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天使は謳い、悪魔は嗤う  作者: 剣玉
第3章 別れから出会い
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前日譚・中 強さの意味

 


「……もう朝か」


 少年はベッドの上で目を覚ます。視界にはこの2年で見慣れた天井が広がっていた。


『なら、私があなたの面倒を見てあげるわ』


 あの日、少年が復讐を宣言したあと女はそう言った。その唐突な言葉に少年は戸惑った。


『勘違いはしないで。私はあなたが1人でも生きていけるまで面倒を見るだけよ。復讐のことは知らないわ』


『復讐のために生きるって言った俺がそれを聞くとでも?』


『あなたはそこまで馬鹿じゃないでしょ。まだ五歳のガキが、たった1人で生きていけるとでも?復讐どころか、一年も待たずに死ぬわよ?』


 それに少年は反論出来なかった。確かに、大した力も持たず、世界を知らない少年が1人で生きていける訳がない。


『心配しなくても、ある程度なら強くしてあげるわ。だからついて来なさい』


 だから少年は素直に頷いた。その後、女が少し躊躇いながらも少年の頭を優しく撫でたのが印象的だった。



 そして女が少年に触れたのは、この時が初めてだった。



 それから少年は女と共に暮らしている。女を師と仰いで。

 女は何でも出来た。出来ない事が何も無かった。だから少年はあらゆる事を教わり、吸収した。少しでも強くなるために。


 この2年はひたすら基礎を叩き込まれた。魔法、武術から常識、料理など。何も知らなかった少年も素直に従った。


 今はある村の空き家に住んでいる。少年が暮らしていた村から一番近くに位置する場所だ。近いと言っても馬車で一日以上はかかる距離なのだが。


 そして少年は自分の正体を明かしていない。それでも自分を受け入れてくれたこの村に感謝していた。


「やるか」


 少年は短く呟くとベッドから降り、体をほぐす。そしてまだ暗い外に出ると、日課であるランニングを始めた。

 少年は朝のランニングで山を二つほど走る。もはやランニングとは言えないほどの速さで走っているのだが、女はランニングと称して少年に教えた。


 少年がランニングを終えて家に向かうと良い匂いがした。まだ何も食べていない少年はお腹を鳴らす。


「おはようございます、師匠」


「おはよう。そろそろできるわよ」


 少年が家に入ると、台所にいる下着姿でエプロンを着た女が料理をしていた。

 世の中の男が見れば誰でも鼻血を流しそうなその格好に、しかし少年は反応しない。もう見慣れたからだ。


「今日もまたしごいてあげるから、しっかり食べなさい」


「分かってますよ」


 少年は基礎を習っている。だが、基礎だからと言って易しいものではない。むしろ毎日疲れ果てている。これで基礎ならばそのうち殺されるのではなかろうか、と疑っているぐらいだ。


 それでも、弱音だけは吐かない。身も心も強くありたいから。



 〜〜〜〜〜



「遅い!」


「っ!」


 女の蹴りが少年の顎を捉える。脳が揺れた少年は呆気なく地に倒れた。


「反応速度が遅すぎる。もっと早く動きなさい。見るだけじゃなく、あらゆる情報から相手の動きを予測するのよ」


 女の要求は難易度が高い。もはやそれは基礎とは言わないが、世の中を知らない少年はそれも分からない。だから基礎も出来ない自分に苛立ちを覚える。


「……分かりました」


 少年はゆっくりと起き上がると、また構えをとる。


 少年は基本的に体術の鍛錬をしている。それは一対一の実戦において魔法による遠距離攻撃よりも、体術による近距離攻撃の方が有効だからだ。もちろん、それは実力の差によって変わるが。


 この世界の人類に魔力を持たない者はいないので、武術にも魔力は使用される。そして魔法はそれを発現する魔力よりも高い魔力を纏うだけで防ぐことが出来る。

 故に、魔力量が同レベルの場合は体術の方が有効だとされている。


 それに体術には才能が無い。いや、正確にはあるのだが努力で超えられるものだ。

 身体能力は鍛えれば、気配察知や直感などは実戦を積めば、それぞれ天才を超えられる。


 だが魔法はそうはいかない。魔力量は増えないし、発現量を増やすのもある程度の才能が必要になる。


 そして少年には魔法の才能があった。魔力量は人類の中でもずば抜けて保有しており、発現量も比べものにならない。

 しかし体術の才能は無かった。身体能力は低く、経験が無いため本能的に反応することが出来ない。


 だからこそ少年は体術を鍛えている。自分はただ強くなりたいだけではない。圧倒的な相手を殺すために強くなりたいのだ。そしてそれは今のままでは不可能だ。

 ならばどうすればいいか?得意なこと(魔法)で最強を目指し、そして苦手なこと(体術)で最強を目指す。ただそれだけだ。


 故に少年は力を求め続けた。まだそれが意味することも理解せずに。



 〜〜〜〜〜



 それは突然起こった。女が何かの用事で遠出をし、少年が一人で村に残っていた時のことだ。


「ん?なんか騒がしいな」


 家で昼食を摂っていた少年が外へ出ると、なにやら村人達が慌てているようだった。


「どうしたんですか?」


 とりあえず少年は近くにいた村人に事情を聞く。初老の男性だ。


「ああ、君か。実は近くに山賊が来ていてね。この村の財産を全て寄こさないと女子供も含めて皆殺しにすると脅されたんだよ」


 今、山賊は近くの山まで来ている。その山賊がちょうど狩りに出ていた村人にその要求を村へ伝えるように命令したのだ。

 少年はなぜ最初から襲いに来ないのかと思ったが、どうやら山賊は疲労している様子だったらしい。恐らく無駄な体力は使いたくないのだろう。そんな相手でも、平穏な暮らしをしている村人には勝ち目はないから、今こうして混乱に陥っているのだ。


「……それで、どうするんです?」


「大人しく渡すさ。それで命が助かるならね」


 老人は疲れたようにそう言った。それが正しい判断かもしれない。


 だが、少年は理不尽を知っている。だからその山賊を信じることが出来なかった。

 そもそも、自分達の事を知った村人達を山賊は見逃すのだろうか。恐らく、最後には皆殺しにするだろう。最後には全てを奪うのだろう。


 そう思うと少年は我慢出来なくなった。


「すみません。ここは俺に任せてくれませんか?」


「え?」


 気付けば少年はそう口走っていた。それはほとんど無意識だったが、やってしまったとは思わなかった。


「実は俺、交渉が得意なんですよ。だからなんとか退いてもらえるように頼んでみます」


「そ、そんな事が出来るのかい?」


「はい。必ずうまくやってみせますよ。それに、ここの人達には恩がありますから」


 それは少年の本心だった。身元が分からない自分を受け入れてくれた村。そんな村が蹂躙されるなんて許せなかった。


「本当に大丈夫なのかい?君はまだ幼いんだ。その気持ちは嬉しいが、無理はしなくていいんだ」


「本当に大丈夫ですから!だから、俺に任せてください」


 こうして少年は心配そうな顔をする村人達に見送られ、山賊の元へ向かった。



 〜〜〜〜〜



 少年はそれからの事をあまり覚えていない。


 山賊がいる場所に着くと少し会話をした。その会話の途中、やはり山賊が約束を守る気がないと知り、殺されかけた。

 だから返り討ちにした。自分のため、村人のため。30ほどいた山賊を全員殺した。

 その後、どこか呆けた顔で村に戻り、山賊が退散したという嘘の報告を聞いて喜ぶ村人の感謝の言葉を背に、家に帰り自室のベッドに倒れ込んだ。


 その間の自分を含めた全ての人の詳しい言動を覚えていない。ただ、気付けばベッドの上で泣いていた。


 初めて人を殺した。その時の事はあまり覚えていないが、手には感触が残っている。体には血の匂いが染みついている。

 人を殺す。それはあの悪魔と何が違うのか。答えの出ないその自問に、少年は泣くことしか出来ない。


 理由はあった。自分の身を守るため。村人を守るため。理不尽を許さないため。


 だが殺すつもりはなかった。山賊が思ったより弱すぎたのだ。世間を知らない少年は、自分がどれだけ卓越した存在になっていたかを理解していなかった。


 考える。どうすれば良かったのかを。聡い少年は震えながらもどうすれば良かったのかを考えた。


 そして行き着いた答えに絶望した。怯えた。自分で自分が怖くなった。


 答えはーー無い。


 少年に他の方法はなかった。強さしか求めてこなかった少年に、誰かを守る手段は他になかった。

 あらゆる感情が少年に絡みつく。全て負の感情。それらに少年は潰されそうになる。


 どうすれば良いのか。少年はまたすぐに考え出す。自分が潰れてしまう前に。


 そして、少年は心を捨てた。自分の心に仮面をし、本音を隠して生きていくことを決めた。自分にさえも嘘を吐いて。

 愛おしくなるぐらいに弱い少年は、生き残るために自分の罪から逃げ、目を背けた。


 壊れた少年はこの日、少し歪んでしまった。



 〜〜〜〜〜



「………」


 いつの間にか寝てしまっていた少年の傍らに、帰ってきた女が立っている。村人から事情を聞いた女は、実際は何が起きたのか全て理解していた。


 女は徐に少年の頭を撫でる。まるで大事な宝物に触るかのように、優しく優しく撫でた。


「あなただけは私が守ってみせる。大丈夫。あなたならきっと大丈夫だから」


 そう呟いて。


 少年は少し歪んでしまった。

 "少し"だけで済んだ。それはこの女の存在が大きかったからなのだが、少年がそれに気付くのにはもう少し時間が必要だった。




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