第89話 神とは
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「……師匠」
事前に聞いていたとはいえ、こんなあっさりと再会を果たした事にリアムは驚きを隠せなかった。スイの性格を考えれば、もう二度と彼女が姿を現さないこともあり得たのだから。
「……少し見ない間に、随分と大きくなったわね」
ベッドの中で、上半身だけを起こすスイが優しい声音でそう言う。
実際、スイとリアムが別れた時はまだ彼女の方が背が高かったが、今ではリアムが抜いている。
「まぁ、六年も経ってますからね」
リアムは答え、服装を正す。久しぶりすぎて少し緊張していた。
「六年、か。私からすれば、あなたと別れたのが昨日の事のようなんだけどね」
「俺からすれば、まだその程度かって感じですよ」
思えば、スイと別れてからのリアムは忙しかった。今でこそ落ち着いてきたが、ほんの数ヶ月前までは復讐のことだけを考えていて余裕がなかったのだ。
数え切れない経験をした彼からすれば、この六年はとてつとなく長いものだった。
「師匠。師匠はやっぱり……」
「ええ、そうよ。水神イース。それが私の正体」
あっさりと。スイはあっさりと明かした。だが、リアムもそれほど驚いてはいない。タラニス達と会ったことで大体予想は出来ていたからだ。
「……これからはイース様って呼んだ方がいいですか?」
「いらないわよ、そんなの。今まで通りでいいわ」
スイはコホコホと咳をする。しかし、リアムがそれを心配するよりも先に、彼女が口を開いた。
「……こっちに来なさい。リアム」
リアムは素直にスイの元に近付き、彼女に促されてベッドの端に腰かけた。
「あれから今まで、何があったのか教えてちょうだい」
「知ってるんじゃないんですか?」
「あなたの口から聞きたいの」
「ふむ……長くなりますよ?」
「大丈夫よ」
リアムは頷き、そして何があったのか、一つ一つ丁寧に話し出した。
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「中にリアムのお師匠様がいるんですか」
「ああ、そうだよ」
「あの、私達は……?」
「悪いけど、ここまで。イース姉の頼みだからね。ここから先に行っていいのは、リアムだけさ」
アリサに淡々と答えるエンリル。そんな二人を、他の神々は黙って見ている。
「どうしても、ダメですか?リアムさんのお師匠様に会ってみたいんですけど」
緊張も解けてきたアリサは更に問う。リアムの恩人であり師であるイースを、一目だけでも見たかったからだ。
「気持ちは分からなくもないけど、諦めてくれ」
優しく、しかしはっきりと拒絶したエンリルに、アリサはそれ以上食い下がることをやめた。相手は神。人間である自分ではどうしようもないと理解したからだ。
そこで、ウリエルが前に出る。エンリル達の前で跪き、頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。キシャル様、バハグ様、タラニス様、エンリル様。ボクは七大天使が一柱、ウリエル。出来ることならば、イース様にもこうして挨拶をしたいのですが、しかしそれが叶わぬのなら仕方ありません」
ウリエルは一息にそう言い、顔を上げた。
「つきましては、クリシュナ様に会わせてもらえないでしょうか?いくつか、お尋ねしたいことがあるのです」
「……クリシュナ?」
ウリエルの言葉に、アリサが反応する。それは聞き覚えのない名だ。
「ねえ、ウリエルちゃん。それ、本気で言ってるの?」
未だに跪くウリエルに、キシャルが尋ねる。その声は別段怒っておらず、むしろ柔らかいものだ。
それに、ウリエルは首肯した。
「そう。……本当に、何も知らないのね。それも仕方ないのだけど」
キシャルの呟きに、ウリエルは首を傾げる。既に、アリサ達は蚊帳の外だった。
「キシャル様?それはどういう意味で……?」
「創造神クリシュナはいない。俺達の母は、この世界の誕生とほぼ同時に死んだ」
「……は?」
ウリエルの問いに答えたのは、バハグだった。彼は目を瞑り、腕を組んでいる。
「クリシュナ様が、既に亡くなっている……?そ、そんなはずは……!」
「お前がなんと言おうが、それが事実だ。まぁ、落ち度があるのはこっちなんだがな」
次に答えたのはタラニスだ。彼女はほとんど何の感情も込めずに、そう言い放った。
「……訳が分かりません」
「俺達五大神は、この世界の住人と関わることが禁じられているんだ。それが俺達に与えられた唯一無二の"ルール"さ」
混乱するウリエルに答えたのは、エンリル。彼らは順番に口を開く。まるで、打ち合わせをしていたかのように。
「本当なら、こうしてあなた達といるのも良くないわ。だから、私達ももう少ししたら立ち去るつもりよ」
「会話程度なら、少しはできる。だが、長時間はもたない」
「私達は神と呼ばれてるが、その本質は世界に捕らわれた哀れな人形だ。この世界には既に、神なんてモノは存在しない」
「五大神がこの世界の住人と関わり過ぎると、存在が保てなくなる。まあ要するに、死ぬ」
「だから、私達は真実を話せなかった。そうすれば、私達は死んでしまうから。私達なんて所詮、死に怯える程度なのよ」
「"ルール"には、段階が存在する。この世界の真実を話すことはもちろん、生物と接触するだけで死は決定づけられる」
「私達だって、あらゆる可能性を探した。この忌々しい"ルール"の抜け穴を。でも、それは一切見つからなかった。せいぜい、今みたいなギリギリの話をするのが限界だ」
「こうやって俺達が順番に話してるのだって、少しでも"ルール"から逃れるためさ。今、俺達は個だけで見れば何を話してるかよく分からない。それを繋げて君達に伝えてるだけさ。それでも、この世界の真実は話せないんだけどね」
ウリエルは呆然としていた。五大神の話す内容が、自分が知っていたものとはかけ離れていたからだ。
実際のところ、今の話だけでは知りたいことは知れていない。だが、自分の知識が根底から否定されたことだけは理解した。
「あの……」
そこで、ミサキがおずおずと手を挙げた。
「私は、元々この世界の住人じゃありません。私なら、あなた様方の話を聞いても大丈夫ではないでしょうか?」
ミサキは、異世界から召喚された勇者だ。故に、その"ルール"とやらの抜け穴になるのでは、と考えたのだが、
「あなたの魂は、既にこの世界に定着してるわ。それじゃダメなの」
キシャルはその可能性をあっさりと否定した。
先程も話していたように、五大神は既にあらゆる可能性を仮定し、そしてそれらを全て切り捨てているのだ。気の遠くなるような、永い時をかけて。
ミサキは口を噤む。
ルナは混乱していた。神に対して心を読むことが出来ないとなれば、まだ幼い彼女にとってこれは難し過ぎる話だった。
なにせ、七大天使ですら理解出来ていないのだから。
「……あの、私からもいいですか?」
次に口を開いたのは、アリサだった。五大神は、あまり自分達と話すことが出来ないということだけは理解した彼女は、バハグが頷くのを見て続けた。
「リアムのお師匠様だったイース様は、大丈夫なのですか?」
アリサのその言葉に、場の空気が凍りついた。否、凍りついたのは五大神の表情だけだったが、この場においてそれは大きな意味を持っている。故に、場の空気が凍りついた。
「……君の、言う通りさ」
長い沈黙を経て、エンリルが答えた。苦々しげな表情を浮かべ、洞窟の入り口に目を向ける。
「イース姉はーー」
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「ーーで、ここに来たんですよ」
時間を掛け、全てを話したリアムは一息つく。やはり、長い。自分でもそう感じた。
「ダラダラとすいません。退屈でしたか?」
「そんな事ないわ。聞けて良かった」
「……なんか、俺の記憶にあった師匠よりも優しい気がするんですけどぉっ!?」
リアムの視界がブレた。拳骨が落とされたことに気付いたのは、少し遅れてからだった。
「あらあら、リアム。まるで私が優しくなかったみたいな言い方じゃない」
「……前言撤回します」
強烈な一撃を受けたリアムは、頭を抱え目に涙を溜めながら言う。それを、スイは穏やかな表情で見ていた。
「それにしても、リアムが結婚ねぇ」
「意外ですか?」
「そりゃそうよ。常に目を血走らせていたあのリアムが、今や女の子を三人も侍らせてるなんて。話を聞いた今でも信じられないわ」
「……そんな危ない感じでした?」
「そうね。目を離したら死にそうなぐらい、生き急いでるように見えたわ」
スイの物言いに、リアムは苦笑した。
「……成し遂げたのね」
それはもちろん、リアムの悲願だった復讐のこと。
なんの脈絡もなく言ったその言葉を、リアムはすぐに理解した。
「まぁ、ほんとにギリギリでしたけどね。一度は悪魔に堕ちましたし、あの時の聖剣がなかったら……」
そこでリアムは聖剣との会話を思い出した。そして、ふと思う。
あの、どこか懐かしい声とやり取りはもしかして、と。
「師匠は、神なんですよね?」
「一応はね」
「もしかして、聖剣を創ったの師匠だったりします?」
「……そんな訳ないでしょ」
少し間があったが、リアムはそれ以上追及しなかった。スイが話したくないのなら、それでもいいと思ったからだ。
「何にしても、お疲れ様。リアム」
「ありがとうございます」
リアムは礼を言い、頭を下げた。復讐を遂げることが出来たのも、今、幸せなのも、全ては彼女のおかげだ。リアムはそれを再確認した。
「ところで師匠。なんで突然俺を呼び出したんですか?」
「あら、不満?」
「いえ、そんな事はないですよ。そのうち探し回ることになると思ってましたから、むしろありがたいぐらいです」
「そ。まぁ、あなたの言う通り理由はあるわよ」
スイはまた咳をする。さっきよりも少し、長かった。
「ちょっと時間がなかったから呼び出しただけよ」
「……?時間がない?」
「ええ。だから、とりあえずこの世界の真実を話そうかと思ったの」
スイはさも当然のようにそう言うと、リアムの頭を撫でた。その手つきは酷く優しく、リアムも黙ってされるがままでいる。
「この世界の真実、ですか?」
「さっきも言ったけど、私は一応神だから。それぐらいのことはできるわ。逆に言えば、それぐらいのことしか出来ないのだけど」
「………?」
「まず、話の前提として」
先程から少しずつ、話の流れが変わっている気がしたリアムは、ただただ混乱していた。
そんなリアムを置いてきぼりに、スイは言った。
「リアム、私はもうすぐ死ぬわ」
「……は?」
カチリと、再び運命の歯車が動き出した。
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