人格
「どうだ? こいつ」
拳銃を懐にしまいながら、相田清人は地面に横たわる人間に目をやる。
どこかの学校の制服を着た身長百六十センチくらいの学生だった。服の種類からして、男だろう。しかし顔立ちは非常に中性的で、女と見間違う人間がいてもおかしくない見た目だった。
ただ、今はそんな感想よりも、その顔が血まみれだということに注目すべきだろう。目から鼻から口から、穴という穴から血液が流れ出て顔中を覆っている。それなのに、顔から下の身体と服装に目立った汚れは見当たらなかった。
男は現在、目をつむって意識を失っている。相田に麻酔弾を撃ち込まれたからだ。
相田は今、制限除去薬使用者との接触という任務を遂行している最中だった。休憩がてら、昼食を買おうと近くのコンビニに行こうとしていた。
その途中、横断歩道で信号待ちをしている時に、必死に走っている不審な学生を見つけたのだ。恐らく薬の中毒者だと思った相田は、迷いなく拳銃の引き金を引いた。
「おーい、聞いてるのかー」
相田が確認するように声を出す。
『ああ、すみません。今カップラーメン食べてました』
インカムから女の声と、ずずーという麺を啜る音が聞こえた。
「仕事をしてくれます? 並山さん」
『はい、すみません、並山です。仕方ないから仕事します』
並山という女は言葉を続ける。
『うーん、違いますね。この子は私たちが作ったヤクチュウデータバンクに登録されていない人間です。あー残念です。外れですね。外れ』
「お前らのデータになかったからといって、薬の使用者じゃないってわけでもないだろ。ちゃんと様子を見ろって。外れじゃねーよ、絶対これ」
『あらーもしかして焦ってます?』
「は?」
『ヤクチュウでもない一般人に発砲したとなっては責任問題ですからねー。何としても撃った人間はヤクチュウにしないと、ですもんねー』
「おい、お前の目は節穴か。完全にこいつは使用者だろうが。顔を見ろ。こんな血まみれの顔をした一般人がどこにいるんだよ。完璧に薬の副作用でこうなったんだろ」
『んー、でも些か大袈裟というかひどすぎっていうか。確かに今回のヤクの副作用で吐血などの症状が出ることは確認されてますが、出たとしても至って少量なんですよねー。こんなに流れ出ているのはちょっと考えられないかなー』
「じゃあ、なんだ。この状態は薬の副作用じゃないのか?」
『その可能性高し、です』
ずずっと、また麺を啜る音がインカムから聞こえた。
地面に横たわる男子学生を見ながら、なんだか面倒なことを背負うことになりそうだ、と相田は不安になった。
「見なかったことにするか」
『だめですね。もう麻酔弾撃ち込んでいるんで。あの弾は特注なんですよ。対策課しか取り扱えないですから。この子が見つかったときに絶対にばれます』
「そうだよな」
『しっかりとこのことは記録しておきますね』並山はため息をつくと、棒読み口調で言った。『いやーほんと相田さんは仕事を増やす天才やでー、かなわんわー』
「……ああ頼むわ。救護班の手配もよろしく」
『かしこまり』
血まみれ顔の学生は寝息を立て始めていた。その様子を見て相田は、とりあえず救護班を待っていても大丈夫そうだな、と思った。
それにしても、薬の副作用でないのなら何の可能性が考えられるだろうか。
顎に手を当て思考を巡らせようとした時に、相田は直感した。
――走ってきた方向と学生服からして、学校で何かが起きたのか? 何者かの襲撃? その襲撃者の異能力が原因なのかもしれない。他に被害者がいる可能性もある。とにかく手がかりは学校か。
「並山。ここから一番近くの学校にも救護班を向かわせてくれ。何か起こったのかもしれない」
『学校ですか? 高校がありますね。わかりました。向かわせます』
「急げよ」
『言われるまでもありません。というかもうそっちに到着してません?』
そう言われて相田は当たりを見渡す。数人の白衣姿の人間が救急車のような見た目の車から降りてきた。救護班専用の車だ。
「来たな。なら俺も学校に向かう。案内頼む」
『おっけいです』
相田は救護班の一人に、「あとはよろしく」と声をかけると、並山の声に従って、高校に向かった。
救護班が男子学生を運んでいる光景を、そこから約五百メートルほど離れたマンションの屋上で見つめている男がいた。
髪型はオールバックでタキシードを着用している。その男は双眼鏡などを使わず、裸眼で五百メートル先の状況をしっかりと視認していた。
「あれは失敗作だろうか」
男は一言呟くと、不敵な笑みを浮かべた。
「いや、まだわからないですよ。ドクターの言うとおりなら、ここからが本番のはずです」
すると彼は今度は、嘲笑するような表情に変わる。
「でもさー、見込みあるようには見えなかったよねー。あのままくたばっちゃいそうじゃない?」
それから彼は柵に寄りかかり、妖艶な雰囲気を醸し出す。
「あら、そうかしら。私はなかなか気に入ったわよ。あの子、かわいい顔してたし。無事でいてほしいわ」
突然、う、う、と彼は籠った声を漏らす。
「お、おれもそうおもう……」
「ワタシハウチュウジン」
男は首をコキコキと鳴らすと、下の階に向かう階段を目指して歩いた。
するとその階段から一人の女性が姿を現した。年齢は四十そこそこといったところ。男にも確かな数字は分からない。
「くすり……! くすりをちょうだいっ……!」
直後、女性は大量の血液を口からこぼした。
「ねえこれは?」男が口を開く。「失敗作なの?」
「微妙ですね。ドクターならこのまま放っておけというでしょうが」
「えーこれもうだめじゃね? いくらこの後が大事って言ってもさ、限度ってものがあると思うよ」
男の様子を見て、女性が訝しがる。「なにを……ひとりでぶつぶついってるの?」
男は少し悩んだ後、結論を出した。
「そうですね。私から見ても失敗作だと思います。消してもいいんじゃないでしょうか。被験体はまだたくさんいるので」
「よし。じゃあ僕がやるよ。『僕の能力』で殺してあげるよ」
次の瞬間、女性の腹部に穴が開いた。身体を上下二つに分けてしまうほどの大きさの穴だ。声を上げる間もなく女性は、地面に落ち、ただの肉片へと変わった。血液が円状に広がっていった。
やれやれ、と男はため息をつく。
「後始末は大変なんですからね」
彼は首元にある脳の模様のタトゥーを指でなぞり、女性だった肉塊に近づいた。
マンションの屋上には、依然としてただ一人、『彼』がいるのみだった。