前日譚・上 始まりの日
ーー火の海で、少年は泣いていた。原型が何なのか分からないような肉塊を抱きしめ、泣き喚いていた。
火が弾ける音だけが聞こえるその暗闇に、少年の泣き声はよく響く。だがその声に反応する者は存在しない。
かつて村だったそこは、かつて人々が夢を抱き大切な者と暮らしていたそこには、もう何も無かった。
真っ赤な炎が辺りを包む。しかし少年は逃げようともしなかった。
少年は少しずつ息苦しさを感じた。先程まで出していた叫び声が小さくなっていく。
やがて、少年は倒れた。もう涙も出ない。声も出ない。それでも少年は出ない涙を流し続けた。声にならない声を上げ続けた。
予感はした。このままでは自分は死ぬと。そして少年はそれでもいいと思った。いや、それがいいと思った。
数分後意識を失った少年に、一つの人影が落ちた。
〜〜〜〜〜
少年が目を覚ますと、目の前には見知らぬ天井が広がっていた。布団からも知らない匂いがする。
横になったまま顔を動かすと、ベッドの傍に女が立っていた。水色の髪を伸ばし、同じ人間とは思えないほど完璧な容姿をしている。まだ幼い少年ですらそう思った。
だが、少年は少し恐怖を感じた。女に。なぜなら、その目は何も映していなかったから。何かを見ているのに何も視ていなかったから。
その虚無そのもののような目に怯えを覚えた。
ゆっくりと体を起こす。気付けば自分の体は汗でびっしょりだ。少年は気持ち悪さに顔を顰める。
と、そこである光景がフラッシュバックした。まるで悪夢のような、いや、悪夢そのものだ。少年はすぐに頭からそれを追い出した。
「お姉さんは誰?」
少年は女に声を掛けた。とりあえず今の状況を確認しようと思ったからだ。
「……何者でもないわ」
だが、返ってきた答えは少年にとって意味の分からないものだった。
「名前がないの?」
「あるわよ。でも、それに意味なんてない」
女が何を言っているのか。少年は理解出来なかった。
「じゃあお姉さん。タオルとかあるかな?僕、嫌な夢を見たから汗が凄くて」
「……それは、嫌な夢なんかじゃないわよ」
「え?」
予想外の返しにまたも戸惑う。なにか、嫌な予感がした。
「あなたの家族が殺される夢でしょう?」
「なっ、なんで知ってるの!?」
「それが事実だからよ。ここはブリル村じゃない。ブリル村は消滅したわ」
悪夢のような光景がまたも少年の頭をよぎる。女の言葉を理解してはいけない。直感的にそう思った。
「……お父さんは?お母さんは!?兄ちゃんは!!?」
だが、賢さ故に少年は全てを思い出してしまった。何が起きたのかを。何を見たのかを。
「死んだわよ。あなたを連れ出したのは私。それも気まぐれだけどね」
女は平然とそう言った。瞬間、少年は女に飛びかかっていた。それを女は軽く躱す。
「なんで!?」
少年はもう一度殴りかかった。女はまた軽く躱す。
「なんで!!?」
少年は蹴りを放つ。しかし元から武術を納めていない少年のそれはお粗末なものだ。掠りもしない。
「なんで僕を助けたんだ!!?」
少年は周囲に火の玉を展開した。それは少年の年齢で発現出来る量を遥かに超えている。だが、女は指を鳴らすだけで全てを消してしまった。
「なんで僕を死なせてくれなかったんだ!!?」
少年は近くに落ちてあった椅子を投げつけた。女はそれを片手で受け止める。
「なんで僕を家族から引き離したんだ!!?」
少年は力の限り暴れた。しかしそれら全てを女はまるで息をするかのように躱した。
「なんで僕は何も出来なかったんだ!!?なんで僕はただ見ていただけなんだ!!?」
それは少しずつ、自分を責める叫びへと変わっていった。少年の慟哭が響き渡る。女はそれを同情するような目で見ていた。
「なんでっ!?なんで……」
いつしか少年は動きを止めていた。力無く地に伏し涙を流した。ただただ泣いた。
「なんでっ、なんで僕なんかが生きてるんだよぉ……」
少年は己の無力を痛感した。まだ5歳である少年が、力の無い自分を憎んだ。
「……あなたを連れて行きたい場所があるわ」
女はただそれだけ言うと、未だに泣いている少年に浮遊魔法を掛ける。そして少年を連れて北へ向かった。
少年は抵抗しなかった。
〜〜〜〜〜〜
「ここは……」
女が少年を連れて来た場所は、少年にとって馴染みのある場所だった。だが、一つだけ見慣れない物が置いてある。
「あれは、あなたの家族の墓よ。勝手で悪いけど私が作ったわ」
それを聞いた少年は、ゆっくりとその大きな石に歩み寄った。それはぽつんと立つ大樹の根元に置かれている。
「……お、お父さん!お母さん!兄ちゃん!」
その墓の前まで辿り着くと、少年は石に抱きついた。そしてまた泣き始めた。だだっ広い草原にその声が響き渡る。
女はそれを遠目に見ていた。表情はない。ただその目に少しの同情が浮かんでいるだけだ。
少年は泣きながら亡き家族に呼びかけ続けた。この先、一生聞くことが出来ないその声を求めて。そしてすぐに涙を流し、鼻水を垂らして顔をぐちゃぐちゃにしながら、墓石の足元の地面を掘り始めた。
道具なんて持っていない。もちろん素手でだ。爪が剥がれ血が流れる。傷口に土が捩じ込まれる。それでもその手を止めず、一心不乱に掘り続けた。
しばらくして、少年は一つの壺を見つけ出した。その蓋をあけると中には沢山の骨が入っていた。それを見た少年は壺を抱きかかえ、更に泣き声を大きくする。
だがそれとは裏腹に、少年の思考は凄まじい勢いで回転していた。
己の未熟さ。大好きだった家族。己の愚かさ。死んでいく家族の姿。己の無力さ。最期の家族の言動。
拒絶する心を無理やり押し殺し、あの悪魔を思い出す。耳障りな声で嗤っていた憎い悪魔を。
自分がこれから歩むべき道を考える。考え、否定する。繰り返し繰り返し。もはやおぞましいと言えるほどの早さで思考する。
そして少年は選んだ。自分を蔑み、憎み続ける復讐を。
少年は最後に壺の中の骨を見ると、ゆっくりと蓋をする。そしてまたゆっくりと土に埋めた。
墓を元通りにした少年は立ち上がり振り返った。その目に涙は浮かんでいない。
ただ昏い、闇よりも昏い感情が渦巻いていた。しかしそれと同時に、強い決意を秘めていた。
少年の姿を遠くから見ていた女は瞠目する。そんな女に少年は口を開いた。
「家族のお墓を作ってくれてありがとう」
「……礼はいいわ。それより、これからどうするの?」
「僕は……俺は、復讐する。あの悪魔に。これが何も生まない選択でも、ただの自己満足でも、いつか必ず、あいつを殺す。俺はそのためだけに生き続ける」
少年は言い切った。強い意志を込めて。それを聞いた女は少し悲しそうな顔をした。だがその目には憧憬が浮かんでいたことに、少年は気付かなかった。
そして少しの逡巡を経て、女も選んだ。
2話の予定が3話になりそうなので、明日も投稿します。
上・中・下です。




