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 十年前。

 高校三年の夏休み間近。

 田中には三人の友達がいた。

 もともと勉強ができる方でもなく地味な性格だった田中は、小学校の頃から友達が多い方ではなかった。勘定は片手で足りるくらいだ。問題を起こすことも度々であったため、なおさらだろう。

 中学に進学してもその傾向は変わらず、高校では生まれ変わると心に決めていた。まわりの連中は進路を決め、目標に向かって進む姿が眩しく見えるのに対し、彼は心を通わせる友達すらいなかった。それだけでも打開したかったのだ。

 そんな彼が高校に進学し、初めて友達と実感できる仲間ができた。

 がっちりとした体格でスポーツ刈りの柏木。

 彼はメンバーの中でもいちばん大人というか、調整役のような男だった。揉め事があっても、彼が割って入れば文句をいう者はいなかったほど周りの人間からは慕われていた。人当たりも悪くはなかったので、女生徒にも密かに人気があった。

 二人目は、少し太っているのが特徴で、喧嘩が強い神田。

 人相は悪く、体も大きいので、グループの中では番長のような風格だったが、頭が悪く自分では行動を決められないタイプだった。だからなのか、いつも柏木と一緒だった。

 そしていつも暗く陰気だが、キレると恐ろしいと評判の森田。

 どちらかというと田中のようなタイプではあったが、彼は陰湿であまり話をすることがなく、恐ろしいという噂だけが一人歩きするような人物だった。いつもポケットにはバタフライナイフを持っていると噂されていたが、実際には折り畳み式の櫛を持っているだけだった

 そして、その仲間には田中が加わり、四人組で行動していた。

 田中以外の三人は中学から一緒で、その頃からつるんでいたらしい。

 いわゆるやんちゃ坊主で問題ばかり起こしていたという。

 しかし、そこは田中も同じく問題を起こしていた身であり、さらには彼に両親がいなく、母方の祖母に育てられたという境遇を知ったからか、三人は田中を仲間意識で扱い始めたのがきっかけだった。

 世間からのはみ出し者は、みんな仲間という世界観念だ。

 四人はよく、不良たちの定番である体育館の裏で煙草をふかしていた。

「せっかく夏休みだし、旅行いかねぇか?」

 そう言い出したのは柏木だった。

 何か行動を起こすときは、彼の口から始まる。

「いいね。女呼ぼうぜ。安い民宿とかだったら、部屋が別々でもドアとかに鍵がかかってるわけじゃねーしさ。俺、そういうシチュエーションずっと待ってたんだよ。行こうぜ行こうぜ」

 賛同するのは神田だ。

 女の話をするときには、いつも鼻息を荒くする。

 森田は右手でお気に入りの櫛を弄びながら、煙草を吸っている。神田に「なあ、行くだろ?」と半ば強制のように言われると、彼は小さく「ああ」と答えた。

 そうすると今度は田中の方へ視線が向く。

 神田は何も言わないが、同意を求めているのは田中にもわかった。

「俺も付き合うよ。楽しそうだし」

「よおし、じゃあ女つかまえないとな。それはお前の役目だ」

 柏木は田中を指差しながら、煙草の火を足で消した。

 友達とはいえど、この中の力関係では田中が一番弱かった。

 故に、彼らの決定に逆らうことはしなかった。高校に入ってせっかくできた友達を失いたくないという気持ちもあったからだ。

 問題を起こしているとはいっても、ほとんどが他校生との喧嘩だったことから、田中は自分のグループを硬派だと思っており、虐めやカツアゲなどをするような陰湿なグループだとは思っていなかった。そこに居心地の良さを感じたのかもしれない。

「わかったけど……俺、そんなにモテないしさ。柏木だったら女の子の連絡先とか知ってるじゃん。その中から誘えねぇの?」

「馬鹿。そうじゃねぇよ。こういう旅行なんだから、後腐れのない女探せって言ってんだよ。わかってねーな。よく言うだろ? ひと夏の体験とかワンナイト・ラブとかさ。お前だって女とそういう事したいだろ?」

 柏木は田中と肩を組むようにすると、にやりと笑う。

 彼の笑みは、どこか魅力的だった。

 誰でも従わせてしまうような、魔力のようなものに感じた。おそらくこれをカリスマ性というのだろうと十八歳だった田中は感じていた。今までは喧嘩要員としてだけしか活躍できなかった彼にとっても、少しばかり誘惑のある指令だっただろう。

 それから夏休みに入る間までの一週間、田中は女の子に声をかけるという苦手な分野に従事する。男なのだから女が好きなのは当然だ。学校も共学であり、女子と話をする機会がないわけではない。普通どおりに話せている。

 だが、旅行に誘うとなると少々緊張した。

 中には話を聞くなり「ありえないでしょ、あんたらと一緒なんて」と蔑んだ目で罵倒する女子もいた。女子と旅行できると舞い上がっていたのかもしれない。冷静に考えてみれば、女子の方が警戒するのは当たり前だ。

 もともとナンパのようなことには縁のない性格だったので、途方に暮れていたときだった。神田が声をかけてきた。

「一人でもいいから絶対つかまえろよ」

 凄みのある顔は、普通に話していても人相が悪い。脅されている気分だった。

 たまたま他の生徒がいない放課後の教室だったから良かったが、誰かに見られていたらカツアゲされていると間違われただろう。

「だから……ちゃんと探してるって。でも、なかなかいねぇんだよ。やっぱりこっちが男四人っていうのが無理なんじゃないか? それで女子も警戒するんだよ。普通に日帰りとかだったら大丈夫だろうけど」

 神田は、ふんと鼻を鳴らすと「使えねぇな」と言った。

 頭にはきたが、何も言わないことにした。

 彼の父親はヤクザだと噂で聞いたことがある。ただの噂かもしれないが、無闇に喧嘩を売らないほうが身のためだと思ったのだ。

「じゃあ、あいつはどうだ。いつも教室の隅にいる暗い女……名前なんだっけな」

「ああ、たしかマナミっていってたかな」

「そいつなら簡単なんじゃねぇか?」

「なんで?」

 少し意味ありげな神田の言い方が気になった。

 彼は顔を寄せ、誰も聞いているはずもないのに耳元で囁いた。

「あいつ、お前に気があるって聞いたぞ」

 その〝気がある〟というキーワードに囚われていたのかもしれない。

 どうせなら自分もそういうムードに浸りたいと思っていた。

田中は翌日の昼休み、廊下を歩いているマナミに声をかけた。彼女は大人しい性格で、あまり親しい友達がいないようだった。仲間はずれにされているというわけではないようだったが、影の薄い存在でいつも一人のことが多かった。

「よう、ちょっと……いいかな?」

 振り返った彼女は、太いウエリントン型の眼鏡をかけていて、背中まで伸びる黒髪をなびかせた。一見すると真面目な優等生といった感じだ。ほとんど会話することがなかった田中に声を掛けられて、少し驚いた様子だった。

「ごめん、驚かせた?」と田中が言うと、彼女は「うん」と小さく答えたが、返事とは裏腹に穏やかな笑みを浮かべていた。そのとき神田の言ったことが脳裏に蘇る。

 もしかして噂は本当だったのかもしれないと思うと、田中は自分の顔がにやけたような気がして急いで口元を手で押さえた。

「あ……実はさ。もうすぐ夏休みじゃんか。それで柏木たちと一緒に海に行こうって計画しているんだよね。まあ、ちょっとした旅行? みたいな感じでさ……夜には花火とかバーベキューとかしたら楽しいかなって」

「柏木くんたちも一緒なの?」

「うん。男四人だけど」

「他に女の子も来るの?」

「一応……探してるんだけどな」

 万が一、彼女一人しか参加できなかった場合、警戒して来ない可能性を考え、人気者の柏木の名前を出し、他の女子も誘っていることを仄めかした。

 はじめは躊躇していたが、何度か言葉を交わすうちに彼女も緊張が解け、夏の楽しいイベントを頭の中で思い描くような表情で参加を承諾してくれた。このとき同じく田中の頭の中でも、彼女とのイベントを思い描くようになっていた。よく見ると彼女は田中好みの女性で、話している間にも羽毛に包まれているかのような心地良さを覚えた。正直なところ、このときにはマナミさえ来てくれれば良いと思うようになっていた。

 他の三人には悪いが、彼女を渡す気はなかった。

 だが、そんな田中の考えは無用だった。

 当日には柏木が二人の女の子を連れてきていたのだ。どうやら年上らしい。ひとりは金髪で目が大きく、スタイルも申し分ない、形の良い唇が印象的なマミというギャル。もうひとりは茶髪でボーイッシュなエリカという女で、右耳とヘソにピアスをしており、右肩には蝶のタトゥーが入っていた。後から聞いた話では、ふたりとも十九歳ということで、年齢は一つしか違わなかった。

 同行してくれる女の子がいるのならば、わざわざ別の女の子を探す必要もなかったようにも思ったが、その役目を請け負ったお陰でマナミと知り合う事ができたことは否定できない。もっとも二人の女の子が同行することに依存はない。

 男が四人、女が三人という七人のメンバーは、面子としても程好い。

エリカが運転するオデッセイで海へと向かい、マミの知り合いから借りたという海辺のログハウスに泊まる事となった。

「わあ、すっごい……」

 ちょっとした別荘のようになっていたログハウスを見て、マナミが感嘆の声を漏らす。

 彼女の性格からして、他の連中とうまくやれるかどうか心配だったが、マミとエリカが気にかけてくれたお陰で心配は無用のようだった。それどころか移動中でも、ビーチにいるときでも柏木と話しているのをよく見かける。

 少しやきもちを妬いていたのかもしれない。

 田中は彼女との接触の少なさに、少し不服ではあったが、彼女と仲良くなれたことは事実だった。これを機会に距離が近づけば良いと心を落ち着かせる。

 夕暮れが近くなり、ログハウスの庭でバーベキューをしているときだった。

 田中はひとりで丸太の長椅子に腰掛け、ビールを飲んでいた。

 マナミもすっかり馴染んだようで、彼女が話の輪に入っているのをぼうっと眺めているとエリカが田中の隣に腰を下ろした。

「飲んでる?」

 彼女の大人っぽい艶やかな視線は、田中の心臓を鷲掴みにした。

 いや、心臓を鷲掴みにされたのはタンクトップから見える胸の谷間だろう。

 必死になって平静を取り戻そうとするが、彼女の心地よい香りに包み込まれるようで、鼓動が治まることはなかった。かすかに彼女の体が触れている。

「飲んでますよ。俺、こう見えてもけっこう強いんすよ」

「へえ、ならいいけど。女の子をじっと見つめていたから淋しく飲んでるのかと思って心配したのよ。あの子、マナミちゃんだっけ? 好きなんでしょ?」

 思わずビールが吹き出た。

 その様子を見てエリカが笑う。

 そして「ホントわかりやすいわねぇ」と、何もかも見透かしているような口調で言った。

「誘ってみたら?」

 彼女が耳元で囁く。

「えっ?」

「だから、誘ってみたらいいじゃん。よかったら一階にあるベッド使っていいよ。他の連中はみんな二階の寝室を使うから、少しぐらい暴れても気付かないって。なんなら私がマナミちゃんをその部屋に誘うからさ、あんた頑張ってみなよ。このまんまじゃ、柏木に取られちゃうよ?」

 半分は楽しんで言っているのだろうとは思ったものの、田中はアルコールで正常な思考を侵食されていたからなのか、彼女の話に乗った。深く考えていたわけではないが、彼女の言うとおり柏木に取られるわけにはいかないと思った。

 やがて日も暮れ、腹も満たされた彼らは、室内で飲み直すことにした。さすがに海で泳いだあとに酒を飲めば睡魔も襲ってくる。ログハウスのリビングで酒を飲みながら談笑していたが、日付が変わって間もない時間でお開きとなった。

 そして深夜、もう二時を過ぎていただろう。

 それぞれが睡魔に誘われるまま寝室に戻り、ログハウスの中は少しばかり海辺の静けさを取り戻しつつあった。

 田中は自分の部屋を抜け出すと、エリカが言っていた一階の寝室に行ってみた。もしかすると彼女にからかわれたかもしれないと思ったが、それでも一抹の希望を胸に、軽くドアをノックする。

 中から小さな返事が聞こえた。

 注意深くドアを開けると、そこにはベッドに座るマナミの姿があった。優等生のようなイメージのある彼女も、この場の空気に飲まれたのか、この部屋にまでビールを持ち込んで飲んでいた。

 彼女の頬が赤い。

 小さく手を振る彼女の笑みは、学校では見たいこともないほど色っぽかった。

 屈託のない笑み。

 そのとき会話はしなかったように思う。

 言葉は必要なかったのだろう。

 よく覚えていないのは、アルコールの摂取が過ぎたからだろうか。

 ただ彼女の吐息と、柔らかい感触、華奢な腕が自分の首に絡みついた感覚だけが残っていた。

 小さな手に、自分の手を重ね。

 すぐ傍にある彼女の顔。

 向日葵のような。

 そんな微笑。

 そんな海での思い出だった。

 それから、一週間が過ぎようとしていた頃だ。

 夏休みの半ばだっただろう。

 登校日でもないのに、学校側から緊急の全校集会があるとの通達がある。

 田中はサボろうかと思っていたが、家にいてもやることもないので仕方なく登校する。校門の前まで来ると、白と黒と赤の車が目に入った。

 パトカーだ。それも二台。

 すれ違う生徒が「自殺だって……」という言葉を発した。

 体育館で校長の姿が壇上に上がると、事態がはっきりした。

 自殺したのはマナミだった。

 校舎の屋上から飛び降りたらしい。

 遺書があったが、どんな問題があって何を悩んでいたのかは不明だという。そのために虐めや少年犯罪などの可能性も考えて、警察が介入してきたのだ。

 田中の脳裏にあるのは「なぜ?」という文字だった。

 海で一夜を過ごしてから、彼女には会っていなかった。連絡先は交換できなかったので連絡も取っていなかったのだが、自分が原因で彼女が自殺したとは思えない。

海から帰るときに彼女は言ったのだ。

「今度は二人っきりがいいな」

 それなのに何が彼女をそうさせたのか。

 この数日の間に、彼女の身に何が起きたというのか。

 教室に戻り、無意識のまま席に座る。

 机の木目を見ていた。

「……まじかよ。相手は誰?」

 視線を感じて顔を上げると、何人かが顔を背けた。

 自分を見ていたのだ。

 あのときの、海での出来事が関係しているに違いなかった。

「……マナミ、柏木くん好きだったんじゃないの?」

「違うよ。本当は浜田くんが好きだったんだよ……」

「ええっ、浜田くんって……」

 立ち上がり、柏木たちを探しに走り出した。

 いつもの場所に三人がいた。

 そして、いつものように笑っていた。

 彼の肩を叩き、こう言う。

「いい仕事してくれたよ」

 マナミの死の真相に、彼は胸をえぐられるような思いがした。

 そして他の生徒が話していた言葉が、まるで棘のように深く深く彼の中に突き刺さり、抜けることはなかった。


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