特別病棟
時刻はちょうど午後十二時を過ぎた頃。
相田清人は、都内のある病院に足を運んでいた。
バナナを一房持って、関係者専用の入り口から、特別病棟と呼ばれる場所に入っていく。
この建物は敷地の東端に位置しており、ここから本棟に行くにはかなりの時間を要する。つまり、とてつもなく距離があるのだ。
それも無理はない。ここには、一般人に恐怖と軽蔑を抱かせる対象が入院しているからだ。すなわち、治療を必要とする異能力犯罪者たちである。
危険な異能力者を隔離する病棟。それがこの特別病棟だった。
相田は受付に向かい、病室番号と面会する旨を伝えた。面会証をもらい、目的地に向かう。
廊下を歩いていると、見覚えのある顔が病室から出てきた。
色白の肌と三白眼。短めの黒髪がわずかに揺れる。
「園木じゃん。なにしてんの?」
相田の言葉に、園木雪は少しだけ目を見開いた。
「キミこそ何してる? ……なぜバナナを?」
「取り調べが一段落したから、ちょっと次に話を聞くやつの様子を見にね。バナナはついでに食べようと思って」
「あげないのか。別にいいが」
「で、何してるんだよ、お前は」
「キミと同じようなものだ。この間、薬物使用で捕まえた女性の話を聞きにな」
「わざわざお前のほうからここに足を運んでるのか。早く留置場にぶち込めばいいのに」
「そうもいかないさ。彼女はどうやら付き合っていた男から、半ば無理やりに薬を打たれたらしくてな。法を破ったという意識が皆無で、なにより精神的に危険な状態にある」
「ああそういうパターンね」
制限除去薬を使用した人間は逮捕された後、この特別病棟で制限薬と精神安定剤を投与される。その後、留置場に身柄を移され、取り調べを受けることになる。
が、精神に異常をきたす者や薬の副作用が甚だ著しい者は、入院日数を伸ばし、経過を観察するという処置が下されるのだ。
そして二週間の延長期限を超えても、その処置が必要だと予想される場合、特例として病棟内での取り調べが行われる。被疑者と捜査官の安全に最大限配慮した形での実施だ。
「でもまだ二週間も経ってなくね?」
「だから取り調べじゃない。ただ彼女の話を聞いているだけだ」
「それって屁理屈というのでは?」
「本当に話を聞いているだけだ。ただの雑談だよ。薬物については何も質問していない」
「そうなんだ。……え、なんのためにそんなことしてんの?」
「女同士だから話しやすいんだと。私と会話していると心が落ち着くらしい。なぜだかわからんが。だから時々彼女に呼ばれて、ここに来ているんだ」
ナースとか心理カウンセラーじゃ駄目だったんだろうか、と相田は思ったが、口には出さなかった。
「大変だね。警察官なのにカウンセリングもやらないといけないとは」
ははは、と相田は苦笑いを浮かべた。
すると園木は、うーん、と唸って顎に手を当てる。
「それがそんなに苦じゃないんだ。仕事は班員のみんなが、私がいない分を頑張ってやってくれているし」
そりゃお前が班員のやつらに愛されているからだ。
相田は園木班の班員の顔を頭に思い浮かべた。班長である園木に何かと世話を焼いて、にやにやする表情が容易に想像できた。
それに比べて……。
自分の班員は常に殺伐とした空気をまとっている。隙あらば、死ねと言ってきそうな連中ばかりだ。
どうして差がついたのか……慢心、環境の違い。
「それに彼女の話も結構面白くてな。笑いっぱなしだ」
「笑いっぱなし!?」相田は病院にもかかわらず、大声を出してしまった。
「なんだ、いきなり驚いて。病院だぞ」
「ああいや、すまん。なんでもない」
いつも無表情の園木が笑うところなど、まったく想像できなかった。というか笑わないんじゃないのか。笑わないだろ、絶対。もし笑ったら天変地異が起こるだろ。槍とか降ってくると思う、たぶん。
「失礼なことを考えてないか」
園木がジト目で見てきた。相田は、「別に」と彼女から目をそらした。
「まあいい。そろそろ私は失礼するよ。まだ取り調べが残っているからな」
「そうか、わかった。がんばれ」
相田はバナナを振って、すたすたと歩いていく園木の背中を見送った。
意外だったな、あいつ笑うのか。
そんなことを思いながら、相田は目的の病室に向けて歩みを再開した。
えっと、これから会う人物は……。
頭の中にその人物の名前を浮かべた。
「水島玲だっけ……」