容易に想像出来るもの。
普段はお父様に似て何を考えているのかわからない無表情なのに、そんなところはお母様に似ているのだ。
お父様とリーグル、それぞれに宛てた手紙を封筒にいれ、宛名を書いて送った相手にしか開けないように下級の封印魔法のかかった封蝋を押す。
後は出すだけなんだけど……リビングや自室の窓って開けてもいいのかしら?
昨日の買い出し兼城下町散策ですっかり顔は知られているとはいえ、一応ここはミラー姫の塔なわけで、勝手に開けるのは少し躊躇してしまう。
うーんとしばらく考えて、ならばピクニックの際に飛ばすのがいいかもしれないという結論に至った。
時間もそんなにかからないし、ミラーなら少しくらい待ってくれるだろう。
二通の手紙とともにリビングへと向かい、ミラーの用意してくれたポットへと手を伸ばす。
するとその隣になにやら手紙と、可愛らしいピンクと白のギンガムチェックの布がかけられた木製のサラダボウルのような物が置かれていた。
リュコスへと書かれた、二つ折りにしただけの手紙を開くとそこには『おやつに食べてください』という文字と、それぞれの味を教えるためなのだろうイラストの解説まで乗っていた。
布を取り除いたお皿の上にあるクッキーはそれぞれ、紅茶・アップルジンジャー・セサミ・チョコチップ・アーモンドの五種類らしい。
私の鼻を甘い香りでくすぐるそれらはどれも美味しそうだ。
早速ポットからカップに紅茶を注ぐと、紅茶味のクッキーに手を伸ばした。
味はもちろん言わずもがな。
ミラーの帰宅よりも先に空になったお皿を眺めて、幸せで満たされたお腹に暖かな紅茶を注ぐのだった。