3話「わこのスウィーツジャンプ」
高校から歩いて十五分のところにファストフード店があった。近年の土地不足、新しく出来たひよりちゃんたちの学校は都会からローカル線に乗って向かう必要があった。
「たつさんいましたー! おまたせです!」
「ありがとわこちゃん、他のみんなは?」
「外で待ってますよー」
なぜ部員でもない子を呼びに行かせるのかと小一時間、並べていた教科書を鞄に詰め込み外へ出る。
「わこちゃんはひよりちゃんと仲がいいの?」
「そうですねえ、今日初めて話しましたけど仲良しですよ」
「ふーん、そっかあ」
この二人がどういう関係なのかさっぱりわからなくなったが、女の子とは往々にしてそういうものなのだろうと納得してみる。
入り口前にひよりちゃんと朱音さんがいた。朱音さんが話しかけている印象だけど、ひよりちゃんも楽しそうに受け答えしていた。
「いやあ、お待たせ」
「たつ遅いよー」
僕たちは電車に乗り込みひよりの家へ向かった。駅から二十分程度歩いたところに家はあり、小さな家ではあるがそりたつ壁が道路からも見え何とも不思議だ。
「ここがひよりちゃんの家か大きいね」
「私の家も近いんですよ!」
わこが僕を家に誘っている。その有枠に必死に抗いながら、ひより宅の庭へ入り込んでいく。
「あーこれね、テレビで見たことあるよ」
「いや朱音さんは会場で見たことあるだろ」
「あれはもう何年も前だし忘れちゃったのよ」
とはいえ僕も久々にそりたつ壁を見た。テレビで見ると小さくも見えるが、やはり大きい。誰でも超えられるものじゃない。
「これ高さは4.5メートルじゃないか」
「ふーん、よくわかりましたね」
少しニヤつきながらひよりが反応してくれる。
このそりたつ壁は男女で挑む高さが違い、女性は4メートル。つまりひよりは男性用の高さに挑んでいることになる。
「別にこの高さで練習する必要はないんじゃないか? 女性でこの高さが出来る人なんて世界中でも限られてる」
「そんなに難しいのこれ? 朱音でも行けそうだけど」
そう言って朱音さんが壁に足をかける。やるつもりらしいが、正直素人がやると危ないので、僕は後ろに周りフォローできるように立つ。
「どうやるの?」
「後ろの坂で勢いをつけて登ってください、そこからは感覚です」
「朱音の天才さを見ておけよー」
一度坂を上がり、その勢いで壁へと突進していく。全力疾走の走りだが、そのフォームは悪くない。運動は昔から出来ていた。
「うわなにこれ!」
中腹あたりで壁にぶつかり、そのまま滑るように降りてきた。高さで言えば少し上がったくらいで、ジャンプしてもとても頂上に届く高さではない。
「カーブしてるから坂道登るみたいに行けると思えばこれ垂直じゃん! こんなの登ってたの」
「見た目だけでも難しいと思うけどね。最近は選手の実力もあがり誰でもできるエリアの代名詞となってたけど」
「知識は詳しいみたいですね、そろそろ顧問が登ってみてください」
ひよりちゃんは俺を登らせようとする。今日はこのために来たようなものだし当然か。
鞄を地面に投げ、壁へと上がる。木で作られた壁は独特の空洞感があって、心を弾ませてくれる。
「……数年ぶりかな」
そりたつ壁と対面すること自体久々であるし、苦い思い出があるこのエリアは得意なわけではない。正直なところ今の自分に超えられるかと問われれば厳しい。
ひよりちゃんは真剣に見てくれている。彼女には冷たい反応を取られているが、それは僕が今のところただの変態だから。だからここで、かっこいいお兄さんだというところを見せ付けたい。
頭の中でシミュレー卜する。何年もやっていないけど、諦めた後でもやり方はいつも考えて来た。
朱音さんと同じように後ろの坂を登る。でもここは全力疾走しない、あくまでその勢いに従うように坂を下る。
軽い流れで、一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。自然な流れで朱音さんと同じ高さまで上がってみせる。
「ここから!」
まだ円の下半分、斜めになっている壁を全力で蹴り飛ばす。真上ではなく、斜め前。体が一気に壁へと近づいていく。
「ファッ!」
円の90度部分、ちょうど垂直になっている面に足をぶつけて真上へと蹴り上げる。足の指先が壁をしっかり掴んで、体を真上へと押し上げてくれる。
──ガチッ
両手でしっかりと壁を掴めた。勢いタイミングすべてがうまく決まったと思う。
「うわすごいじゃん! たつ今なら楽にクリア出来るんじゃないの」
朱音さんに褒められて上機嫌になるが、何とか抑えつつそりたつ壁を下っていく。手を離すと重力に引っ張られて真下に落ちていくのだが、気を抜くと前のめりで倒れそうになり非常に危ない。そこで倒れないために後ろで誰かが背中を守ってあげるべきなのだ。
「まだ足が疲労してないですから、本番じゃこうは行きません」
練習だと出来ている人はたくさんいる、それでも本番になると足の疲労や焦りでうまく登るのは難しい。このエリアは勝者に向かう道へそりたつ壁なのだ。
「……ふーん、やるじゃん」
不満そうに言うが、どこか嬉しそうなひよりちゃんが見えてホッとする。クールさが少しだけ抜けてとてもかわいい……元から可愛かったけど。
「じゃあ、これで顧問として認めてくれるかな?」
自信は無かったから声が少し震えていたと思う。我ながらかっこ悪い。
「そうだね、これからよろしくね顧問」
「……そうだね、顧問と呼ばれるとイマイチ何かわからないしそもそも顧問は朱音さんのはずだ。だから、その……コーチなんてどう?」
うおー恥かしい。女子高生にコーチなんて読んでもらうなんてすごい恥かしいしもはや犯罪なんじゃないかと思えてくる。少し失敗したような気がしてきて顔が紅潮していくのがわかるが、ごまかすように力強くひよりちゃんを見つめる。
「ん? いいですよ」
ひよりちゃんは特に気にする様子もなく認めてくれた。何かもう少し「こ、……コーチ(惚)」みたいのが見たかったけどさすがクールひより。わこちゃんならその対応が見れるかも知れない。
「ところで、ひよりちゃんは壁登れるの?」
「……登れないですけど」
何てこと聞いてるんだバカ! 少しほんわかしてたひより様がすでに暗くなってきてる。女子高生だデリケートに扱わないと……。
「まあ仕方ないよこれ4.5メートルだからね、そうそう登れる人なんていない」
「私登れます!」
そういうと、わこちゃんは壁に足を踏み込んだ。一度坂を上がり、そのまま一気に壁へと向かっていく。朱音さんよろしく絶対に壁にぶつかると思ったが──
「てやっ!」
壁にぶつからないように体を後ろに反りながら──ひと思いに駆けジャンプ。あろうことか両手をそりたつ壁の頂上にかけていた。
「この子、壁が登れるみたいで」
「……すごい、勢い任せに上って登れるほど壁の傾斜は甘くない。それに最後のジャンプも飛距離がすごかったけど、わこちゃんは普段何を?」
わこちゃんが降りてきた。そりたつ壁から降りるのは僕でも怖いのだが、全く気にするようすもバランスを崩す気配もなく鮮やかに。
「えへへ……普段はスウィーツ同好会をやっているんです」
「ああ、スウィーツねスウィーツ」
……スウィーツてなんだ? 知らないスポーツだがコーチである手前、そんなもの知らないとか言い辛い。いや知らないことが多すぎて普段なら気にしないのだけど、場の空気に流されて知っている気配を醸し出してしまった。
「……なるほどねー?」
ひよりちゃんはそれとなく話を合わせてきた。いやスウィーツ絶対に知らないだろなんだスウィーツて。
「……それで普段はどんなことしてるのかな?」
「基本は走り込みですっ! 体重は大敵ですから」
「なるほど! それであれだけの身軽さか! さすがスウィーツ! すごいぞスウィーツ!」
「じゃあスウィーツのルールはなんでしょう?」
朱音さんが唐突に痛い質問を投げてくる、知るわけないだろバカ!
「スウィーツのルール、1にみんなで仲良く。2に食べ過ぎに注意。3にスウィーツは主食」
「「あ?」」
ひよりちゃんと声が被る。……スウィーツてもしかしてスイーツのことを言ってるのか?
「いやいや待って、じゃあ何であんなに身軽なの? スポーツ経験は?」
ひよりちゃんが慌てて聞き返す、やっぱりわかってなかったんだ。
「どうなんですかね、それはわからないですけどこの壁を毎日見ててやりたいなあて思ってたんです」
「私も毎日登りたいと思ってるのに……」
ひよりちゃんがガクっとうなだれる。正直こっちも同じ気分だ、スウィーツという謎の競技選手にあっさり壁を攻略されるなんて。
「……まあ、それはいいの。むしろ結果としては私にとってプラスだし」
「そうだ、ひよりちゃんは部を組んだということは何かやりたいことがあるのかな?」
高校であれば帰宅部の人が大勢いる。SASUKEというのは個人種目であり、家に練習環境があるならわざわざ部員と一緒にやる必要がない。
「この大会に出る」
そういって鞄から取り出したのは、一枚のポスターだった。
『チームニンジャウォーリア・ジャパンカップ2019』
ニンジャウォーリアとは海外でSASUKEのことだ。僕たちは作戦会議のため近くのファミレスへ向かった。
大会までまだまだ一か月!チームニンジャウォーリアとは!?