1話「ひよりの前にそりたつ壁」
そり立つ壁、あなたは知っているでしょうか?
円形上にカーブしたその壁は、地上からの高さ4.5m。全身は黒色なのに、歩く道だけは脱落者たちの血と涙で赤く染まっている。何とも壮大で、美して、数々の挑戦者を脱落へと導いた悪魔。
助走をつけるため壁の後ろへと下がっていく。後ろを向いて進んでいき──
「ここ!」
一気に反転して湾曲した壁へと突っ込んでいく。壁は円形だが、体感としてはほぼ垂直の壁。覚悟がいる。
一歩、二歩、三歩、四歩……
「ひゃぁっ!」
壁を思いっきり蹴り上げて、右手だけを壁の頂上へと伸ばす──届けばクリアになるのだけど。
──ドンッ
右手がむなしく壁をたたきつける、あと1cm届かない。
「もう一回!」
──ドンッ
「まだ! まだおわらない!」
──ドンッ
──ウォーン、ウォーン……
時間制限を告げる警告音が鳴り響く。その音がひよりの足を焦りで狂わせる。
「あぁつ」
ひよりはそのまま壁の下で転んでしまった。焦りと疲労ですでに足は動かない、そりたつ壁を一度上るだけでも凄まじい疲労となる。
──ウォーン、ウォーン……
「いやだ……まだやれる!!!」
──バンッ
「……いたた」
気づくと、ひよりは部屋にいた。ところどころに不気味な鉄骨の置物があることを除けば、非常に簡素で整った部屋である。
「……またあの夢か」
一年前、ひよりは中学生のときSASUKEに出場していた。
結果はそりたつ壁リタイア、女性選手にとってはすさまじい快挙であり、会場の人間を沸かせた。しかし、ひよりはその結果では満足しなかった。そりたつ壁でリタイアする選手、おそらく全員がそう思っているはずだ、まだ私はやれると。
「そういえば、今日は顧問が付くから朝早くこいとか紙谷先生が言ってたけ」
紙谷先生の後輩にあたる人がSASUKE出場を目指していたらしく、私の顧問をしてくれることになったらしい。私としては必要なかったのだけど、部活として指導者が必要ということなのだから仕方ない。
運動着に着替えて時計を見ると朝の六時半。毎日これくらいの時間に起きて朝練を欠かさずやっている。
「今日はそりたつ壁かなあ……今年は絶対に成功するんだから」
一階には小さな庭があるのだが、そりたつ壁があるおかげで他には何も置けなくなってしまっていた。
──ドドドドド
外から木を駆けあがるような音が聞こえた。ひよりにはそれがそりたつ壁を登る音だと、すぐに分かった。
「誰だ朝からあんな壁登って近所迷惑……というか不法侵入じゃん」
玄関から外にでる。朝の空気は眠気を醒ましてくれる。ようやく覚醒してきた意識のなかそりたつ壁へと向かっていく。
「やった! できました!」
「……ハァッ!?」
知らない女の子がそりたつ壁の頂上にいた。ひよりも一度も登ったことのない、その壁の頂上。朝の空気なんてくらべものにならない、とんでもない衝撃。
非常に小柄で猫のような雰囲気の少女──晴海和子との出会いだった。
「……天才じゃん、天才じゃん! 最高じゃん!」
ひよりはその場で飛び跳ねる。勝った、次の大会絶対に勝てる。
「えっ? はわわわ誰ですか」
「私はひより! 君はー?」
「晴海和子、わこです!」
「そっかわこか! 天才か!」
次の大会まで、もう1か月。ひよりとわこは出会った。